もくじ
第1回ひろ君の24年間 2017-03-28-Tue
第2回気づけば7,000字 2017-03-28-Tue
第3回読みたいから書く 2017-03-28-Tue
第4回「ご近所」の距離感 2017-03-28-Tue
第5回釣りとブルーハーツ 2017-03-28-Tue

1981年生まれ。東京生まれ東京育ち、一時期京都、いま東京。

人生相談的</br>「書く書くしかじか」の話

人生相談的
「書く書くしかじか」の話

担当・大城和美

田中泰延(ひろのぶ)、47歳。現在、青年"失"業家ーー。

ほぼ日の塾3期生のための対談にご協力いただいたのは、
無駄に(?)長く、めっぽうおもしろい映画評やコラムで
私たちを楽しませてくれている、田中泰延さんです。

なぜ、あれほどに「書いてしまう」の?
なぜ、会社を辞めたの?
そして、「これからの田中泰延」は?
田中さんの人生相談的な話題もまじえつつの、
糸井重里さんとの「楽しいおしゃべり」をまとめました。
最後まで読んでいただければうれしいです。

プロフィール
田中泰延さんのプロフィール

第1回 ひろ君の24年間

(THE BLUE HEARTS〔ザ・ブルーハーツ〕の
 『リンダ リンダ』が流れている)

♪どーぶねーずみ みたいにー うつくしくなーりーたいー

糸井
‥‥あれ? 来ないね(笑)。

♪しゃしんーには うつらない うつくしさがあーるーかーらー

糸井
間が悪いなぁ‥‥。

♪リンダリンダ〜!リンダリンダリンダァ!‥‥

田中
(踊りながら部屋に入ってくる)

一同
(爆笑)
田中
よろしくお願いします。
糸井
僕は、田中泰延(ひろのぶ)さんのファンなんです。
田中
(笑)いえいえ、とんでもない。
今日は、この、大阪キャラメルプリンケーキを。

糸井
やっぱり「手土産研究家の田中さん」ですね。
田中
いったいいつの間にそんなことになったんでしょうか(笑)。
糸井
じつは僕もわりと手土産好きな人間だったんですけど、
どこかで面倒くさくなって、やめちゃったんですよ。
僕にとって「手土産」のおおもとの考え方みたいなのって、
土屋耕一さんなんです。
田中
はい、コピーライターの。
糸井
同業の神さまみたいな人です。
土屋さんは、
最初アルバイトのような形で資生堂の宣伝部に入ったときに、
「これからちょっと一杯やるから、お前何か買って来いよ」
って、お使いに行かされていたそうなんです。
で、そのときに買ってくるものが気が利いているってことで
社員になったらしくて。
田中
なるほど。そういうの、あると思います。
あ、でも僕は「つまらないものですが」っていうのも、
いいコミュニケーションだと思っていて。
受け取った側が、
「本当につまらないね〜」って言うのも(笑)、
すごくいいなぁ、って。
糸井
うんうん(笑)。
でもあの‥‥田中さんは、
その「つまんない」のハードルを
ものすご〜く下げた状態で、
お土産を選んでこられますよね(笑)。
田中
そうですね(笑)。
大阪のいいところは、
ネーミング自体がくだらないお土産が
豊富にあるっていうところで。
中身のおいしさとかは、まったく問われない。
糸井
そうそう(笑)。
田中
一応、コミュニケーションツールになるんですよ。
糸井
なってますよね。
その一方でこの間、塩野米松さんがいらっしゃったときは、
目黒のほうの揚げ煎餅と揚げ饅頭のセットをくださって。
おいしかったですけど、「あれ?」となっちゃいましたよ。
田中
あのときは、塩野さんがいらっしゃいますから、
きちんと本気を出しておいしいものを選びました。
お約束的に大阪っぽいくだらなさの
お土産をいきなりお持ちしても、
きっと「なんだ、これは?」ってなるでしょうから。
糸井
あれが混じったことで、
僕の中の田中さん像がちょっとずれちゃって。
田中
ぼやけちゃいましたか(笑)。
糸井
それまでは、「つまんないもの」っていう越えやすいハードルを
持ってきて、とにかく相手を跳ばせちゃってたんだけど、
今度はハードルを低くせずに、正攻法で。
僕は「これ、うまいじゃん」って跳ばされちゃった(笑)。
微妙に使い分けてらっしゃいますよね。
ちょっとね、この辺が土屋耕一になるタイプ。

