もくじ
第1回ずっと、書かない人でした。 2017-03-28-Tue
第2回2,3行が、7000字に。 2017-03-28-Tue
第3回読み手として、書く。 2017-03-28-Tue
第4回二人のブルーハーツ 2017-03-28-Tue
第5回釣りとインターネット 2017-03-28-Tue

座っているときは小さく見えるそうですが、実際は身長189㎝。
立ち上がると驚かれます。
北海道という広大な土地で、のびのび育ちました。

二人のブルーハーツ</br>田中泰延×糸井重里

二人のブルーハーツ
田中泰延×糸井重里

担当・那須野達也

2016年12月31日に、今まで勤めてきた会社を
退職された、田中泰延さん。

2017年2月。
退職されて2ヶ月がたった田中泰延さんと
糸井重里さんが対談しました。

コピーライターから、違った道を
歩んでいる糸井重里さんと
これから歩もうとしている田中泰延さん。

全5回の対談。どうぞご覧下さい。

プロフィール
田中泰延さんのプロフィール

第1回 ずっと、書かない人でした。

糸井
電通では、20何年働いたんですか?
田中
24年ですね。
糸井
相当長いですよね。で、実際に仕事もたくさんして。
広告の仕事をしている時は、本当に広告人だったんですか?
田中
もう真面目な、ものすごく真面目な、
伝わるかわかりませんけど、ものすごく真面目な広告人。

糸井
(笑)
それは、コピーライターとして
文字を書く仕事とプランナーもやっていたんですね。
田中
はい、テレビコマーシャルを。
糸井
仕事の配分はどんな感じですか?
田中
僕がいた電通の関西支社は、
ポスター、新聞、雑誌などの仕事は
そこまで多いわけではなかったんですね。
だから、いわゆる文字を書く、コピーを書くという仕事を
ほとんどしてないんですよね。
実質20年くらい、
テレビCMの企画ばっかりやっていました。
もちろんテレビCMの最後には、
何かコピーっていうものが載りますけど。
糸井
「来てね」とかね(笑)。
田中
そう、「当たります」とか(笑)。
だから、ツイッターができた時に、
文字を打った瞬間、活字になって、
人にばらまかれるってことに、
僕は飢えていたなと、当時感じました。
糸井
友達同士でのメールのやりとりとか、
そういう遊びもしてなかったんですか?
田中
してなかったですね。
糸井
ということは、筆下ろしは、
コピーライターズクラブのリレーコラム。
田中
はい。
糸井
800字くらいで、
そのうちの中身にあたるものはほとんどなくて。
田中
まったくないですね。
糸井
800字のうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてあるっていう文章。
それが、おもしろかったんですよ。
田中
ありがとうございます。
糸井
僕が田中さんを「書く人」だと認識したのが、
東京コピーライターズクラブのリレーコラム。
誰かがちょっと紹介していたんですよ。
それで、読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」って思ったというのが、2年くらい前かな。
コラムを読んだ当時、僕は、
書いているのが27、8の若い人だと思っていたんです。
こういう子が出てくるんだなぁって(笑)、
田中
(笑)
糸井
「この子が、もっと書かないかな」と思っていたんですね。
いつ頃だろう、27、8じゃないってわかったのは(笑)。
田中
46、7のオッサンだったっていう(笑)。

糸井
20歳の開きがある(笑)。
それまで、田中泰延名義で、
何かを書くことはなかったんですか?
田中
一切なかったんです。
キャッチコピー20文字程度、ボディコピー200文字とか。
糸井
はいはい。
田中
それまで一番長かったのが、大学の卒論かな。
現行用紙200枚くらい書いたんです。
まあ、人の本の丸写しですから、
書いたうち入らないですけど。
糸井
ちなみに、それは何の研究なんですか?
田中
芥川龍之介の『羅生門』の小説で
200枚くらい書きました。
糸井
ほぉ。
田中
もういろんな人の、丸写し。
糸井
切ったり貼ったり?
田中
切ったり貼ったり、切ったり貼ったりして。
そして、その時に担当教授にそれを見せたら、
「これは、私は評価できません」と。
それで「荒俣宏先生の所にこれを送るから、
おもしろがってもらいなさい。
とりあえず卒業させてあげますけど、私は知りません」
と言われたんです。その時から変だったんでしょうね。
糸井
いわゆる「博覧強記」というジャンルに
入りそうなものを書いたんですね。
田中
そうですね。
その切ったり貼ったりを、
とんでもない所から切ったり貼ったりしようという
意識はあったんですよ。
「ここは、これにこうくっ付く」とか。
小説の中で、「きりぎりすが泣いている」っていう
1行があるんですけど、それに関して
「この1100年代くらいの京都には
なんていう種類のきりぎりすがいるのか」とか、
まったく無関係なことをたくさん書いたんですね。
糸井
あぁ。
田中
だから、今書いているものと、ちょっと近いかもしれない。
糸井
のちに、僕らが
「石田三成研究(:秒速で1億円稼ぐ武将
石田三成 ~すぐわかる石田三成の 生涯~)」
で味わうようなことを、大学の先生が味わったわけですね。
それしか書いてないんですか?
田中
それしか書いてない。
糸井
ラブのレターとか?
田中
まったくもう、苦手で。
その後、なんか書くって言ったら、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
でも140文字までしか書けないので、
広告のコピーを書いている身としては、
「これは楽だな」ということで始めたんです。
糸井
ちょうどいいんですよね、ツイッターって。
その次が、映画評みたいなものですか?
田中
はい。
糸井
西島知宏さんっていう、電通にいた方ですね。
西島さんは、自分のクリエイティブブティック
みたいなものを起こされて。
先輩、後輩で言うと、田中さんが先輩?
田中
はい、7、8年先輩なんです。
糸井
あ、じゃあ、若手の人として付き合ってたんだ。
で、そいつへのはなむけ(贐)というか。
田中
いや、彼も電通に一緒に在籍したのは知ってて、
辞めたのも知ってるんですけど、
なんの付き合いもなかったんですね。
糸井
えっ?そうなんですか。

(つづきます)

第2回 2,3行が、7000字に。