(THE BLUE HEARTS〔ザ・ブルーハーツ〕の
『リンダ リンダ』が流れている)
♪どーぶねーずみ みたいにー うつくしくなーりーたいー
- 糸井
- ‥‥あれ? 来ないね(笑)。
♪しゃしんーには うつらない うつくしさがあーるーかーらー
- 糸井
- 間が悪いなぁ‥‥。
♪リンダリンダ〜!リンダリンダリンダァ!‥‥
- 田中
- (踊りながら部屋に入ってくる)
- 一同
- (爆笑)
- 田中
- よろしくお願いします。
- 糸井
- 僕は、田中泰延(ひろのぶ)さんのファンなんです。
- 田中
- (笑)いえいえ、とんでもない。
今日は、この、大阪キャラメルプリンケーキを。
- 糸井
- やっぱり「手土産研究家の田中さん」ですね。
- 田中
- いったいいつの間にそんなことになったんでしょうか(笑)。
- 糸井
- じつは僕もわりと手土産好きな人間だったんですけど、
どこかで面倒くさくなって、やめちゃったんですよ。
僕にとって「手土産」のおおもとの考え方みたいなのって、
土屋耕一さんなんです。
- 田中
- はい、コピーライターの。
- 糸井
- 同業の神さまみたいな人です。
土屋さんは、
最初アルバイトのような形で資生堂の宣伝部に入ったときに、
「これからちょっと一杯やるから、お前何か買って来いよ」
って、お使いに行かされていたそうなんです。
で、そのときに買ってくるものが気が利いているってことで
社員になったらしくて。
- 田中
- なるほど。そういうの、あると思います。
あ、でも僕は「つまらないものですが」っていうのも、
いいコミュニケーションだと思っていて。
受け取った側が、
「本当につまらないね〜」って言うのも(笑)、
すごくいいなぁ、って。
- 糸井
- うんうん(笑)。
でもあの‥‥田中さんは、
その「つまんない」のハードルを
ものすご〜く下げた状態で、
お土産を選んでこられますよね(笑)。
- 田中
- そうですね(笑)。
大阪のいいところは、
ネーミング自体がくだらないお土産が
豊富にあるっていうところで。
中身のおいしさとかは、まったく問われない。
- 糸井
- そうそう(笑)。
- 田中
- 一応、コミュニケーションツールになるんですよ。
- 糸井
- なってますよね。
その一方でこの間、塩野米松さんがいらっしゃったときは、
目黒のほうの揚げ煎餅と揚げ饅頭のセットをくださって。
おいしかったですけど、「あれ?」となっちゃいましたよ。
- 田中
- あのときは、塩野さんがいらっしゃいますから、
きちんと本気を出しておいしいものを選びました。
お約束的に大阪っぽいくだらなさの
お土産をいきなりお持ちしても、
きっと「なんだ、これは?」ってなるでしょうから。
- 糸井
- あれが混じったことで、
僕の中の田中さん像がちょっとずれちゃって。
- 田中
- ぼやけちゃいましたか(笑)。
- 糸井
- それまでは、「つまんないもの」っていう越えやすいハードルを
持ってきて、とにかく相手を跳ばせちゃってたんだけど、
今度はハードルを低くせずに、正攻法で。
僕は「これ、うまいじゃん」って跳ばされちゃった(笑)。
微妙に使い分けてらっしゃいますよね。
ちょっとね、この辺が土屋耕一になるタイプ。
- 田中
- いやいやいや(笑)。
- 糸井
- それまでの路線とはっきり違うから、
心にひっかかりますよね。
手土産ひとつでもコミュニケーションしてるわけですよ、
僕らは。
- 田中
- はい、はい。
- 糸井
- 「これはどういうことだ?」って、
また田中さんへの興味がわきましたから。
- 田中
- やっぱり1回は投げないとだめですね、
ああいう変化球を(笑)。
- 糸井
- 田中さんが最近までおられた電通関西支社は、ある意味、
梁山泊みたいなところですよね。
- 田中
- もう引退はされているんですが、堀井博次さんっていう、
親玉みたいな方がいらっしゃいまして。
東京の、それこそ土屋耕一さんたちが
つくっているようなカッコイイ広告に対して、
