山下 |
ジャズは、
ただ自由なだけではなくて、
クラシックに
曲としての決まりがあるように、
「これを外したらまちがい」
と言われる、割と厳密な
枠の中でやっている即興なんです。
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タモリ |
うん。
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糸井 |
そうなんですか。
それを聞くだけで、
ジャズを知らない人は、
「へぇー」と思いますよ。
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山下 |
ジャズとしては、
明らかに
「合っている」ものと
「まちがっている」ものがあるから、
その「合っている」ものを
ジャズマンというのは、
みんなで一生懸命に勉強するんです。
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糸井 |
うん。
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山下 |
ところが、
「そんな枠なんて
なくていいんじゃないの?」
という話が
出てきたりしたものだから、
ジャズの決められた枠を、
少しゆるめだしたんです。
コード進行が一小節で
二個と決まっていたものを
「そんなのやめちゃえ、
八小節ぜんぶ同じにしちゃえ」
とかいうことで
「モード奏法」
という曲の作り方が出てきたり。
「枠を取り払った中だと
もっと自由になれる」
という考え方は、
確かにあるんですけど……
ぼくはそれについては
ちょっと疑問に思うんです。
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糸井 |
自由にしすぎることは危険だと。
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山下 |
すべての枠を取り払うという考えが、
フリージャズを生むと、
その場に一緒にいる人たちが
何でもやっていいということになる。
実際、何でもやってみよう、
と最初には思うんですけど……
やっぱり、そのうち、
やることがなくなるんですよね。
どこかでパターン化して、
どこかで同じような配列が出てきてしまう。
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糸井 |
そうですね。
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山下 |
ですから、ぼくは、
自分にとっての演奏の手がかりは、
自分の中に、作っていくわけです。
たとえばぼくが
坂田明、森山威男とのトリオで
ドイツに演奏に行っても、
曲のテーマなんかは、前々から
ガチガチに決めておくんです。
いつでも、そのテーマに
合わせられるようにしておく……
それで、「合った!」と思ったら、
次には、それぞれムチャクチャやって、
合図を決めておきますから、
誰かが「今だ!」と、合図を出したら、
またバシーンと三人の演奏が合うんです。
そういう自由のほうが、
闇雲な自由よりも、
ずっとかっこいい、
とぼくらは思っているんです。
だけどヨーロッパのフリージャズ一派が
「あいつらは、あんなに
コントロールされているじゃないか。
あいつらはフリーじゃない」
と言ったんですね。
それなら、
ヨーロッパのフリージャズ一派が
何をやっているかというと、
はじめる前からビール飲んで、
ほんとに好き勝手やっているんだけど……
ぼくたちからすれば、それはつまらないの。
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糸井 |
それは、よくわかります。
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(つづきます) |
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