全くお酒が飲めない私に対して、母はよくお酒を飲む。
そして酔っぱらうたび、
そのとき挑戦してみたいことを嬉しそうに話している。
この前はフランスに行ってみたいと言っていた。
その前は大学院でTwitterの研究がしたいと言っていた。
その更に前は日本一周がしてみたいと言っていた。
でもいつも翌日の朝にそのことを聞くと、
でもママは「ママ」だからさ。と笑いながら答える。
自分のやりたいことより母としての役割を優先してきた母。
早くに自分の母を亡くし、
頼れる同志が近くにいない中「母」を全うしてきた母。
そんな母に育ててもらった私としては、
いよいよ姉弟両方独り立ちする今後。
誰かのことを気にすることなく、
挑戦したいことに挑戦して欲しいと思っている。
そんな母の直近の「挑戦したいこと」は富士登山だった。
酔っぱらうたびに富士山の特集番組の録画を見ては、
一度「日本一」に登ってみたいと楽しそうに話す。
でも無理だよね、近所の低い山でもしんどいのに。
そう言ってまた笑う母に合わせて私も、
「低い山から見える景色も十分素敵だよね」と言っていた。
元々運動が得意ではなく、
(それは私にもしっかり遺伝し、私も運動が得意ではない)
ほとんど運動らしい運動をしてこなかった母。
体力もその分、さほどない。
低い山に登り始めたのだってちょっと驚きで、
ましてや富士山なんて登り切れるとは思わなかった。
そんな母から日帰り富士登山のURLが送られてきたときは、
「素敵だね。いつか登ってみたいね」と
当たりさわりない言葉を返した。
その翌週実家に帰った際に「いつ行く?」と聞かれたときは、
思わず「本当に行くの?」と返してしまった。
よく聞いてみると、
先日登った山で出会った80歳のおばあさんに、
「行きたいと思ったらすぐに行きなさい。
人生は短いし、意外と行けるものよ」
と教わったらしい。
そうして私たちは翌週、本当に富士山に登ることになる。
途中まで行って引き返そうと二人で交わした言葉も、
見事裏切られ山頂まで。
「そろそろ戻る?」と振り返ったときの母のまっすぐな目は、
たぶんずっと忘れない。

富士山は最後、ほぼ岩場を登ることになる。
普段ほぼ座っているだけの私の足は悲鳴を上げていて、
太ももとふくらはぎからは何かが千切れる音がしそうだった。
それでも母はまっすぐに目の前を向いて登っている。
「つらかったら降りていいんだからね」という言葉は、
私に言っているというより自分に言い聞かせてるようだった。
ついに山頂に立ったときの母は、
もう二度と来ないだろうからと言いながら、
景色を目に焼き付けるように下を見下ろしていた。
そして、「やろうと思ったら、できるものね」と嬉しそうに言った。

<続きます>
