もくじ
第1回いちょう並木のセレナーデ 2017-11-07-Tue
第2回晴海埠頭に立つ。 2017-11-07-Tue
第3回波よせて 2017-11-07-Tue
第4回研究と就職。 2017-11-07-Tue
第5回ぼくの好きな晴海埠頭。 2017-11-07-Tue

1987年生まれ、
30歳の男です。
東京の西側で育ち、
いまは東京湾の近くに住んでいます。

晴海埠頭との日々。

晴海埠頭との日々。

担当・金沢俊吾

ぼくは、東京の西側で生まれ育ち、
社会人になってからは、
東京都中央区の月島で一人暮らしを始めました。

この場所を選んだ理由はひとつ。
「晴海埠頭が近いから」です。

東京湾に面していて、正面にレインボーブリッジが見える
穴場的な夜景スポットとしても知られる晴海埠頭。
はじめてその存在を知った時から
この場所に強く惹かれ、
いまでは、いつでも行ける距離に住んでしまうほどに
ぼくの心をとらえています。

このエッセイでは、
ぼくが晴海埠頭に出会ってから
今日に至るまでの10数年の歩みを、
全5回でお届けします。

担当は、ほぼ日の塾、塾生の金沢俊吾です。
ちょっと長いですが
最後までお読み頂けると嬉しいです。

第1回 いちょう並木のセレナーデ

いまから15年ぐらい前。
ぼくは、小沢健二の歌詞の1フレーズの中で、
晴海埠頭と出会った。

ぼくは高校生のころ、
「歪んだ心を、ギターの音色で表現!」
と言わんばかりのロックバンドの曲を好んで聴いていた。

あこがれの、長い前髪で目を隠したバンドのボーカルは、
孤独で、周りの人に合わせるのが苦手なことを
音楽雑誌のインタビューで語り、
歌詞は「生きているのがつらい」「自分を好きになれない」
みたいな、暗いものが多かった。

そんな薄暗いぼくの音楽生活に、
彗星のように、さっそうと現れた王子様が、小沢健二だった。

小沢健二の代表作、『LIFE』の曲たちは、
「なんて楽しいんだ!この時間は永遠に続くんだ!」
なんて、浮かれたような幸福感と、
「本当は、こんなしあわせな時間が
ずっと続かないってことはわかっているのさ」
みたいな諦めが入り混じった、
自分とは無縁の、リア充の歌だった。

これまで聴いていたロックバンドには
「俺のことを歌ってくれてるんだ」
と信じ込みたくなるような、強い共感を持つことができた。
一方で、小沢健二の歌詞には、
どこにも共感できるところがない。
「こんな恋を知らぬ人は地獄へ落ちるでしょう」
なんて軽やかに歌われて、
「マジかよ」と思っていた。

それでも、ぼくが小沢健二の歌詞に強く惹かれたのは、
曲のなかで、登場人物たちが
しあわせそうに街を行ったり来たりする舞台が、
東京だったことだ。

歌のなかの主人公は、
冬に彼女と原宿を、風を切りながら歩いていたり、
真夏の夜に、彼女と車に乗って東京タワーの横を通ったり、
渋谷の公園通りを歩いていたとき
パーっと魔法をかけられるような感覚を味わったりしていた。

東京で生まれ育ったぼくにとって、
自分の住む見慣れた街を、
色鮮やかでしあわせな物語の舞台として歌われるのは
とても新鮮だった。
「こんな風に生きられる街でもあるよ」なんて、
ちょっとした希望みたいなものを見せてくれたように思う。

そんな歌詞のなかで、
ひとつだけ、聞いたことのない場所があった。
「いちょう並木のセレナーデ」に登場する、晴海埠頭だ。

明るい雰囲気の曲が多い『LIFE』のなかで、
「いちょう並木のセレナーデ」は、ちょっと異色な曲だった。
好きな人と別れてしまうときの心情を描き、
お互いに忘れていってしまうことも
受け入れなきゃいけないんだと、
自分に言い聞かせるように歌われるバラードだ。

2番の歌い出し、
晴海埠頭で、彼女が船を出ていくのをずっと眺めている、
というシーンが描かれる。
そして、過ぎていく日々を踏みしめて、
僕らはそこから別々の道に歩き出す。
と歌われるのだ。

晴海埠頭の所在地さえも知らなかったけれど、
小沢健二が、「別れ」に選んだ場所だ。
きっと、静かで、きれいで、
すごくロマンティックな場所なんだろうと想像していた。

おなじ海辺でも、
毎年、家族旅行でいく伊豆の海水浴場とは、
間違いなく、絶対違うはずだ。

晴海埠頭から船が出て行く。
それを見つめる、
もうすぐ遠くにいってしまう君と、
その姿を見つめることしかできない僕。
それは、まだ見ぬ美しい物語の1シーンとして、
学ランを着た高校生の頭のなかに存在していた。

(つづきます。)

第2回 晴海埠頭に立つ。