わたしは、小学校に入学する前の冬、
はじめての国語辞典を買ってもらった。
小学館の学習国語辞典だった。
黄色くて、大きくて、表紙にはたのしそうな絵が、
たくさん描かれていた。
小学校に入ると、ことばの意味を調べるだけでなく、
コラムや挿絵だけを追って読むようになった。
こども向けの辞典なので、挿絵がたくさん入っている。
辞典をぺらぺらめくっていると、
勉強してないように見えるので、
ひとつの挿絵とその意味をじっくり見た。
中学校に入るとき、はじめて英英辞典を買ってもらった。
周りには英和辞典を使っている人も多かったけれど、
「英英辞典の方が単語を早く覚えられるよ」
との母のことばを信じ、おそるおそる分厚いページを開いた。
結論からいうと、中学生に英英辞典は早すぎた。
何を引いても、最初から単語がひとつもわからない。
宿題が終わらない。泣きそうになる。
わたしの頼みの綱は挿絵だった。
片っぱしから挿絵を眺め、英単語を覚えた。
学年も進み、だんだんと読める単語が増え、
辞書を引くのが楽しくなってくる。
以前より辞書となかよくなって、ふと挿絵を眺めると、
今まで使っていた国語辞典では、
見たことないようなタッチの絵だと気づいた。
線がとても細くて、白黒のシンプルな絵。
「これがアメリカなのか」と思った。
今度は「アメリカっぽいおもしろい絵」を探すのに夢中になった。
就職して、よく辞書を引く仕事をしている。
「えっと、この単語の意味はなんだっけ?」と調べ始めても、
挿絵があると手が止まる。
気になる。
気になってしかたなくなって、
とうとう探していた単語は、どこかへいなくなり、
気づくと知らない単語に囲まれ、漂っている。
そんなとき、わたしの気持ちはとても穏やかだ。
登山の途中、歩いてきた道を振り返って、
「おおー、けっこう歩いてきたなあ」と言いながら、
山の中腹で、持ってきたおむすびをみんな食べてしまう。
挿絵に誘われているときは、そういう満足感がある。
こうした辞書との楽しい半生がいま、
危機を迎えている。
最近、住人の人口流出が深刻だ。
というのも、近年改定された辞書には、
「よりリアルで正確な図解」を目指し、
写真が使われ、挿絵は少なくなってきている。
また、カラーの方が伝わりやすいということで、
全ての挿絵を、口絵としてまとめて載せる辞書もある。
確かに写真はわかりやすい。
挿絵は挿絵でまとめて載っている方が、
ことばを覚えるときには、便利かもしれない。
ただ、わたしは、この味わい深い挿絵を、
見られなくなる日が来るのが寂しい。
曲がり角で不意にぶつかるような、
そんな単語との出会い方がなくなるのが、とても寂しい。
シンプルで情報を伝えすぎない挿絵には、
想像の余白がある。
さらっと眺めて意味をつかんでもいいし、
じっと眺めて「なんでやねん」と突っ込んでもいい。
そんな余白が、残ってほしい。
歴史の教科書に落書きをしておもしろがっていたように
辞書の挿絵は、遊びと学びの間にある余白なのだ。
きょうも、辞書をそっと開く。
影に隠れた人が、飛び出して来るのを期待して。
(おわります)
※出典表記のないものは、すべてOxford Advanced Leaner’s Dictionaryです。良質な挿絵の宝庫です。お手元にある方はぜひ彼らを探してみてください。