もくじ
第0回好きなもの、ってなんだろう 2017-04-18-Tue
わたしの好きなもの</br>好きなもの、がわからない。

わたしの好きなもの
好きなもの、がわからない。

担当・榮田佳織

お酒を呑みながらカウンターのバーで。
くだらないようで、だいじな、
でもやっぱりくだらない話を
たいせつな友達と、
とりとめもなく話して。

ときおり大きく脱線するはなしのなかに、
だいじなことが、
かくれていたりいなかったり。

話し終わったころには
妙にすっきりしていて、
なにかだいじな発見をしたようで、
でも次の日には
何を話したんだか覚えていなくて。

けれど
こんな語り合いができる時間がたいせつで、
明日からの糧になったり。

いつか何かをまもったり
すてたりするときに
ふと、
語りあっていた内容を思い出して
背中をおされたり。

そんな
気のおけないだいじな友達に
美味しいお酒を呑みながら語ったあの日を
文章で再現してみよう。

「好きなものは?」と聞かれることが
苦痛な大人になってしまったわたしの、
「好き」を考えなおす思考録。

好きなもの、ってなんだろう

わたしがこたえるのに
ちょっとだけこまってしまう質問。

それは、
「趣味は何ですか?」
「好きなこと・ものは何ですか?」
みたいな感じのやつ。

わたしは自信を持って言える
自分の趣味や好きなものというのが
なんなのかよくわからない。

それだから、
本当のところは
「わからない」、「ない」とこたえたい。

嘘をつくことは、できるだけ避けたいから。

けれど、「ない」なんてこたえても
場がしらけるだけだから、
場が適度に盛りあがって
嘘にならないくらいの
それっぽいこたえを
用意しておくことにしてる。

ランニング、ジム通い、料理、絵を描くこと。

だいたいこのあたりから、
その場の人や空気感で
どれを出すかを選んで言うというかんじ。

ただ、どれも
「これって私が心から好きなものだ!」って
自分自身が納得できてるわけじゃない。

やっぱり、わたしの好きなもの、が
なんなのかよくわからない。

ランニング、ジム通いは
週に1-2回定期的に行なっているけれど、
しなくて済むならしたくない。

走ることやトレーニングは、
私にとっては好きというよりむしろ、
ほとんど苦行にちかい。

健康維持とダイエットという目的のために
しかたなくやっているだけだもの。

走っているとそのうちすぐに苦しくなってくる。

それで、
「苦行を強いているじぶん」と
「苦行に耐えているじぶん」みたいな
じぶんのふたつのSM性が
出てておもしろいなぁなんて、
ななめ上から俯瞰したじぶんが考え出したりするけれど。

別にそれを趣味にしているほど変態なわけでもない。

料理は、
半年くらいめっちゃ頑張ってたけど
最近ちょっと飽きて
手抜きになってきている。

好き、って言えるほど、
好きの長さも深さもぜんぜん、ない。

料理をほとんどしてこなかった私が、
以前おつきあいしていた男性に
見栄を張って
手料理をつくろうとしたことがあったなあ。

そうしたら、
彼が持っているすてきなストウブの鍋を焦がしたり、
食材を買いすぎて腐らせたりと、
それはそれは大変な感じになってしまった。

それで
「わたしは人に料理もつくってあげられないんだ」
って気づいて、
料理下手を克服するために
これもしかたなく料理の自主練習、自炊を
せざるをえなかったってだけ。

ただ、料理は
自己紹介の場では、
趣味の持ちネタとして
まあまあ使い勝手が良くって重宝するから、
わりと気に入ってる。

約半年間の自炊料理を写真にせっせと
スマホで撮りだめてきたから、
「どんな料理つくるの?」なんて聞かれたとき
スマホで写真をさっと見せることができて、
それなりに場が持つんだよなあ。

絵を描くこと。
これは
いまは胸をはって好きとはいえない。
もう何年も絵を描いていないもの。

でも、思い出すのは
もう10年近く前になるのかな、
社会人になりたてで
仕事もぜんぜんうまくできなくて
もがいていたころ。

わたしってこんなんじゃないはずって、
必死に何かに助けを求めていたころ。

深夜に時間を忘れて夢中になっていたのは
絵を描くことだった。

想像の世界を
ペンでキャンバスに具現化していく。

そこでは、
私はあらゆるものを
白地に生み出せる創造主になれる。

そうして、うみ出した絵をもって
「こんな絵が描けます」、
「何か描かせてください」って
いろんな人と対話していった。

そうしたら、私は絵をもとに
たくさんの人から
「ありがとう」が
もらえるようになれたんだ。

とってもわくわくする体験だった。

カフェで絵の展示会をしたときは、
プロにくらべたらそれはへたな絵なのに
それでも展示会をするなんて
無謀なことをしている私を見て
「私も好きなことをしてみようと思った」
なんて感想をくれた友人もいたなあ。

かっこわるくても
「好き」をまっすぐにしている姿じたいが、
何かを伝えることもあるのかなあって。

あれ、
やっぱりわたし
絵を描くことが
とっても好きだったのかもしれない。

それとも、絵か何かをつうじて、
こうして「ありがとう」を生み出せるのが
好きなのかもしれない。

どっちなのかわからないけど、
わかることは
今のわたしは自分の「好き」に鈍感だってこと。

好きって、
こんなにわかりにくいものだったかな。

大人になるにつれて
自分の気持ちをまえより制御できるようになって。

「自分ってだいたいこんなものだな」って
わかるにつれて
好きの、長さも深さもたいしたことないのに
「これが好きなんだ!」って
むじゃきに言えなくなって。

それを
自分は、大人になって
ものわかりがよくなったんだ、
成長したんだって思ったりして。

でもほんとうはうらやましいんだ。
わたしはこれが好き、って言える人が。

ああ、でもこうやって
たいせつな人と一緒にお酒を呑みながら
だらだらとこんなことを話せる時間は
とっても好きなもの、
かもしれないなあ。