もくじ
第1回キーワードは、正直さ。 2017-04-18-Tue
第2回人の心を動かすもの。 2017-04-18-Tue

毎日、3歳になる息子から「おはよう、へびつかい~」
「ごはんだよ、へびつかい~」といわれてます。
ぼくがへびつかいシルバーで、彼がてんびんゴールド。
おかげさまで、パパのときよりも、息子と心が通じ合ってます。

私の好きなもの</br>犬のしっぽ

私の好きなもの
犬のしっぽ

ほぼ日の塾、課題2つ目は「私の好きなもの」
というテーマでエッセイを書きます。

ぼくが選んだものは「犬のしっぽ」。
なぜこのモチーフにしたかというと、
いまタイムリーに「犬のしっぽ」について
熱く考えているからです。

たぶん、来年にはこの熱は下がっているか、
考えそのものが自分の骨や肉となり、
キレイに消化されてしまっている気がします。
そうなる前に、いまの混沌とした気持ちを書き記したい、
そう思ってこのモチーフを選びました。

犬のしっぽは、ぼくに大きな刺激を与えてくれます。
その理由をまじまじと考えることになったのは、
それこそ「ほぼ日の塾」での貴重な体験があったからです。

ほぼ日と犬のしっぽ。
考えていくと、両者には似たような共通点がありました。

ちょっと長いので、全2回に分けています。
少しでも何かを感じ取ってもらえたらうれしいです。
それではよろしくお願いします。

第1回 キーワードは、正直さ。

ぼくの好きなもの、それは「犬のしっぽ」だ。

筆で書いたようなすっと伸びたしっぽから、
柴犬のようなくるっと巻き込まれたしっぽまで、
ぼくは犬のしっぽが好きだ。
しっぽをブンブン振りながら甘えてくる犬を見ると
「おお、そうかそうか」という感じで、
もう無条件で顔がほころんでしまう。

そもそも「しっぽがある生き物はかわいい」
という持論がある。
絵本に出てくるような小悪魔やバイキンなどは、
だいたい矢印の形をしたしっぽがついている。
あれも「しっぽがあるとかわいく見える」
というのが大きな理由のような気がしてならない。

まあ、ほとんどの哺乳類にはしっぽがあるので、
しっぽ自体は珍しいものではないのだが、
犬のしっぽはちょっと特別だ。
かわいいだけではなく、
コミュニケーションツールとしての魅力があるのだ。

しっぽの役割は、生物によって微妙に違う。
サルはしっぽで木をつかみ、牛はしっぽで虫を追い払い、
猫はしっぽで体のバランスを取る。
そうした機能別で見ていくと、
犬のしっぽは「感情を相手に伝える」、
という大切な役割があるように思う。

うれしいとき、怖いとき、警戒しているとき、
犬はしっぽを振ったり、上下させたりして、
自分の感情を他の犬たち、
そして人間たちに伝えているのだ。

「犬は人間のペット」という意識が強いが、
犬と人間は基本的に種族が異なる。
「異なる生物の感情がわかる」という状況は、
犬以外にあまり聞いたことがない。

動物園の飼育員さんなら経験を通して
「こっちのゾウはちょっと機嫌が悪い」とか
「あのクマはぼくのことが好きらしい」とか
そういうのはあるかもしれないけど、
それも長年の経験と関係性があるからであって、
誰でもわかるものではない。

その点、犬はもっとシンプルだ。
しっぽを見れば誰でも彼らの気持ちがわかる。
彼らは常に自分たちのしっぽ(ときに全身)を通し、
いろいろな感情を表現し続ける。
こんなにも自然に感情を伝えてくる動物を、
ぼくは他に知らない。

ぼくの家には犬が1匹いる。

名はウディ。推定7~8歳のトイプードルだ。
なぜ推定かというと、
ウディの出生に関することをぼくはなにひとつ知らない。
ウディは保護犬だ。
いっしょに暮らしはじめて、今年で5年目になる。

ぼくとウディはとてもよく似ている、と妻はいう。
ウディほどモジャモジャではないにしろ、
ぼくの髪形はたいていボサボサで、
髭もけっこうモジャモジャ生えていたりする。
余談だが、ウディは2か月に1度トリミングへ行き、
ぼくは半年に1度美容院へ行く。

