第5回明るいビル時代のほぼ日 #2ほぼ日のカラーはどうやってできた?
- 糸井
- あ、古賀史健さんもいますね(笑)。
- 古賀
- おじゃましています(笑)。
質問してもよろしいでしょうか。
- 糸井
- もちろんです。
- 古賀
- ほぼ日刊イトイ新聞というメディアの
個性、カラーについてうかがいたいんですけど、
たとえば、いま、企画会議などがあったときに、
「これは、ほぼ日っぽくないよね」
というようなことが言われると思うんですけど、
ほぼ日が起ち上がったばかりのころは、
そういう「ほぼ日っぽさ」とか、
独自のカラーみたいなものは
おそらくまだ確立されてなくて、
混沌とした状態だったのはないかと思うんです。
だとすると、ほぼ日のカラーとか個性は、
どのようにしてできあがっていったんでしょうか。
- 糸井
- ええと、古賀さんとぼくは、
映画『バーフバリ』の大ファンで、
ときどきツイッターなどでふたりして、
「バーフバリ! バーフバリ!」と
叫び合う仲なんですが‥‥。
- 古賀
- ええ。
- 糸井
- あの映画のなかには国母さまが出てきます。
「国の母」と書いて「こくぼ」さまです。
あの映画の世界では、
国母さまが言ったことが法律になるわけです。
つまり、ほぼ日においては、
国母さまが‥‥ぼくです。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- あ、でも、もっと無責任で、
子どもっぽい国母さまです(笑)。
つまりね、ほぼ日がはじまったころは、
ぼくが「こうするぞー」って言うと、
みんなが「そうしましょうー」って、
取りかかっていくんですが、
それをやっているだけで十分だったんですよ。
そもそも、企画をイチから
出し合う会議なんてやってないですし、
もっというと、企画なんて、
そんなにたくさんなくてもいいんですよ。
はじまったころのほぼ日は、
「前からこういうことをやりたかったんだよ」
というようなことをぼくが言ってるだけで、
十分に回ったんですよね。
だって、記事を書く人が
3、4人しかいないんだから。
- 古賀
- ああー。
- 糸井
- で、そういうふうにして、毎日やっていると、
だんだんと文化みたいなものができてくる。
ここでいう文化というのは、
そのときどきで真剣にやり取りして、
「それは違うだろう」とか「それはいいね」とかを
みんなで言い合うようなもので、
そういうひとつひとつの評価や判断や拍手が
積み重なって層になっているわけです。
その堆積層が、たぶん、カラーなんですよね。
逆にいうと、「ほぼ日はこうしよう」なんて、
ルール化した覚えは、ぼくにはないんです。
ルール化するというのは、
いつであろうとちょっと危険なことで、
それができた途端、そのルールを守ることに
話がすり替わっていく可能性が出てくるんです。
そうするともう、ただのゲームになってしまう。
ほぼ日にすごくルールが少ないのは、
たぶん、そういう理由だと思うんです。
だから、ルールをつくる前に、
ルールの源になる貯水池みたいなものに
たっぷりと水を溜めていく
ということをぼくはしたかったし、
いまでもかなりそれは大切にしていますよね。
ですから、ほぼ日の20年の歴史でいうと、
社訓というか、テーマみたいなものも、
できたのはごく最近です。
「やさしく、つよく、おもしろく。」
「夢に手足を。」
20年くらいかけて、
貯水池にたっぷり水を溜めたところで、
ある意味、「ルール」とは正反対の、
一番大きな輪っかみたいなものとして、
このふたつのテーマを決めました。
もちろん、会社としての決め事はあります。
就業規則も毎年改善しています。
それはそれで真剣に整えてます。
でも、それよりも大きなエリアのところで、
みんなが共感するものがないと、
自由度もなくなってしまうと思うので、
ぜんぶをわかったうえで
こういうテーマやルールみたいなものが
今後もつくられていくんだと思います。
その場合、ルールは少ないほどいい、
というのはぼくのルールです。
- 古賀
- 別の訊き方になりますが、
たとえば、雑誌とか、新聞とかで、
こういうものになればいいな、
という目標だとか、お手本みたいなものは、
ほぼ日をはじめるときにあったんでしょうか。
- 糸井
- いいなぁと思うものは、その都度、ありますよ。
たとえば、なんだろうなぁ、あるときは、
広島カープを見ていていいなと思うし、
シルク・ドゥ・ソレイユに憧れることもあるし、
