もくじ
第0回 2016-11-08-Tue

1991年生まれ。
放送局にいます。

いま、日本文化に
はまってます。

表現者の方を応援
することが好き。
ミーハーです。

ぼくの好きなもの
モノマネ

担当・菊地将弘

好きなものを考えて
自分のルーツを探してみると
そこにモノマネが浮かび上がってきました。

モノマネに対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。
日常をちょっと明るくするクスグリかもしれませんし、
大勢の人から笑いをとるような立派な芸でもあるかもしれません。

モノマネ、ものまね、物真似など表記に種類があるように
いろんな面があって、ちょっととらえどころがないもの。

そんなモノマネを「する」「みる」「考える」の視点から、
これまでの自分を文章にのせてみました。

モノマネをすること。

これまでの人生をふりかえると、
モノマネは、ぼくにとって大切なコミュニケーションの手段だった。
ずっと、たすけられてきた。

小さいころだった。
親戚の家にわいわい集まって晩ごはんを食べるとき。
テレビでプロ野球中継をみながら選手のモノマネをよくしていた。
たとえば特徴的な投球フォームのピッチャー、元広島の山内泰幸さん。
「UFO投法!」ピンク・レディーの曲が由来と知らず、マネしていた。
たまにしか顔を合わせないから、出だしの会話は恥ずかしいけれど、
大げさな投げ方をマネしてみせると、親戚のみんなは笑ってくれた。
モノマネをした後は、ほっとして自分も笑顔になった。

高校生のとき。
入学して1ヶ月がたったころの、はじめての遠足。
クラスメイトたちとまだ、なじめていない時期だった。
行き先の富士急アイランドへ向かうバスの車中。
ぼくは会話の流れで、担任であり化学のT先生のモノマネをしてみた。
ふりかえれば、モノマネでクラスメイトと打ち解けることができた。

就職活動のとき。
大学時代、希望していたある会社で合宿選考を経験した。
合宿中の課題の一つに「一発芸」なるものがあった。
正直、頭のてっぺんから足の指先まで緊張していた。
その場を切り抜けたのは千原ジュニアさんとケンドーコバヤシさん、
おふたりの会話のモノマネを、思いきってやったことだ。

モノマネをみること。

人の技術で、人の心をゆり動かす芸能。
身近な笑いのなかでも、とくにモノマネは芸能と意識している。
芸能への思い入れがつよくなった根っこは、やっぱりモノマネだ。
今まででもっとも、そこに芸を感じたモノマネがある。

松村邦洋さんの「織田信長のオールナイトニッポン」という芸。
憑依芸とまで言わしめるビートたけしさんのモノマネにのせて、
織田信長としてラジオ番組のDJを進行してゆく。これがすごい。

・本能寺がキーステーション
・提供は、楽市楽座友の会
・かける音楽は、敦盛の一節「人生50年」
・森蘭丸に、おもしろいハガキを用意しておけ!と要求する

たとえば、こういう細やかな設定の妙もあるのだけど、
ビートたけしさんの口調で織田信長の言葉がスラスラと出てくる。
歴史がお好きで驚異的な記憶力を持つ松村さんしか成し得ない芸。
教養を感じさせるし、芸が何層にも重なっている。

高校3年生のころだったか。
爆笑問題さんのラジオ番組に松村さんがゲスト出演されていて、
初めてあの芸を体感したときの衝撃は、忘れることはない。

モノマネについて考えること。

モノマネは、笑いの枠をこえてくる。
モノマネ芸人の方たちの芸をすれば、
懐かしの名曲を歌うことで、ご年配の方たちの記憶を呼び覚まし、
青春時代を、もう一度よみがえらせることができる。
モノマネは、人の思い出に語りかける、記憶の芸でもある。
コロッケさんのコンサートを生で観て、まさにそう感じた。

ぼくは、コロッケさんの、大胆にデフォルメするモノマネも好きだ。
ある番組で、コロッケさんはこのようなことをおっしゃっていた。

「自分にとってのモノマネとは、通りすぎてゆくかんじの残像。
そっくりにマネしようという気が最初からない。」

絵でたとえるならば
コロッケさんのモノマネは、写実のアプローチではなく、
どちらかといえば印象派のようなイメージだろうか。

心で見たものを、どうつかまえて、どのように表現をするか。
詩人は言葉で、画家は絵で、モノマネ芸人は芸で。
表現のツールが異なるだけで、本質は同じ。

奇しくも「マネ」という著名な画家がいるが、
モノマネは実は、芸術でもあるのではないか。

こうやってモノマネは、いくらでも掘り下げられる。
日常から、高尚な方向まで可能性はのびてゆく。

そんなモノマネが、ぼくは好きだ。
いつかモノマネに恩返しがしたい。
これからも、モノマネの新しい一面を探していきたい。

(おわり。)