- 田中
- とりあえず、呼び方は「ヒロ君」なんですよ。
- 糸井
- ヒロ君なんですよね。
つまり、27歳くらいの呼ばれ方ですよね。
- 田中
- もうずっと、電通に入社して以来ヒロ君なんですよね。
だから、ひどいこともあって、
大きい自動車会社のすごい社長とか重役とか、
バーッと20何人くらい並ぶプレゼンの時にも、
「では、えぇ、具体的なCMの企画案については、
ヒロ君のほうから」。
- 一同
- (笑)
- 田中
- 向こうはザワザワって、「ヒロ君って誰だ?」
社長が秘書に、「ヒロ君って誰だ?」(笑)。
- 一同
- (笑)
- 田中
- 「いやいや、すいません、ヒロ君と紹介されましたが、
田中でございます」と言って、プレゼンをするという。
- 糸井
- 俺はそこについてはね、自分もそうだったから。
平気なんですけど、
でも、世の中からすると、変ですよね。
- 田中
- そうですよね。
- 糸井
- 「ヒロ君からのプレゼン」ってね(笑)。
- 田中
- 「ヒロ君からのプレゼン」、芸名じゃないだから(笑)。
- 糸井
- いや、そこで育った僕ですが、
嫌じゃなかったんですよね。
- 田中
- いや、もうそれは居心地よすぎて。
- 糸井
- 居心地いいね。20何年?
- 田中
- 24年。
- 糸井
- 相当長いですよね。
- 田中
- 糸井さんと初めて京都でお会いした時に、
タクシーの中で、僕は最初に聞いたんですよね。
「ほぼ日という組織をつくられて、
その会社を回して、大きくしていって、
その中で好きなものを毎日書くっていう、
この状態にすごい興味があります」って言ったら、
糸井さんが、「そこですか」っておっしゃったんですよ。
それが忘れられなくて。
- 糸井
- 辞めると思ってないから。
- 田中
- あぁ。
- 糸井
- 電通の人だと思ってるから。
- 田中
- そうですよね。
- 糸井
- それは、「そこですか」って思いますよ。
だから、「あれ?この人、電通の人なのに、
そんなこと興味あるのか」っていうのは、
「えぇーっ」と思ったんですね。
- 田中
- その時、僕も辞めるとはまったく思ってなくて。
- 糸井
- あれは4月ですよね。
- 田中
- はい。辞めようと思ったのが、11月の末ですね。
- 糸井
- (笑)
- 田中
- で、辞めたのが12月31日なんで、
1ヶ月しかなかったです。
- 糸井
- 素晴らしい。
- 永田
- 11月末に何かあったんですか?
- 田中
- いや、なんか、これが本当にね、
- 糸井
- (笑)
- 田中
- 理由になってないような理由なんですけど、やっぱり、
- 糸井
- ブルーハーツ?
- 田中
- ブルーハーツですよ。
50手前にオッサンになっても中身は
20うん歳のつもりだから、
それを聞いた時のことを思い出して、
「あ、これは、なんかもう、
このように生きなくちゃいけないな」って。
かと言って、何か伝えたいこととか、
「熱い俺のメッセージを聞け」とかないんですよ。
相変わらず、なんか見て聞いて、
「これはね」ってしゃべるだけの人なんですけど、
でも、なんか、「ここは出なくちゃいけないな」
ってなったんですよね。
- 糸井
- どうしてもやりたくないことっていうのが
世の中にはあって、
そこを僕は本当に逃げてきた人なんです。
逃げたというよりは捨ててきた。
どうしてもやりたくないことの中に、
なんか案外、人は人生費やしちゃうんですよ。
- 田中
- はい。
- 糸井
- それは、僕は、何かやりたいというよりは、
やりたくないことをやりたくないほうの気持ちが強くて、
そこから、しょうがなく、マッチもライターもないから、
木切れをこうやって火を起こしはじめたみたいなことが
自分の連続だったと思ったんで。
だから、広告も、
なんかどうしてもやりたくないことに似てきたんですよ。
- 田中
- 会社を辞めた理由のもう1つには、
人生、すごい速く感じてきたなと思って。
みんな感じると思うんですけど、
20代の頃と40代だったら、
もう倍以上、日が暮れるのも早くなるし。
うちのね、祖母さんが死ぬ前に言った、
僕忘れられない一言なんですよ。
80いくつで死んだ、うちの祖母がね、こう言ったんですよ、
「あぁ、この間18やと思ったのに、もう80や」って(笑)。
- 一同
- (笑)
- 田中
- その一言でものすごい時間をね(笑)、
- 糸井
- 素晴らしい。
- 田中
- 60何年のこの時間をピョーンって、そりゃあ速いわなぁっていう。
- 糸井
- それ、泰延さんが言うより、俺、もうちょっと深くわかりますね。
- 田中
- (笑)僕まだね、実感がない。
「この間18やったのに、もう80や」って、
その1行でね(笑)。
- 糸井
- あいたたたた(笑)。
- 田中
- はや(速)って。