2015年6月。ぼくは東京は新宿に上京した。
上京のきっかけは、スマホアプリをつくる仕事にさそわれたからだった。
新宿で家賃10万円のマンションをかりて、
自宅と会社を行き来しながら、コツコツ仕事にはげむ日々。
ただ、ホームページしかつくってこなかったぼくには、むずかしかった。
1ヶ月もしないうちに、会社にいけなくなった。
日に日に気持ちがまいってきたのだ。
夏がやってくるころ、ぼくは会社に「もう、来なくていい」と言われてしまった。
家もなく、仕事もなかった。
仕事を失った。
さらに、家賃を払えなくなったので、家を追い出された。
あてはない。めちゃくちゃ絶望。
じりじりと鳴く、蝉の声をききながら、
ひとつきぶんのお給料をもって、
中野駅にむかった。
なんだか、すくわれそうな気がしたからだ。
中野ブロードウェイとの出会い
北口改札を抜けると、汗だくだくのおねえさんがティッシュをそえて迎えてくれた。
ポケットにおさまる恩恵をうけつつ、「今日の宿」をさがす。
お金はないけど、時間はあった。
日中はほとんど、中野ブロードウェイを徘徊していた。
アニメ、漫画、ゲーム、古着、音楽、電子機器……
どのジャンルも大好きなぼくは、退屈しなかった。
けれど、ここは”目的地”ではないことに気づく。
永遠に未完成のままでいるのが自分のようで、当時のぼくにはぴったりだった。
夜になると、夜勤バイトに勤しんだ。
明け方、中野サンプラザのネットカフェで眠る日々。
たまに、ブロードウェイに寄り添うように眠った。
都会の空は、ずっとあおかった。
「好き」を追求すると、書き手になれた
ある日、中野ブロードウェイでお店を営むおじさんに、
「どうして、このお店をやっているのか」ときいた。
そのとき、おじさんは真っ黒になった前歯を光らせてこういった。
「好きだからだよ」。
……なんかカッコいいな。自分の好きなものってなんだろ。
あ、”ここ”を拠点にして、情報発信しよう!へへーん。
中野ブロードウェイの喫茶店で、
なにかと発信していると、ライターになれた。
それから2年が経とうとしている。
ぼくのまわりはかわってしまったけど、
ここは、ずっと変わらない。
そして、今日も。