たまごが、好きだ。
どのくらい好きかというと、どんなに食欲がないときでも、
たまごかけご飯なら食べられるし、
目玉焼きの、のったハンバークと、のっていないハンバーグなら、
迷わず目玉焼きのほうを選択する。
ホテルに泊まって、朝食がバイキングだと、
温泉たまごとスクランブルエッグが、トレイに仲良く並ぶのは当たり前。
それにシェフの焼きたてオムレツなんかがあった日には、
トレイの半分が、たまごになってしまう。
条件反射的に選んでいるので、たまごだらけのトレイに気がつくのは
席に着いたあと。どうしようもないのだ。
ちなみに、生まれて初めてつくった料理は、小学生のときにつくった、
たまご焼きだった。
つまり、「好き」というか、もはや共に人生を歩いている。
たまごは、わたしにとって、そんな存在なのだ。
灯台下暗しとはよく言ったもので、あまりにも身近にありすぎたせいか、
自分が、特別にたまご好き、という自覚がなかった。
世の中の人は、みんなわたしと同じくらい食べていると
つゆほども疑わなかったのだ。
ただ、今思うと、そう考えてしまったのは、家庭環境も
おおいに関係していたのかもしれない。
わたしの育った家庭は、冷蔵庫に、つねにたまごのパックが
2つ以上はいっていた。
そして4人家族にもかかわらず、ゆでたまごをつくるときは、
なぜか1パック(ときには2パック!)全部を茹でた。
お皿の上に山と盛られたゆでたまごは、普通の光景だったのだ。
偏食だったわたしが、嬉々として食べる唯一のものだったせいか、
ゆでたまごを2個、3個とバクバク食べる娘を、
誰も止めることはなかった。
だから、たまご好きを自覚したのは、ほんの数年前である。
わたしには、結婚して6年目のパートナーがいる。
ある日、二人でラーメンを食べにいった。
メニューに写真はなく、彼とわたしは別々のラーメンを選んだ。
『お待たせしました』
運ばれてきた、彼のラーメンを二度見した。
そこには、半分に切られた美しい煮たまごがのっていたのだ。
そして、わたしのラーメンには、たまごがのっていなかった。
悔やんだ。なぜ、そっちを選ばなかったのか、と。
彼は、たまごにも、わたしの視線にも
気がついているのか、いないのか、
いそいそと、ラーメンを食べ始めた。
半分くらい食べおわったときだろうか。
『こっちも、食べてみる?』
と、彼がいった。
目の前にきたラーメンには、「きみ」にスープがかかって、
キラキラしている煮たまごが、まだ残っていた。
あぁ、食べる楽しみを残しているんだな。
そう思った。
その気持ち、わかる。悔しいけど、わかる。
そのとき、彼がさらりといったのだ。
『あ、たまご食べていいよ』
『いや、いいよ。だって、食べたいでしょ?』
心の動揺を隠して言う。
『いいよ、食べて』
と、彼。
『え〜、それは悪いよ』
と、わたし。
そのとき、彼はおもむろにこっちをみた。
『あのさ…、ずっと思ってたんだけど、すごい、たまご好きだよね?
俺も好きだけど、そこまでじゃないんだよね』
想定していない返答だった。
『あれ? わたしってそんなに、たまご好きなの?
……え、たまご好きじゃないの?』
一応、聞いてみる。
『いやいや。なにをいまさら。
いつも、たまごは嬉しそうに食べるなって思ってたし、
食べてる量もね……今だからいうけど、多いよ。
俺も、たまごは好きだけど、まぁほかの食材と同等に好きかな、くらい。
好き度があきらかに違うかな』
彼は、そう言うと残りのラーメンを勢いよく、すすった。
こうして、晴れて自分が、「たまごが好き」と
自覚するにいたったのだ。
自分が単純で悲しくなるが、「好き」というレッテルを貼られたとたん、
たまごのことがすごく気になりだした。
もうそれは、小学校のとき
「あいつ、お前のこと好きだって」と言われて、
それまでひそかに温めていた気持ちが
いっきに暴走したときに似ていた。
それまでは、スーパーでいつも同じ銘柄のたまごを機械的に買っていた。
でも、ちょっと見回してみたら、ブランドごとに餌や育てかたなどに
特色があることがわかってきた。
インターネットで調べたら、お取り寄せできる養鶏場が、いくつもあった。
養鶏場の直売所へいけば、もっと色々買えると知り、遠征も計画した。
家庭において、たまご好きが認証されたのだから、遠慮はしなくなった。
ささやかな贅沢だと、ちょっと高めのたまごを買っては、
きみが箸で掴めることに感動し、ゆでたまごにしたときの
ホクホク感の違いに驚き、でも、日常的に買っている
普通のたまごを食べて、やっぱりどれも美味しいな、とおもったりと、
たまご好きライフを、めいっぱい楽しんでいた。
ところが、そんな生活が、グラつく事態におちいったのだ。
(後編へ続きます。
素直に「好き」になれない自分と、向き合ったお話しです。)

「好き」を、思い出させてくれたもの
学生のころ、好きなものは、たくさんあった。
でも、歳をかさねるほどに、自分の感情に冷静になる。
自問自答にも似た、「本当に、好き?」という問い。
そうこうしているうちに、失いかけた「好き」という感情。
それを、思い出させてくれたもの。
それが、たまごだった。