幼いわたしと散歩。
引っ越しだったり、幼稚園が家から遠かったりで、
近くに同じ年頃の仲良し友だちがいなかったわたし。
幼稚園から帰ると、いつもヒマを持て余していました。
そんなわたしが編み出したひとり遊びが、散歩。
どこに行くのも自分次第。曲がりたい角で曲がり、
見たい景色を好きなだけ眺め、秘密の近道を探す。
自由気ままにどこへでもいける散歩に夢中なったわたしは、
雨の日も雪の日も冒険にでかけるようになったのです。
くよくよしない。散歩する。
高校生になって趣味や遊びをたくさん覚えても、
散歩の時間は自分だけの特別なひとときでした。
河原の土手をテクテク歩くだけで、帰る頃には
頭いっぱいの悩みごとがスッキリ片付いてしまいます。
バイト先で落ち込むことがあった日の帰り道に、電車で30分の
道のりを、何時間もかけて歩いて帰ったこともあります。
山を越え、川を渡って家に着く頃には、ひねくれた気持ちや
言い訳は消えて、いつもの自分を取り戻していました。
感情を全力投球していた思春期時代のわたしを
クールダウンさせていたのは、他でもない散歩なんです。
ゆるく楽しむための流儀。
最初の数歩を踏み出せば、もう散歩は始まっています。
何キロ歩くとか、何時までにどこに着くだとか、
細かいことは決めません。
その代わりに、楽しむためのルールがふたつ。
ゴールやテーマをざっくりと決めること。
そして、絶対に地図は見ないこと。
方角だけをスマートフォンのコンパスアプリで確認して、
こっちに進めばたぶん着く、というスタンスで進みます。
好奇心の赴くままに、寄り道を楽しむのがコツ。
思いがけないバッタリが好き。
なんとなく二駅ぶん歩くとか、夕焼けを見ながら帰るとか、
変な名前のお店を探すだとか、その日のテーマはいろいろ。
予定通りにいかなくても、まったく問題なしです。
ゴールにはない発見が、道中ゴロゴロ転がっています。
こちらから面白そうな気配がするぞ、という好奇心を信じて
だんだん狭くなる路地にドキドキしながら突き進む。
わざと迷子になるような感覚です。
物陰からぬっと登場する猫
ギョッとするほど大きく育ったアロエ
昼下がりの住宅街にただよう焼きそばの香り
「ご自由にどうぞ」と書かれた和食器たち
バッタリ出会うあれこれが、その都度その都度おもしろい。
その先が行き止まりでも、それすら楽しくなってくる。
いくつになっても初めてだらけで、何度でも驚きをくれる。
それが散歩の魅力なのです。
ハプニングは思い出になる。
見所を書き込んだリストにチェックを入れて進む散歩も
いいかもしれませんが、行き当たりばったりを楽しむ方が
やっぱりしっくりきます。
工程表通りの1日より、予想外のハプニングの方が、
楽しい思い出になったりしますよね。
さらに一緒に楽しめるお仲間がいれば、言うことなし。
ハプニングを一緒に楽しめる人となら、
どんな苦労だって乗り越えていける気がします。
小さな問題は笑いとばし、ちょっとした出会いを喜べる。
こころに余裕を生み出してくれる散歩は、
わたしにとって、なくてはならないものになりました。
振り返れば一本道。
わたしの散歩スタイルは、自分の人生にも重なります。
まわり道や道草ばかりで、進学も就職も、
いつも誰とも足並みが揃わなかったわたし。
好奇心を頼りになんとか見つけた道を、
今はコピーライターとして歩いています。
でも、ハタからみたら迷子に見えるかもしれません。
道順はわからないけれど、あっちに行きたい。
そう感じた方向に突き進むことが、
わたしにとっての一本道なのです。
散歩は人生。
ふいに湧き上がる好奇心を素直に受け止めて、
ハプニングだらけの毎日を楽しんでいけたらいいなぁ。
(おわります)
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!