田中
いやいやいや(笑)。
糸井
それまでの路線とはっきり違うから、
心にひっかかりますよね。
手土産ひとつでもコミュニケーションしてるわけですよ、
僕らは。
田中
はい、はい。
糸井
「これはどういうことだ?」って、
また田中さんへの興味がわきましたから。
田中
やっぱり1回は投げないとだめですね、
ああいう変化球を(笑)。
糸井
田中さんが最近までおられた電通関西支社は、ある意味、
梁山泊みたいなところですよね。
田中
もう引退はされているんですが、堀井博次さんっていう、
親玉みたいな方がいらっしゃいまして。
東京の、それこそ土屋耕一さんたちが
つくっているようなカッコイイ広告に対して、
関西のノリでとにかくカウンターパンチを食らわせよう、
っていうのでどんどん人が集まっていったんです。
40年くらい前から、
とにかくアホでおもろいCMをバンバンつくって。
そういう、はぐれものの集まりみたいな集団なんですよ。
糸井
そこのお花見に、ぼくがお邪魔したことがあって。
去年の4月ですよね。
そこで田中さんとは初めて直接お会いしたんですけど、
もう、ものすごい盛り上がりでしたから。
みなさん大いにお酒を飲んで(笑)。
田中
「糸井さんだ!ウオーッ!!」って(笑)。
ひょっとしたら、
糸井コールが起きるんじゃないかっていうくらいの。
糸井
そう。
で、そのバカ騒ぎしてるメンバーはね、
バカじゃないんですよ。
田中
ははっ。そうですね。
糸井
そこがいやらしいところで(笑)
バカとバカじゃなさが同一平面に両方置いてあるんですよ。
田中
なんなんでしょうね、あの人たちは(笑)
あの日は、堀井さんもひどかったんですよ。
「あれぇ?田中、お前、うちに20何年もいて、
何もせぇへんやつかと思ったけど、
糸井重里を連れて来るとはな」って。
ひどいですよね(笑)。
糸井
外から見ている僕としては、そのチームの中で、
田中泰延っていう人がどういう存在なのかが
まったくわからないんですよ。
田中
とりあえず、僕の呼び方は「ひろ君」なんです。
糸井
(笑)つまり、27歳くらいの人の呼ばれ方ですよね。
田中
入社以来、ずっとひろ君なんですよね。
大きい会社の社長や重役の方々が、
バーッと20人以上並ぶようなプレゼンのときにも、
「では、具体的なCMの企画案については、ひろ君のほうから」。
一同
(笑)
田中
なんだか場がザワザワしはじめて、
社長さんが秘書の方に「ヒロクンって誰だ?」って(笑)。
「すいません、ひろ君と紹介されましたが、田中でございます」
で、プレゼンを始めるという。
糸井
でもそれは、嫌じゃなかったんですよね。
田中
いや、もう居心地がよすぎて。

糸井
そうだよね。
そのノリは自分もそうだったから、わかります。
どのくらいそこにいたんですか?20年以上?
田中
24年ですね。
糸井
相当長いですよねぇ。実際に仕事もたくさんして。
田中
はい。
糸井
僕が最初に、書く人として田中さんを認識したのは、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムなんです。
なにげなくリンクをたどって読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」って。
まだほんの2年くらい前ですかね?
田中
たぶんそうですね。
そのコラムは2015年の4月に書きましたから。
糸井
おもしろかったんですよ、これが。
田中
ありがとうございます。
糸井
800字のうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてあるっていう文章で(笑)。
ただ、僕はてっきり27、8歳の若い人が
書いたんだと思ってたんです。
田中
それはそれは(笑)
糸井
こういう子が出てくるんだなぁ、
この子、もっと書かないかなぁ、
って思ってたんですけど‥‥。
田中
46、7歳のオッサンだったっていう(笑)。
糸井
まさかねぇ(笑)。
田中
きっと、僕が「ひろ君」のまま保存されていたからですね。
糸井
そうか、そうか(笑)。まだ触ると敏感、みたいな状態でね。
田中
そうなんですよ。
あの組織に入った23歳のひろ君のまま、今まで来ちゃって。
それが好き勝手に書くようになったのが46歳のときなんです。
糸井
はぁ〜。
ほんの、つい、2年前ですよ。まいりましたね。

〈つづく〉

第2回 気づけば7,000字