もくじ
第1回実はラブレターを書くのが苦手なんです。 2017-03-28-Tue
第2回「これがいいなぁ」を伝えたい。 2017-03-28-Tue
第3回ばかばかしいことをしながら生きていたい。 2017-03-28-Tue
第4回水たまりでも魚は泳いでいるんです。 2017-03-28-Tue

1993年東京生まれ。一にカレー、二にあんこ、三にビール。とにかくおいしいものに目がない人です。

ドブネズミみたいに美しくなりたい</br>ー等身大で生きるにはー

ドブネズミみたいに美しくなりたい
ー等身大で生きるにはー

担当・柴萌子

ほぼ日の塾の講師・永田泰大が企画する対談のゲストは、
豊富な知識と切れ味ある語り口で
読んでいるこちらもゾクっとさせられる映画評
「田中泰延のエンタメ新党」でおなじみの田中泰延さん。
私が初めて田中さんを知ったのは、
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』評でした。
(「V8! V8! V8!」
ちなみに私は20回観ました‥‥。)

田中泰延さんは、
2016年末に24年間勤めた電通を退職し、
現在は「青年失業家」とみずからを称しています。
ここでも明かされますが、電通を退職した本当の理由は、
田中さんが大好きなバンドの
THE BLUE HEARTSにあるのだそう。

筆達者なかたと思いきや、
実はラブレターを書くことが苦手だったり、
書くことよりも読むことのほうがお好きだったり、
「意外!」のオンパレードでした。

そんな田中泰延さんの
これまでの話と、これからの話をおうかがいしました。
全4話、最後までぜひごゆっくりおたのしみください。

プロフィール
田中泰延さんのプロフィール

第1回 実はラブレターを書くのが苦手なんです。

田中
1週間ぶりですね。先日は大阪でお目にかかりました。
あの、今日は、大阪キャラメルプリンケーキを
持ってきました。
糸井
いやいや、いらっしゃいました。
いつもお土産、ありがとうございます。

糸井
田中さんの人生を1時間で語れるかなぁ(笑)。
田中
いやぁ、もう、今日は本当に、
なにを喋っていいのかわからないので、
糸井さんから聞かれたことに対して、
言葉少なに答えようかなと思っています。
糸井
放っておいたら1人でやってくれますから、この人(笑)。
田中
いや、そんな。漫談家じゃないんですから。

糸井
ぼくが最初に田中さんを知ったのは、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムで。
田中さんのコラムを誰かが紹介していたんです。
ぼくもかつてコピーライターズクラブにいたので、
「今はこんなことをやっているのか」
と思って読み始めたらおもしろくて、
「この人は誰なんだ?」って。
まだせいぜい2年くらい前のことです。
田中
たぶんそのくらいですね。
そのコラムは、2015年の4月くらいに書きました。
糸井
それでぼく、そのコラムを初めて読んだときに、
田中さんのことを
27,8歳くらいの若いかただと思っていて。
 
「こういう子が出てくるんだなぁ」、
「この子がもっと書かないかなぁ」と思っていたら、
そのあと、
27,8歳ではないとわかったんですよね(笑)。
田中
46,7歳のおっさんだった、という。
糸井
20歳も開きがある(笑)。
でも、まだ触ると敏感みたいな。ね。
田中
そうなんですよ。

糸井
それまで田中泰延名義で、
個人の文章を書くことはなかったんですか?
田中
それが、一切なかったんです。
 
この仕事(コピーライター)は、
20文字程度、ボディコピー200文字くらいで、
それ以上の長い文章を書いたことが、
人生にはなかったんです。
一同
(笑)
田中
これまで書いてきたもののなかで一番長かったものは、
大学の卒論です。
原稿用紙200枚ぶんくらい書きました。
でも、これは人の本の丸写しなので、
書いたうちに入らないですね。
糸井
ちなみに、それはなんの研究ですか?
田中
芥川龍之介の『羅生門』の小説です。
いろいろな人の丸写しで、切ったり貼ったりしました。
 
担当教授にそれを見せたら、
「これはわたしには評価できません。
これを荒俣宏さんのところに送るので、
おもしろがってもらいなさい」と言われました。
 
とんでもないところから切ったり貼ったりしようという
意識は当時からあったんですよね。
『羅生門』に
「きりぎりすが泣いている」という1行があるんです。
それに関しては、
「どんな種類のきりぎりすが、
この小説の舞台になった時代の京都にいるのか」
など、無関係なことをたくさん書きました。
糸井
いわゆる、「博覧強記」というジャンルに入りそうなものを
書いたんですね。
田中
たぶん、そのときからぼくは多少変だったんだと思います。
なので、今もそれにちょっと近いかもしれません。
糸井
のちに、ぼくらが「石田三成研究」で味わうようなことを、
大学の教授が味わったわけですね。
 
というと、田中さんは、それまで
その卒論しか書いたことがないんですか?
田中
そうなんです。それだけですね。
糸井
ラブレターも書いたことがないんですか?
田中
まったく、もう苦手で。
その後、なにか書くといったら、
2010年に出会ったツイッターです。
 
ツイッターは140文字までしか書けないので、
広告のコピーを書いている身としては
ラクだということで始めたんです。
 
だから、ツイッターができたときには、
なにか文字を書いて打って、
これが活字のようなものになって
人にばらまかれるということに関して、
ぼくは飢えていたという感覚がありました。
糸井
あぁ。なるほど。
友達同士のメールのやりとりも、
あまりしたことがなかったんですか?
田中
そうですね。
友達とのメールもあまりしていませんでした。
糸井
すごい溜まっていますね。
田中
溜まっていましたね。
糸井
性欲みたいに(笑)。
田中
もうすごいんですよね。
溜まりに溜まった何かが(笑)。
糸井
ということは、田中さんの筆おろしは、
コピーライターズクラブのリレーコラムですか?
田中
はい。そうなんです。
糸井
そして、次が「田中泰延のエンタメ新党」の映画評ですか?
 
※田中泰延のエンタメ新党:
西島知宏さん主宰のWebメディア
「街角のクリエイティブ」のコラム
田中
そうですね。
ぼく、ツイッターにときどき、
「昨日観た映画、ここがおもしろかった」と、
2,3行つぶやいていたんですね。
 
そのつぶやきと
東京コピーライターズクラブのリレーコラムを読んだ
元電通の西島知宏さんが、
「うちのメディアで連載してください」と。
糸井
なるほど。そのようないきさつで。
田中
それで、「分量はどれくらいですか?」と聞いてみたら、
「ツイッターでも
2,3行で映画評をされてるときもあるので、
2,3行で大丈夫です」と。
 
「2,3行でいいんですか?」と聞き直したのですが、
「そうです」と言われたので、
映画を観て、次の週に7000字書いて送りました。

一同
(笑)
糸井
溜まった性欲が。
田中
そうなんです。
書いてみると、やっぱり、
2,3行のはずが7000字になってしまったんです。
糸井
書き始めたらそうなってしまったんですか?
田中
はい。そうなってしまいました。
第2回 「これがいいなぁ」を伝えたい。