糸井 | 奥様の宮本信子さんを別にすれば、 伊丹さんと、近い距離で、 ずっとくっついていた人って じつはいないんじゃないでしょうか。 |
玉置 | いないですね、ええ。 |
糸井 | やっぱり、そうですか。 だからかな? みんな、伊丹さんに対して ちょっとだけ冷たいことを言うんですよ。 それが、なんていうか、 ちょっとおもしろくて(笑)。 |
玉置 | 伊丹さんとは、みんな、 くっつけないんじゃないかな(笑)。 |
糸井 | それは、きっと、伊丹さんが持ってる |
玉置 | ああ、なるほど。 |
糸井 | それって、たぶん本心で、 なんていうか、いまだからこそ、 やっと言えるんだろうなという気がしたんです。 やっぱり、その、亡くなり方が、ああでしたから、 素直に伊丹十三という人を 触りにくい時間が長くあったと思うんです。 でも、いまなら、いい意味で薄まってて、 冷静に、褒めすぎもせず、落ち着きすぎもせず、 そのまんまのことが言えるんだろうなと。 |
玉置 | そうですね。おっしゃったように、 伊丹さんの亡くなり方があれだったので、 無闇に触れてほしくないなと 当時は、伊丹プロダクションとしても 意識していたところがあります。 |
糸井 | つまり、静かにしていたというか、 落ち着くように動いたというか。 |
玉置 | ええ。 1997年の12月20日の、あの日以来、 ちょっと、カラをつくって、 そこに閉じこもるように過ごしてました。 まぁ、伊丹さん自身が、自分について 話題にすることを望んでないだろうと思って。 白州次郎さんの遺言に 「葬式無用、戒名不要」という 有名なことばがありますけれど、 生前、それについて話したときに、 伊丹さんは「ぼくもそうだよ」って おっしゃってたんです。 だから、お葬式もしなかった。 親しい人からの申し出も断って、 湯河原のご自宅にも何人か来られたんですが、 すべてお断り申し上げたんです。 古くからのお知り合いの方からは ずいぶん怒られたんですけれど‥‥。 |
糸井 | それは‥‥たいへんだったでしょうね。 |
玉置 | 伊丹プロの社長として、 記者会見もやりましたが、 そのときは、ご家族を守るといいますか、 伊丹さん自身を守ることに精一杯でした。 宮本信子さんの女優活動だけは、 役者としての所属事務所も別でしたから きちんと続けてもらおうと思ってましたけど。 |
糸井 | なるほど。 |
玉置 | そういった感じで、 伊丹十三のことに関しては 「こちらからは、なにもしない」という スタンスで、ずっといたわけです。 その膠着した状態を、 いいタイミングでほぐしてくださったのが 「考える人」の編集長、松家仁之さんでした。 ある日、「考える人」で 伊丹十三の特集(2003年冬号)をしたい ということで連絡してくださったんです。 それまでも、本に関する申し出は いくつかあったんですけれども、 ぜんぶお断りしていたんですね。 松家さんからの申し出があったのは 死から5年近く経ったころのことで、 我々もなんとなく、忘れられても困るし、 きちんと知ってもらわなくては、 というふうに思いはじめたころだったので タイミングがすごくよかったんです。 |
糸井 | なるほど。 |
玉置 | そして、ちょうど満5年の2002年の12月20日、 ホテルオークラ新館の地下2階で、 親しい方をたくさんお招きして、 「宮本信子感謝の夕べ」っていう ディナーショーを開いたんです。 宮本さんがちょうどジャズを はじめたころだったので、 ワンマンショーという形式にして。 そこから、ようするに、吹っ切れたんです。 |
糸井 | ああ。儀式が終わったんですね。 |
玉置 | はい。そこから、まったく変わりました。 松家さんは、「考える人」の特集のあと、 伊丹さんの仕事をまとめた 「伊丹十三の本」という書籍を つくってくださいました。 そのあと、伊丹十三記念館の構想を 松家さんにお話ししたところ、 建築家の中村好文さんを紹介していただいて、 松山に建設する運びになったんです。 その後、伊丹さんの映画をまとめた DVDのボックスも出して、という具合で。 |
糸井 | 松家さんとの出会いを機に 外へ開いていくと決めたわけですね。 |
玉置 | そうですね。 松家さんとの出会いは大きかったです。 おかげさまでとくにイヤな思いもせず、 ここまではやってこれたという感じです。 もちろん、力不足なところも多々あって、 伊丹さんが映画をつくっていたころは マスコミの方もたくさん来てくださったんですが、 いまはもう伊丹さんはいませんし、 組織として伊丹プロダクションという 会社はあるんですけれど、 私が社長でスタッフはゼロですから、 伊丹十三記念館の広報活動も 館長としての宮本信子に頼り切っている状況で。 もう少しなんとかしなくちゃ、 と感じているんですけれど‥‥。 |
糸井 | そういう意味では、ぼくも、 最初の伊丹十三賞をいただいたっていう なんとも光栄なご縁ができましたし、 なんでも、ご協力させていただければと。 |
玉置 | ありがとうございます。 |
糸井 | いや、ぼくらにとってもうれしいんですよ。 伊丹さんのお仕事って 「ひとりの人間の多面性」として もう、おもしろいに決まってますから、 遠慮なく、「ほぼ日」のコンテンツとして 扱っていこうと思ってるんです。 |
玉置 | 糸井さんにご協力いただけることを 宮本さんも含めて、記念館のみんなが とてもよろこんでるんですよ。 |
糸井 | ああ、そうですか。 それはよかった。 |
玉置 | 伊丹十三賞の賞金でカメラを買った という原稿も読ませていただきまして、 記念館のスタッフに教えたら みんなすごくよろこんでました。 |
糸井 | ああ、そうそう(笑)。 賞金を、なにか意味のあることに 使いたいなと考えて、 ライカのカメラを買ったんです。 ライカのカメラって、 ぼくには身に余るものですから、 興味はあったものの、 現実的には考えられずにいたんですけど、 「伊丹さんにいただいたお金で買った」っていうのは 買う理由としても、賞金の使い道としても いいんじゃないかなと思って。 あと、この話を、「ほぼ日」の読者の人たちが すごくよろこんでくれたんですよ。 |
玉置 | ああ、それは、いいですね。 |
(続きます) |
新潮社の季刊誌『考える人』で、 名エッセイスト、渋い名優、革新的なテレビマン、 伊丹さんの著作を並べて紹介、というのではなく、 またインタビュー集には、伊丹さんの そして特筆すべきは、伊丹さんが そしてこの40ページほどの特集は、 日常の愛用品や行きつけの店、子供に宛てた葉書など、 伊丹さんの魅力をまとめて知る本として、 参考:『考える人』メールマガジン ほか。 表紙カバーは、友人である浅井愼平さんの写真です。 『考える人』HPはこちら。 |