第6回九曜ビル時代社会性を持ちはじめたほぼ日。
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- 2005年から2010年まで、
ほぼ日は、青山、骨董通りの九曜ビルに
移ることになります。
そのころの出来事などをまとめてみました。気まぐれカメら +LOVE
MOTHER3発売 明日の神話
6冊の本を出版 ただいま製作中開始
小さいことばシリーズ ほぼ日の就職論
『はたらきたい。』『LIFE』発売
シルク・ドゥ・ソレイユ取材
10周年記念、飛行船企画
「吉本隆明 五十度の講演」発売
ほぼ日グルッポー 宇宙部発足
ほぼ日の会議室で、タムくんや星野源さん、
クレモンティーヌ、ジャルジャルがライブ
糸井重里第1回伊丹十三賞受賞
糸井さんとほぼ日が、ツイッター開始
- 糸井
- 10周年のときに九曜ビルにいたってことは、
いまからちょうど10年前なんですね。
この時代を振り返ると、
もう、得意だとか得意じゃないとかを超えて、
自分たちを成長させようとしているのが
とてもよくわかりますね。
個人的にも、けっこう意欲的というか、
多少ムリしてでも、やったほうがいいことに
踏み込んでいる時期だと思います。
たとえば、岡本太郎さんが遺した壁画、
『明日の神話』なんかは、
自分たちのビジネスとは本来は関係ないけど、
助けられるなら助けたい、
と思ってやってるわけですよね。
寄付を募ったり、運ぶのを手伝ったり、
直接利益になることじゃないけど、
これはやったほうがいいなと思ってやってる。
ふつうの会社だったら、社会貢献とか、
ブランド価値を上げるためにやるんでしょうけど、
ぼくらは、手伝うことを
自分たちのよろこびとしてやってますよね。
そういうことを仕事としてできるようになった。
ふだん、自分たちが
「板子一枚下は地獄だ」って思ってやってるぶん、
ぎりぎりのところでがんばってる人を、
自分のことのように手伝いたくなるんでしょうね。
じゃあ、いっしょにやろうよ、みたいなことが
迷いなく言える基盤ができたともいえます。
だって、それって、自分たちの船が沈みそうなときは
絶対言えないことですからね。
この九曜ビルのころは、
会社の会議室で星野源さんとかタムくんとか
ジャルジャルがライブをやったりしましたけど、
それも、「手伝おうか?」ってことですからね。
星野源さんもジャルジャルも
まだまだぜんぜん売れてなかったころですから、
そういうおもしろい子がいるんなら、
いっしょにやろうよ、中継するよ、
なんとかなるよ、という感じでした。
なんか、自分のためだとか他人のためだとか、
宣伝になるからとか利益が出るからとか、
そういうところに線を引いて
仕事を分けないようにしていたということが
よくわかりますよね。
その姿勢はいまも変わらないですけど。
個人的に、やったほうがいいと思って、
多少無理してはじめているのは、
たとえば「気まぐれカメら」ですね。
ぼく、写真を撮るのが大嫌いでしたから(笑)。
それはもう、レベルの低い話なんですけど、
たとえば、みんなで旅行しているときに、
自分のいい写真のために
バスを待たせてるような人が苦手で(笑)。
- でも、コンテンツとしても、
写真で気軽に遊ぶというアプローチとしても、
やってみたほうがいいなあと思って、
はじめてみたんですが‥‥
まあ、たくさん撮りましたよね(笑)。
おかげで、本にもなりましたし、
いろんな商品にもつながりました。
のちのドコノコにも活きましたし。
「ツイッター」をはじめたことについても、
同じことがいえますね。
憶えてる人もいるかと思いますが、
ぼく、当初、ツイッターなんかやってる人はダメだ、
くらいのことを言ってましたからね(笑)。
クリエイティブの力を、
貯めずに小出しにしちゃうのは、
なにかを生みだす力が
弱くなるんじゃないかとか思ってたんです。
でも、最初はイベントの告知用に
アカウントをつくってはじめて、
ご存じのように、いままでずっと続いてます。
ほぼ日の告知としての役割も大きいですけど、
予想外によかったのは、
ツイッターがコンテンツの入口として
