もくじ
第1回祖母の働く姿 2017-05-16-Tue
第2回昼は鉄骨、夜はトラック。 2017-05-16-Tue
第3回人を泣かせることは、しない。 2017-05-16-Tue

日本酒と芋煮とばあちゃんの漬物をこよなく愛する90年生まれ。地方で編集の仕事をしています。

ばあちゃんの仕事論。

担当・逸見栞

社会人になって、3年が過ぎた。
入社した時、「何があっても絶対に3年は働く」と決めていた。
仕事は、思っていたよりも何倍も楽しいものだった。
とはいえ、当たり前だけど楽しいことばかりじゃない。
そんな時の支えのひとつが、祖母の言葉だった。

祖母の家に遊びに行くたび、 
「いつも素直でいなさい」
「いくら理不尽なことがあっても、敬う態度は忘れないように」
「誰もいないところでも努力すること。必ず誰かが見てくれてるから」
などと、助言をくれる。
正直な話、言われる時は「そんなこと言ったって」と
心の中で反発していたけれど、
後から反芻して、少しずつ体に染みてくる言葉だった。

こんな風に祖母からはいつも、
「働く」心構えのようなものをいつも聞いてきたのに、
祖母には仕事の話を聞いたことが一切なかった。
祖母は、どうしてそんな言葉を私に言うんだろう。
どんな風に仕事をしてきたのだろう。

この機会に仕事の話を聞いてみることにしました。
全3回でお届けします。

第1回 祖母の働く姿

祖母は、祖父が立ち上げた鉄骨会社で、
長年いっしょに働いてきた。
工場は家と併設していて、
子どものころ、祖母の家へ遊びに行くと、
鉄骨を切る「キーーーーン」という音が鳴り、
火花が散っていた。

「危ないからいっちゃだめ」と母に言われ、
仕事中は遠くから見ているだけだった。
中は入れるのは、仕事が休みの時だけ。

工場は2階建てくらいの吹き抜けで、
天井にはクレーンのようなものがぶら下がっていて、
赤い鉄骨がそこかしこに置いてあり、
足元にはがしゃがしゃと鉄くずがあった。
工場はいつも埃っぽくて、独特の匂いがした。

高い窓から差し込む陽の光に、
鉄なのか何なのかはわからないけれど、
埃がキラキラと光ってきれいだったのを
何となく覚えている。

「よく来たな」と迎えてくれる祖父母の手は、
よく洗ったはずなのに、爪の間まで真っ黒だった。

高校へ入学した時、祖父が
「あの高校の自転車小屋は、うちでつくったんだ」
と話してくれたことがあった。

初めて祖父母が手がけたものを見て感激し、
「あれ、うちのじーちゃんの工場でつくったんだよ」
と友達に自慢したのを覚えている。
(友達は「へー」とかそんな反応しかくれなかった)

2011年に祖父が亡くなってからは、
息子であるおじさんが継いで、祖母は引退し、
今は畑仕事や趣味のグランドゴルフや絵を楽しんでいる。

思い返すと、祖父が働いていた姿は思い出せるのに
祖母が働いている姿はどうしても思い出せない。

でも、祖母が私にかける「仕事論」的なものは、
どれも妙に説得力があった。

(つづきます)

第2回 昼は鉄骨、夜はトラック。