26歳の春。
いつもの様に、
携帯画面を下から上へスクロールしていた時。
ふいに指が止まった。
「お寺で食と音楽のイベント…?」
どうやら
お寺で食事をしながら、音楽を聴くことができるという。
飲食してもいいんだ…。斬新だなあ。
出店者、出演者は地域の方々が中心のようだ。
もうちょっとしたフェスである。
場所は鎌倉の、浄智寺。
少し話は脱線するが、鎌倉といえば
14歳の頃から7年間通い続けている場所だ。
大きな海。どっしりした山々。
自然に守られているようで、ほっと安心できる。
海や山が側にある暮らしがしてみたい。
ここに住めたらどんなにいいだろう、ずっと憧れていた。

14歳の初夏。
初めて鎌倉を訪れた私は、
高台から坂を下りながら、眼下に広がる景色を見ていた。
後ろを振り返れば山、遠くを見れば海が見えた。
このまちに住んでいる人たちが羨ましかった。
今日は山と海どっち行く?
そんな会話をして
友達と遊ぶ場所を決めているんだろうか。
学校の帰り道は、海に泳ぎにいくのかな。
いいなあ。憧れるなぁ。

大学に入ってからは月2、3回は行っていたと思う。
自由に使える時間があり余るほどあった。
「天気がいいな。鎌倉行っちゃおう」
午後の授業がない日は、鎌倉デーだった。
ガイドブックでお寺や飲食店を調べては、
片道2時間かけてはるばる通っていた。
当時考えていたことは、
「なぜか鎌倉へ行くと元気になれる」ということ。
気分はすっきり。清々しい気分で帰路に着けるのだ。
大学3年生の就活時、SPIのテスト勉強に加え
退屈な就職説明会にうんざりしていた。
履きなれない硬いパンプスに、
堅苦しいリクルートスーツで
鎌倉行きの電車に「えいっ」と飛び乗る
こともしばしばあった。
電車から降りると、ふっと潮の香りがする。
お寺でぼうっと過ごすために、
大きな海を見るために。
わざわざ通っていた。
海を見て、自分の悩みの小ささに気づくこともあった。
お寺の軒下で目をつぶって座っていると
うぐいすの鳴き声、風の音
木々の揺れる音が聞こえてくる。

しばらくすると
考えていることが徐々にまとまってくる。
凝り固まった皮がどんどん剥がされて、ツルッとした
「ピュアな心」が表れるような、気持のいい感覚だった。
答えはいつもシンプルなのに
日々の情報量の多さに振り回され、いらない見栄が
自分の進む方向性を分からなくしていたのだろう。
「ぐるぐる考えていたけど、やっと分かった」
頭がすっきりして、清々しい。
やっぱり来てよかったと、毎回思っていた。
きっと私にとって鎌倉は、
「非日常」を感じさせてくれる特別な場所なんだと思う。
一旦現実から切り離して無駄なものをそぎ落としてくれる、
不思議な力があると思う。
ーー話は元に戻るが、浄智寺で行われる
食と音楽のイベントには興味津々だった。
「おもしろそう。浄智寺太っ腹だなあ」
当時は呑気に考えていた。
行かない理由はなかった。
参加しよう。
気楽に決めたことだったが、
鎌倉では、かけがえのない出会いが待っていた。
(つづく)