ものすごく役だったことですよね。
ツイッターがなければ接点はなかっただろうな、
という人とたくさん知り合えて、
ほぼ日に出てもらったり、
いっしょに商品をつくったり
することになりましたから。
だから、この九曜ビルの5年間は、
自分たちで食べられるようになったほぼ日が、
まわりにいる人たちの手伝いを、
なんの見返りもないボランティアじゃなくて、
「自分たちの仕事」として
できるようになった時代なんだと思います。
吉本隆明さんの「五十度の講演」も
まさにそういうことですよね。
最終的に無料のアーカイブにすることを目指して、
パッケージしたり宣伝したり
売ったりしたわけですから。
自分たちの利益にならないようなことでも、
やったほうがいいと思うことなら、
赤字には絶対ならないようにして、やる。
つまり、この時期に、
ほぼ日がやっと社会性を帯びた、
という言い方ができるんじゃないかなと思います。
それでは、質問をお願いします。
- 篠田
- 篠田です。
この時期、いま糸井さんがおっしゃったように、
ほぼ日は「社会性を持っていく」という
ステージに入ったと思うんですが、
「会社の上場」というキーワードが出てきたのも
このころだったと記憶しています。
結果的に、その約10年後に
ほぼ日は上場を果たすことになるんですが、
この時期に、糸井さんが会社と社会の関係を
どのように考えていたかをうかがいたいです。
- 糸井
- 会社が社会にどう貢献していくのか、
みたいなことよりも、
やっぱり、人がぼくらのコンテンツや
商品に集まっているという
事実のほうが大きかったですね。
つまり、「こうあるべき」というよりも、
集まった人たちのちからがあれば、
こんないいことができるぞ、ということです。
別な言い方をすると、
自分たちのやってることをたのしみにしてる人が
何万人とか、何十万人とかいるということは、
ある種の責任も生じると思うんですね。
だから、たとえば、ほぼ日手帳を70万人の人が
つかってくれているというときに、
もう今年でやーめた、というわけにはいかない。
その意味で、自分たちで限界をつくったり、
できたらいいなと思ってるのに
勝手に無理だと決めて
新しいことをしなくなったりというのは、
あんまりいいことじゃないと思うんですよね。
そういう意味でいうと、
ほぼ日の「社会性」に関しては、
単にぼくらが社会に貢献するというだけじゃなく、
ぼくらを応援してくれたり、
たのしみにしてくれたりする人たちの、
「代理」としての意味合いもあるというか、
こういうことをしたらみんながうれしいだろうな、
ということをいつも頭の片隅に
置いているんじゃないかと思いますね。
つまり、強い社会性を持つんだ、
と思ってやっているんじゃなくて、
こんなに人が集まってるんだからということで、
その人たちといっしょに動いている。
あとは、「潰せないぞ」という責任感が、
なにしろ、大きいような気がします。
それは、やっぱり、
自分の歳がけっこういってますから(笑)。
「いつやめるんですか」って質問をよくされますし、
20年やってきて、もう会社も小さくはないわけで、
お客さんも含めてこれだけの人が集まって、
おもしろいことができているのに、
それを「あ、終わったよ」と言うのは、
もうできませんよね。
やっぱり、ほぼ日はぼくの私物じゃないので。
あ、いま、口からぽんと出ましたけど、
「私物じゃないので」というのは大きいですね。
ほぼ日は私物じゃなくて、
ぼくの作品っぽい面もあるけど、
やっぱり公共の何かなんだな、ということが、
こうして歩みをまとめてみるとよくわかりますね。
‥‥ここまでで、10年ですか。
そうかぁ、思えば、ここまでのところで、
ほぼ日の根っこのところがかなりできてるんですね。
いや、おもしろいです。
ここからは、もう、みんなも
知ってることも多いでしょうから、
さっと振り返って終わってもいいんじゃないかな。
- ──
- でも、糸井さん、このあと、
ほぼ日はひとつ大きな節目を迎えるんですよ。
- 糸井
- ‥‥あ、震災ですね。
(もう少しつづきます)
2018-06-11-MON