関西のノリでとにかくカウンターパンチを食らわせよう、
っていうのでどんどん人が集まっていったんです。
40年くらい前から、
とにかくアホでおもろいCMをバンバンつくって。
そういう、はぐれものの集まりみたいな集団なんですよ。
- 糸井
- そこのお花見に、ぼくがお邪魔したことがあって。
去年の4月ですよね。
そこで田中さんとは初めて直接お会いしたんですけど、
もう、ものすごい盛り上がりでしたから。
みなさん大いにお酒を飲んで(笑)。
- 田中
- 「糸井さんだ!ウオーッ!!」って(笑)。
ひょっとしたら、
糸井コールが起きるんじゃないかっていうくらいの。
- 糸井
- そう。
で、そのバカ騒ぎしてるメンバーはね、
バカじゃないんですよ。
- 田中
- ははっ。そうですね。
- 糸井
- そこがいやらしいところで(笑)
バカとバカじゃなさが同一平面に両方置いてあるんですよ。
- 田中
- なんなんでしょうね、あの人たちは(笑)
あの日は、堀井さんもひどかったんですよ。
「あれぇ?田中、お前、うちに20何年もいて、
何もせぇへんやつかと思ったけど、
糸井重里を連れて来るとはな」って。
ひどいですよね(笑)。
- 糸井
- 外から見ている僕としては、そのチームの中で、
田中泰延っていう人がどういう存在なのかが
まったくわからないんですよ。
- 田中
- とりあえず、僕の呼び方は「ひろ君」なんです。
- 糸井
- (笑)つまり、27歳くらいの人の呼ばれ方ですよね。
- 田中
- 入社以来、ずっとひろ君なんですよね。
大きい会社の社長や重役の方々が、
バーッと20人以上並ぶようなプレゼンのときにも、
「では、具体的なCMの企画案については、ひろ君のほうから」。
- 一同
- (笑)
- 田中
- なんだか場がザワザワしはじめて、
社長さんが秘書の方に「ヒロクンって誰だ?」って(笑)。
「すいません、ひろ君と紹介されましたが、田中でございます」
で、プレゼンを始めるという。
- 糸井
- でもそれは、嫌じゃなかったんですよね。
- 田中
- いや、もう居心地がよすぎて。
- 糸井
- そうだよね。
そのノリは自分もそうだったから、わかります。
どのくらいそこにいたんですか?20年以上?
- 田中
- 24年ですね。
- 糸井
- 相当長いですよねぇ。実際に仕事もたくさんして。
- 田中
- はい。
- 糸井
- 僕が最初に、書く人として田中さんを認識したのは、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムなんです。
なにげなくリンクをたどって読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」って。
まだほんの2年くらい前ですかね?
- 田中
- たぶんそうですね。
そのコラムは2015年の4月に書きましたから。
- 糸井
- おもしろかったんですよ、これが。
- 田中
- ありがとうございます。
- 糸井
- 800字のうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてあるっていう文章で(笑)。
ただ、僕はてっきり27、8歳の若い人が
書いたんだと思ってたんです。
- 田中
- それはそれは(笑)
- 糸井
- こういう子が出てくるんだなぁ、
この子、もっと書かないかなぁ、
って思ってたんですけど‥‥。
- 田中
- 46、7歳のオッサンだったっていう(笑)。
- 糸井
- まさかねぇ(笑)。
- 田中
- きっと、僕が「ひろ君」のまま保存されていたからですね。
- 糸井
- そうか、そうか(笑)。まだ触ると敏感、みたいな状態でね。
- 田中
- そうなんですよ。
あの組織に入った23歳のひろ君のまま、今まで来ちゃって。
それが好き勝手に書くようになったのが46歳のときなんです。
- 糸井
- はぁ〜。
ほんの、つい、2年前ですよ。まいりましたね。
〈つづく〉