(糸井とほぼ日乗組員が準備したブルーハーツの『リンダ リンダ』。
サビに入った瞬間に、踊りながら田中さんが登場しました。)
- 田中
- どうも〜!今日は、この『大阪キャラメルプリンケーキ』。
- 糸井
- いつもありがとうございます。ミスター手土産。
いやいや、いらっしゃいました。
- 田中
- 大阪でお目にかかって、一週間ぶりで。
- 糸井
- 今日も、いつものようにですけど、いくつかの紙袋に、手土産が入っていて、「手土産研究家の田中さん」っていうふうにぼくは認識しています。
どうしてあんなに手土産を?営業やってらっしゃったんですか?
- 田中
- いやいや、まったくやったことないですけど、やっぱり貰うとうれしいっていう経験がすごく大きくて。
ほぼ日さんに伺う時はメッチャいいもの貰えるじゃないですか。
- 糸井
- ぼくは最初、田中さんのこと、なんか書く人っていう認識が何もなかったんです。
でも、東京コピーライターズクラブのリレーコラムを、だれかが紹介してたんですよ。読み始めたらおもしろくて。「誰これ?」って思ったのが、せいぜい2年前くらい。
それまで、「田中泰延」名義で、ああやって個人の何かを書くことはなかったんですか?
- 田中
- いっさい。なかったんです。
で、ぼくたちこの仕事だから、キャッチコピー20文字程度、ボディコピー200文字とかは・・
- 糸井
- はいはい。
- 田中
- それ以上長いものを書いたことが、もう人生にないですから。
- 糸井
- みんな笑ってます(笑)
- 田中
- それまで一番長かったのが、大学の卒論。芥川龍之介の『羅生門』の小説だけで原稿用紙200枚くらい書きました。
これは人の本の丸写しですから、書いたうちに入らないですね。
- 糸井
- それしか書いてないんですか?
- 田中
- その後、なんか書くって言ったら、2010年にツイッターに出会ってからですね。140文字までしか書けないので・・広告のコピー書いてる身としては、こんな、楽だっていうことで始めたんです。
- 糸井
- じゃあ、広告の仕事をしてる時は、本当に広告人だった?
- 田中
- もう真面目な・・ものすごく真面目な広告人!(笑)
- 糸井
- コピーライターとして文字を書く仕事とプランナーもやってたんですね。
- 田中
- いわゆる文字を書くコピーっていう仕事がほとんどなくて。実質20年くらい、テレビCMの企画ばっかり。
だからツイッターができた時には、なんか文字を書く、これが打った瞬間に活字みたいなものになって、人にばらまかれるっていうことに関して、「俺は飢えていた」っていう感覚がありました。
- 糸井
- すごい、たまり方ですね。
- 田中
- たまってました、ね。
もうすごいんです。ためにたまった、何かが(笑)。
- 糸井
- びっくりですね(笑)
っていうことは、筆下ろしが、コピーライターズクラブの・・
- 田中
- はい。
- 糸井
- どのくらいでしょうね、あれ、800字くらいの感じかな。
800字のうち600字くらいは、どうでもいいことだけが書いてあるっていう文章(笑)。
で、おもしろかったんですよ。
ぼく、27、8の若い人だと思って。こういう子が出てくるんだなぁ、もっと書かないかな、この子がって。
- 田中
- 46、7のオッサンだったっていう(笑)。
- 糸井
- 20歳開きがある(笑)。で、映画評みたいなものが次ですか?
- 田中
- はい。
- 糸井
- 西島さんっていう方が自分のクリエイティブブティックみたいなものを起こされて・・
- 田中
- ある日、突然大阪を訪ねて来られて、
ぼくの所に「明日会いましょう」と。
「なんですか?」って言ったら、大阪のヒルトンホテルで、すごくいい和食が用意してあって。
「食べましたね、今」「つきましてはお願いがあります」「うちで連載してください」と。
- 糸井
- はぁ。
- 田中
- で、「分量はどれくらいがいいですか?」って聞いたら、
ツイッターでは2、3行で映画評をしていることもあるので。2、3行でいいです、と。
「いいの?映画観て2、3行書けば、なんか仕事的な?」、
「そうです」って言うから、映画を観て
・・次の週に、とりあえず7,000字書いて送りました。
- 糸井
- (笑)たまった欲が。
- 田中
- そう。書いてみると、やっぱり、ね。
2、3行書くつもりだったんですよ。
そうしたら、初めて、「勝手に無駄話が止まらない」っていう経験をして。2、3行のはずが7,000字になってたんですよ。
キーボードに向かって、「俺は何をやっているんだ、眠いのに」っていう。
- 糸井
- うれしさ?
- 田中
- なんでしょう?「これを明日ネットで流せば、絶対笑うやつがいるだろう」とかっていう想像をすると、ちょっと取り付かれたようになったんですよね。
- 糸井
- 一種こう、大道芸人の喜びみたいな感じですねぇ。
もし雑誌のメディアとかなんかだったら、打ち合わせがどうだとかなんとかで、そんな急に7,000字って、まずないですよね。頼んだほうも頼んだほうだし、メディアもインターネットだったし、本当にそこの幸運はすごいですね。
- 田中
- その後、雑誌に寄稿っていうのもあったんです。
だけど、雑誌は、やっぱり反響がないので。
つまり、印刷されてから、それに対してぼくに直接、「おもしろかった」とか、「読んだよ」とかないので、いくら印刷されて、本屋に置いてあっても、なんかピンと来ないんですよね。
- 糸井
- はぁ、インターネットネイティブの発想ですね。
若くないのに、そのね。
- 田中
- 45にして(笑)。
で、前は大きい会社の社員で、夜中に仕事終わった後書いてましたけど。今は何を書いても生活の足しにならないから、じゃあ、どうするんだ?っていうフェイズには入っています。
でも、ぼくの中では、未だに、何かを書いたら、お金ではなく、「おもしろい」とか、「全部読んだよ」とか、なんか「この結論は納得した」とかっていうその声が報酬になってるんですね。
(つづきます)