もくじ
第1回「日本一」に登ってみたい。 2017-11-07-Tue
第2回単身赴任ででも挑戦したい。 2017-11-07-Tue
第3回人のせいにしたくない。 2017-11-07-Tue
第4回その人らしい意思決定は美しい。 2017-11-07-Tue

エクセルが武器な会社員3年目。
インテリアで家の居心地をよくすることと、仕事帰りに銭湯にいくことが好きです。
銭湯では足りずレンタカーで温泉まで走って行くこともあります。
最近黙々と山に登ることにもハマり始めました。

私の好きなもの</br>人の意思決定の瞬間

私の好きなもの
人の意思決定の瞬間

担当・安藤菜々子

自他ともに認める運動音痴な母が、
富士山に登りたいと言い出した。
家族と一緒にいたいと転勤を断り続けた父が、
単身赴任すると言い出した。
定時に帰れる企業がいいと言っていた後輩が、
時間は不定期でも夢だった職に就いた。

私は人が、その人らしい意思決定をする瞬間が好きです。
その瞬間の強いまなざしが好きです。
その後の何があっても諦めない強い意志が好きです。

さっきまで「できない理由」を自分に説明していた口は、
いつの間にか真っすぐ結ばれている。
他人の目を気にして揺れていた目線は、
ぴたりと真っすぐ前を向いている。

人が一日にする意思決定は数万回とも言われます。
そしてそのそれぞれにその人らしさが表れ、
それぞれがその人らしさをつくっていく。

今回は私の心に残っているたくさんのその瞬間から、
3つを選んで共有させていただきます。

私は人が、その人らしい意思決定をする瞬間が好きです。

第1回 「日本一」に登ってみたい。

全くお酒が飲めない私に対して、母はよくお酒を飲む。
そして酔っぱらうたび、
そのとき挑戦してみたいことを嬉しそうに話している。

この前はフランスに行ってみたいと言っていた。
その前は大学院でTwitterの研究がしたいと言っていた。
その更に前は日本一周がしてみたいと言っていた。

でもいつも翌日の朝にそのことを聞くと、
でもママは「ママ」だからさ。と笑いながら答える。

 

自分のやりたいことより母としての役割を優先してきた母。
早くに自分の母を亡くし、
頼れる同志が近くにいない中「母」を全うしてきた母。

そんな母に育ててもらった私としては、
いよいよ姉弟両方独り立ちする今後。
誰かのことを気にすることなく、
挑戦したいことに挑戦して欲しいと思っている。

 

そんな母の直近の「挑戦したいこと」は富士登山だった。
酔っぱらうたびに富士山の特集番組の録画を見ては、
一度「日本一」に登ってみたいと楽しそうに話す。

でも無理だよね、近所の低い山でもしんどいのに。
そう言ってまた笑う母に合わせて私も、
「低い山から見える景色も十分素敵だよね」と言っていた。

元々運動が得意ではなく、
(それは私にもしっかり遺伝し、私も運動が得意ではない)
ほとんど運動らしい運動をしてこなかった母。
体力もその分、さほどない。

低い山に登り始めたのだってちょっと驚きで、
ましてや富士山なんて登り切れるとは思わなかった。

 

そんな母から日帰り富士登山のURLが送られてきたときは、
「素敵だね。いつか登ってみたいね」と
当たりさわりない言葉を返した。
その翌週実家に帰った際に「いつ行く?」と聞かれたときは、
思わず「本当に行くの?」と返してしまった。

よく聞いてみると、
先日登った山で出会った80歳のおばあさんに、

「行きたいと思ったらすぐに行きなさい。
人生は短いし、意外と行けるものよ」

と教わったらしい。

そうして私たちは翌週、本当に富士山に登ることになる。
途中まで行って引き返そうと二人で交わした言葉も、
見事裏切られ山頂まで。

「そろそろ戻る?」と振り返ったときの母のまっすぐな目は、
たぶんずっと忘れない。

富士山は最後、ほぼ岩場を登ることになる。
普段ほぼ座っているだけの私の足は悲鳴を上げていて、
太ももとふくらはぎからは何かが千切れる音がしそうだった。

それでも母はまっすぐに目の前を向いて登っている。
「つらかったら降りていいんだからね」という言葉は、
私に言っているというより自分に言い聞かせてるようだった。

ついに山頂に立ったときの母は、
もう二度と来ないだろうからと言いながら、
景色を目に焼き付けるように下を見下ろしていた。

そして、「やろうと思ったら、できるものね」と嬉しそうに言った。

<続きます>

第2回 単身赴任ででも挑戦したい。