その都度、複数のものを見て、
学ぼうとしていると思いますね。
それこそ、犬だってお手本だったりしますから。
- 古賀
- ああー、なるほど(笑)。
犬は、そうですね。
- 糸井
- あこがれますよね、犬はね。
- 古賀
- ありがとうございました。
- 糸井
- ほかに、質問がありますでしょうか。
- 奥野
- 奥野です。
ぼくは、明るいビルの時代の
ほんとに最後のころに
面接を受けて入社したんですけど、
糸井さんとの最終面接のときに、
なんでも質問していいって言われたので、
ぼくは糸井さんに
「糸井さんはどの街が好きですか?」
って訊いたんです。
そしたら、糸井さんは、
「ぼくは下北沢という場所が好きなんだけど、
実際の街とは違う話でいうと、
ほぼ日を街みたいにしたんだ」って
そのときおっしゃっていて。
それを聞いて、正直、ぼくはピンときてなくて、
うまくイメージできなかったんですけど、
いま、まさにぼくらは、
「生活のたのしみ展」の準備の真っ最中ですけど、
これって、ほぼ日が街みたいになっていて。
- 糸井
- あー、そうですね。
- 奥野
- こういうことを、糸井さんは、
明るいビルの時代から考えていたのか、
それとも、さっきの話じゃないけど、
その都度、考えてきて、こうなったのか、
そのあたりをうかがえればと。
- 糸井
- ほぼ日を「街」みたいにしたいというイメージは、
当時からずっと持ってます。
そこで言う「街」は、下北沢とは違うかな。
先に下北沢のことでいうと、
いまでもぼくは興味のある街として
下北沢を例に挙げることが多いんですけど、
それは、実際の街が好き、というよりも、
理念としておもしろく思っているんですね。
あの街に、芝居の小さな劇場がいくつもあることで、
それを観に来る人が集まるし、
芝居の関係者もいっぱい働いてるし、
いつも何かの芝居をやっているということが
人々の中心にあって、それが街を動かしている。
下北沢という街のそういうことが
とてもおもしろいなぁと思っているんです。
ただ、実際の下北沢ことでいうと、ぼくは、
芝居を観に行くときに駅と劇場を往復するのと、
あとは、お好み焼きを食べに行くくらいで、
そんなに詳しいわけではないんです。
でも、行くたびにおもしろいなあと思ってる。
それは、ちょっと自分たちにも
関係するように思えるからです。
下北沢が盛り上がることで、
周囲にある上北沢とかの街まで
にぎやかなっていると思うんですけど、
おおもとは劇場だよな、って思うと、
ぼくらのやっていることにも希望が持てるというか、
コンテンツが人々の生活を変えたとか、
人生を変えるみたいなこともあるわけで、
そういう可能性についてはいつも考えています。
「ほぼ日と街」のことに戻っていうと、
いまでも、機会があれば、
どこかの街をほぼ日がぜんぶつくる、
みたいなことは、やりたくてしょうがないですし、
それの模型みたいなものとか、
コンセプト探しみたいなことは、
何度でも実験を繰り返しながら
実現に近づけていきたいなぁと思っています。
「生活のたのしみ展」というのは、
まさしく、その模型ですよね。
いろんなことを試しながら、
「街のモデル」をつくってるんだと思います。
たとえば、いまは5日間しかできませんけど、
「生活のたのしみ展」を1年やったらどうなるか。
それは、ほとんど街みたいに
なるんじゃないか、とかね。
街にするためには、あと何が必要か?
というふうに逆算したりもできますし。
今回の「生活のたのしみ展」では、
会場の中に前田知洋さんのマジックとか、
栗コーダーカルテットの演奏とか、
ショーの要素を増やしてますけど、
そういうことだけを見ても、
かなり、街に近づいてますよね。
たとえば、御殿場とかに、
大きなアウトレットモールがあるじゃないですか。
あれがあることでたくさんの人が集まるんですから、
ほぼ日も、きっと、いつか、
ああいうことだってできると思うんです。
だから、創刊から今年で20年ですけど、
これからの何年かで、これまでぼくらが
つき合ったことのない行政だとか、
大きな資本だとかといっしょに、
自分たちがやったことのないことに
取り組んでいくのかもしれませんね。
いずれにせよ、ほぼ日が「街」のイメージに
向かっているのは明らかだと思いますね。
まだまだ遠景ではありますけど、
そのイメージはブレないんじゃないかなと思います。
(まだ続きますよー)
2018-06-10-SUN