マザーハウスと山口さんはイコールだ。
私がマザーハウスを知ったきっかけは、
高校三年生になる春にたまたま観た
山口さんが出演した情熱大陸だった。
そのころの私は途上国に関心があり、
高校を卒業したら、大学でそうした国々について学びたい、
ゆくゆくは国際機関で働きたいと考えていた。
山口さんは取材当時26歳で、
マザーハウスを起ち上げてから1年半が経ったころ。
「社長」という肩書がなんだか似つかわしくない、
かわいらしい女の子といった雰囲気の人で、
画面越しにも伝わってくるバングラデシュの
埃っぽい空気と喧騒の中で、明るく笑っていた。
番組では、山口さんのそれまでの人生にも触れていた。
小学生の時にいじめられていたこと。
でも、中学生になり、柔道と出会い強くなれたこと。
柔道部の強かった工業高校へ進み、
その後、猛勉強の末に慶応大学に合格したこと。
途上国援助の仕事に関心を持つようになり、
国際援助機関でのインターンを経験するものの、
そのあり方に疑問を持ったこと。
そして、自分の目で途上国の現実を見てみようと、
バングラデシュへ渡ったこと。
山口さんのストーリーは
まるでドラマの主人公のようだった。
けれど、私が一番惹きつけられたのは、
徹底して自身と向き合った山口さんの孤独と、
その孤独を抱えたまま突き進む強さだったと思う。
単身でバングラデシュへ渡り、この国を見つめながら、
より良い世界のために何をしたいか、
何がどうあるべきかを、独り、自分に問うていく。
そうして、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」
という山口さんなりの方法を見つけても、
その見つけたものを理解し、山口さんが描いている未来を
想像できた人は、恐らく少なかっただろう。
きっと、孤独だったと思う。
それでも山口さんは、その見つけた答えを持って、
どんどん進んでいった。
周りから、バングラデシュで高品質の
バッグをつくるなんて無理だと言われても、
現地の工場にお金を騙し取られても、
自身が見つけた答えを信じて進んでいった。
その姿が美しくて、高校生だった私は
番組の最後で泣いた。
そして、自分もこのように生きようと思った。
その「このように」を言葉で説明するだけの力は
当時の私にはなかったが、
17歳の高校生のその後の生き方を決定するほどに
山口さんの生き方は美しかった。
こうして私は早くにマザーハウスと出会ったが、
この企業と山口さんの考えを
少しでも理解できるようになり、
心から尊敬するようになったのは、つい最近、
私自身が大学を卒業し、途上国との関わり方を
模索するようになってからだと思う。
私にとってマザーハウスは、
自分の想いや考えが見えなくなった時に、
「マザーハウスの場合はどうだったのだろうか」、
「山口さんはどう考えたのだろうか」と立ち戻る場所で、
この企業の考えを知り、自分と比較することで、
自分の考えや姿勢の特徴をつかむことができた。
そして、自分の考えがはっきりすると
マザーハウスへの理解もより深まった。
こうしてマザーハウスについて理解したことは、
例えば、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」
というマザーハウスの言葉について。
マザーハウスは、「途上国をビジネスで救う」だとか、
「貧困をなくすのは援助ではなく雇用だ」とか、
そういった文脈で語られることがある。
たしかに、マザーハウスはビジネスを通じて
バングラデシュや他の生産国の経済に貢献しているし、
その国に雇用を生み出している。
だから、この文脈は間違いではない。
でも、私が理解し、ハッとさせられた
マザーハウスの神髄は、別なところにある。
それは、途上国の人々との関係の取り方だ。
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という
言葉を発する時、マザーハウスは、その視点を
バングラデシュや他の途上国の人々と同じくし、
そこから世界を見ている。
多くの途上国への援助や、途上国に雇用を生みたいと願う
社会起業家の視線が、日本や先進国という「こちら側」から
バングラデシュや途上国という「あちら側」へと向けられ、
「あちら側」の人々を変えていこうとするなかで、
マザーハウスは「こちら側」が「あちら側」へ向ける
視線に疑問を投げかけている。
「あなたたちは、途上国に住む私たちのことを
貧しく、何もできないと一括りにしているけれど、
本当にそうですか?」と。
マザーハウスが誕生して以降、
「バングラデシュに雇用を生む」企業や、
「バングラデシュでソーシャルビジネス」を行う企業は
増えたし、それはきっと「良いこと」なのだろう。
でも、そうした企業が多く誕生するなか、
今でも私にとってマザーハウスが特別なのは、
山口さんが、孤独に自身と向き合って見つけた
この唯一無二の視点があるからなのだと思う。
山口さんの情熱大陸を観て、
こんな風に美しく生きようと思った時から
もう9年経ったが、マザーハウスは
今も、私にとっては敬愛する存在で、
大切な原点だ。
(おわります。)