トイプードルという犬は「断尾」といって、
生まれてすぐにしっぽを短く切り落とすことがある。
なぜ切るかといえば、
短いほうが「見た目がかわいい」からだ。
なので、日本では断尾されていないトイプードルは
売れ残ることが多いという。

ちなみに、ウディのしっぽは長い。
それだけがすべての原因ではないと思うけど、
結局、ブリーダーのところで売れ残ったウディは、
3歳になるまで誰に飼われることもなく、
保健所に連れていかれそうなところを
兵庫県にある小さな動物愛護団体が引き取った。
そんな彼はいろいろな奇跡が重なり、
いまや東京に住むぼくのもとで暮らしている。
もうこれはちょっとした運命だと思っている。

そういうこともあり、
ウディはあまり愛嬌のある犬ではない。
極度の人間嫌いで、
誰か知らない人が来れば血相を変えて吠えまくり、
人がいなくなればケージの中でぶるぶると身を丸める、
といった具合だ。

そんなウディは、家に来たばかりのころ、
あまりうまくしっぽを振ることができなかった。
しっぽの振り方に、不器用なぎこちなさがあった。
しかし、少しずつ人との生活に慣れ、
年齢と共にウディの性格もふてぶてしくなり、
いまでは巨人ファンが回すタオルと同じくらい、
毎日ブンブンとしっぽを振り回すようになっている。

彼がしっぽをいちばんよく振ってくれるのは、
ぼくが仕事を終えて家に帰ってきたときだ。
普段は物静かなタイプなのだが、
帰宅したときだけは元気いっぱいに出迎えてくれる。

ぼくがどんなに疲れて帰ってきても、
どんなにこっそり帰ってきても、
ウディは必ず大声で吠えながら
しっぽをブンブンと振ってくれる。
子供が起きようが、妻が小言をいおうが彼には関係ない。
このお出迎えの儀は、
もはやぼくのオンオフを切り替える重要な儀式となっている。
ウディよ、いつもありがとう。

そんな感じで、
ぼくが「犬のしっぽ」についてあれこれ考え始めたのは、
実はここ最近のことだ。

それまではただ「かわいい」とか
「こりゃ、たまらん」としか思っていなかったが、
最近はもう少し深い部分で好きになっている。
その理由をまじまじと考えだしたきっかけは、
たぶん「ほぼ日の塾」が始まってからだと思う。

ちょっと話は脱線するが、
ほぼ日のコンテンツがなぜ人の心をとらえるのか、
その答えは「狂気にも似た正直さ」にあると思っている。
もちろんこれはほぼ日の塾に参加して確信したことで、
どんなに巧みで美麗美句な言葉を紡げたとしても、
その根本に「正直さ」が感じられなければ
人の気持ちを引くことはできない、
ということを本当に心から感じたのだ。

ほぼ日の塾でこんなことがあった。

その日の講義の最後には、
どんな質問にも糸井さんが真摯に答えるという
質疑応答の時間が設けられていた。
そこである大学生の女の子がこんな質問をした。

「あがり症で相手に気持ちを伝えるのが苦手。
どうすれば自分の気持ちをちゃんと知ってもらえるか」

おそらく就活のこともあり、
どうやって自分をアピールするのがいいのか、
そういうことに悩んでの質問だったと思う。

ただし本人の言う通り、
彼女は人前であまり上手に話せるタイプではなく、
緊張と興奮で声は上ずり、
質問の内容をうまく着地させられないでいた。
若者特有のフランクさと、つなぎ言葉の多さで、
なにが言いたいかを理解するのも難しかった。
でも、だからといって不快には思わなかった。
「なんとかして糸井さんからアドバイスをもらいたい」
という彼女の真剣な思いがヒシヒシと伝わってくるからだ。

ぼくも心の中で「がんばれ、がんばれ」と
彼女を小さく応援していたのを覚えている。
会場のみんなも、きっとそう感じていたに違いない。

そして彼女がなんとか質問を終えると、
糸井さんは彼女に向って
「いまのが答えだよ」とやさしく声をかけた。

「君がぼくに伝えようとした真剣な気持ちは、
すでにここにいる全員の心にも届いている」と。

ぼくはハッとした。
まさにこれこそコミュニケーションの本質だと思ったからだ。

(つづきます)

第2回 人の心を動かすもの。