もくじ
第1回その叱り方に愛はあるのか 2017-11-07-Tue
第2回会いたい気持ちを耕して 2017-11-07-Tue
第3回いつも笑っていてくれて、ありがとう。 2017-11-07-Tue

88年生まれ、神奈川県の山の中で育つ。
5歳の娘をもつ月刊誌のママさん編集者。元鉄道員。

筆が止まったとき頭に思い浮かぶ言葉は、「やってみなはれ」。

わたしの好きなもの</br>わたしの娘

わたしの好きなもの
わたしの娘

担当・榎本 悠

わたしの好きなものは、わたしの娘です。
それは、ひとりの「母」として、
あまりに普通の考えのように感じます。
そのことに決して嘘はありません。

だけど、自分の人生のすべてを捧げ、
母として生きていく毎日に
時折、息苦しさや子育ての難しさも感じてきました。

当時23歳、お母さん1年生だったわたしは、
娘と過ごす日々を忘れたくないと思い、
たまたま見つけた「ほぼ日手帳」を購入。
2012年から書きとめてきた記録は、2000日を越えました。

家族の一員として過ごしてきた「ほぼ日手帳」に
刻み込まれた「幸せ」と「苦悩」。
この手帳の中には、わたしたち家族の笑顔も涙も、
すべて記録されています。

その記録から、
「わたしの好きなものは、わたしの娘です」と
胸を張って言えるようになるまでの日々を振り返ります。

娘の描いた家族のイラストとともに全3回でお届けします。
ご覧いただけたら嬉しいです。

第1回 その叱り方に愛はあるのか

2012年、23歳だったわたしは母親になりました。
成長の様子や母としての思いを記録できるものを
探していたところ、偶然「ほぼ日手帳」に出会いました。
娘が5歳になったいまも、その記録は毎日続けています。

出産を機に、わたしは仕事を辞め育児に専念していました。
母親として生きていく人生を
自分の意志で選んだはずだったのに、
当時のわたしにとって子育ては、
娘の成長の喜び以上に葛藤の連続だったことが、
「ほぼ日手帳」のあちこちからにじみ出ています。

娘が2歳を過ぎたころ、
わたしの「ほぼ日手帳」にはこんな書き込みがありました。

2014年10月15日(娘、2歳ごろ)
一日雨で外に行けなかったこともあり叱りっぱなし。
嫌いなんじゃない、娘のことは愛してる。
一つ一つのイライラは小さくても、それが募れば噴火する。
「その叱り方に愛はあるのか」と自問自答するも、
今の叱り方に愛を見いだせていないそんな自分に腹が立つ。
もう叱りたくない。いいこにして。

母親として生きていく覚悟を決めたつもりでいたのに、
子どもを育てるということはわたしが想像していたほど
甘いものではありませんでした。
我が子といえど、別の人間。
親の思う通りに娘のすべてを理解できるわけでも、
コントロールできるわけでもありません。
笑顔の絶えない母親でいたかったけれど、
24時間一度も母としての自分から距離を取れず、
冷静さを失うことが多くありました。

つい感情まかせに娘を叱ってしまう自分自身に、
「その叱り方に愛はあるのか」と自問自答する日々が
長く続きました。

会社員として社会で活躍する家族や友人の姿と
自分自身を比較して、社会から孤立していく感覚を
抱くようになっていたことも、冷静に子育てと向き合えない
背景に強くありました。

20代の一人の女性としての人生から
切り離されていくような感覚が、母として生きることの
息苦しさや焦りにつながっていたのだと思います。

また別の日の「ほぼ日手帳」には、
こんなことが書いてありました。

2015年1月27日(娘、2歳半ごろ)
怒りの導火線がどんどん短くなっていく。
わたしがこんなんじゃ、心の豊かな子なんて育たない。
自分のことが何もできずに毎日毎日太陽がいってしまう。
でも、母親として生きる自分を被害者だと思うな。

思うように家事や自分のやりたいことが進まないこと、
娘のわがままに対しイライラが募るようになっていました。
家庭の中でしか生きていくことができない自分の
存在意義を問うことばかりで、
すぐそばにある幸せに気付くことができず、
外の世界にあこがれを抱く日々が続きました。

こんなに毎日苦しいのは母親になってしまったからだと、
心のどこかで被害者意識が芽生えていたのだと思います。
それが身勝手な考え方だと自分で理解していたからこそ、
こうした感情を表に出すことで母親、そして人間としての
人格を疑われてしまうような気がして、
「ほぼ日手帳」に書いて乗り切る毎日を送っていました。

このときのわたしは、腕のなかで泣き続ける娘に、
いつか背中を押される日がくることなど、
まったく想像などしていませんでした。

(つづきます)

第2回 会いたい気持ちを耕して