服が好きだ。
ぼくは特にオシャレじゃないけど、
自信をもって服を好きだといえる。
今では服が大好きで、
自由に使えるお金の7割をそこに使っているぼく。
でも、高校まで服はぜんぶ母に買ってもらっていた。
中学も高校も制服指定の学校だった。
高校生のぼくが考える、最高のオシャレは、
サイズの合っていないパーカーを着ること。
平日は学校と家との往復だけで終わり、
休日も部活で学校に行くか、家でゲームをしていた。
着飾る、という意識がなかったのだ。
高校を卒業して、希望の大学に入れなかった
ぼくは、浪人することになった。
そこで街中にある予備校に通うことに。
予備校なので、制服はない、つまり私服だ。
授業初日、まわりを見て突然、気がついたことがあった。
もしかして、ぼくはとてもダサいんじゃないか?
そのとき、サイズが合ってないとか、色を使いすぎ
だとか、ハッキリした理由は分からなかった。
でも、理由はわからないが、とにかくダサい。
それは感じることができた。
自分がダサいって感覚をもち始めると、
急に街を歩くことが嫌になった。
街中ですれ違う人がぼくを見て、
変な格好してるなと、
思われてるんじゃないか。
何か間違った着方を
しているんじゃないか。
視線が気になって、自信がなくなって、
ぼくは、肩を落として、
いつも猫背で歩くようになっていった。
何とかしようと、ぼくのお小遣いのほとんどは
洋服に使われるようになった。
ファッション雑誌を読み込み、気になるアイテム
があれば、セレクトショップやファッションビル、
古着屋さん、新しいお店を何件も回った。
そのたびにスタッフさんに自分がどう
見られているのか気になって、
お店になかなか入れず、
よく店の前で1、2分ウロウロしてた。
お店の中での振る舞いも、ぼくには分からなかった。
試着して買わずにお店をでるのが、なんだか悪い
気がして、試着したいと言い出せなかったり、
試着せずに買って後悔したり。
ドキドキ、オドオドしながら、
服を探しているうちに、1軒の特別な
セレクトショップに出会った。
そこはスタッフさんもお客さんも、
ほんとに服が好きな人達が集まっているお店だった。
1時間でも2時間でも試着して、結局何も
買わなくても許される雰囲気のお店だった。
だから、自分の好きなもの、自分の
似合うものを、じっくりと知ることができた。
扱ってる服も、スタッフさんがデザイナー
さんと直に話をして、
買い付けてきたものが多くて、
スタッフさんが惚れてるものだけを
置いているように見えた。
デザイナーが、どんな思いでその服をつくっているのか。
どんな歴史をもったブランドなのか。
それをスタッフさんから教えてもらうと、
服が次第に面白くなってきた。
そのお店に通い続けて、
そこに集まる人たちを見ているうちに、
自分の好きな服を、好きなように着れば
いいんじゃないかと思えるようになった。
ぼくは、どんどん服が好きになって、
たくさんの服と出会った。
10年以上着ている、ネイビーのフード付きのコート。
面接の日は必ず着る、白いシャツ。
背筋がピンと伸びるブロックチェックのジャケット。
何度も修理して使っている革の財布。
ダサく見られたくない一心で
買い始めた服は、
ぼくのとても大事なものになっていた。
思い返すと、
ぼくはそれまで、自信をもって“好き”と
呼べるものをもっていなかった。
服は、初めて経験する、
何かを徹底的に好きになることだった。
たくさんの服を見て、買って、着て、
失敗して。また買って。
ぼくという人間は何が好きで、何が嫌いか、
その価値観の一部分は、
間違いなく服からつくられた。
何かをばかみたいに好きになることが、
ぼくには必要だった。
何かが好きだと、自信をもって言えると、
自分が何者か、少しだけ分かる気がする。
そのおかげか、今はもう猫背じゃない。
好きな服と一緒に、
胸をちゃんと張って、前をしっかり見て、
街を歩いてる。
おわります。