蔦屋書店では、オフィシャルブログや
FILMAGAというWEBマガジンで、
コンシェルジュによるコラムを掲載しています。
そこで今回は、吉川さんのことをもっと知るために、
書店のサイトに公開されている映画のコラムを
読んでみるところから、取材を始めました。
まず、蔦屋書店でのコラムを調べると、
以前働いていたタワーレコードでの記事が出てきます。
すぐさま「昔の記事を見つけましたよ!」と報告すると、
「実は、本や業界誌にも原稿を載せていて、
キネマ旬報でも、数年間連載をしていた」との返事が。
私にとってキネマ旬報は、教科書と呼ぶべき憧れの雑誌です。
急いで図書館に行って、過去の連載を取り寄せてみると、
映画やビデオについて細かく書かれた記事が
数年に渡って、たくさん掲載されていました。
吉川さんがこうして過去に記事を書いていたことは、
今までほとんどのスタッフが知りませんでした。
- ――
-
今までこんなにたくさんの記事を書いてたなんて
初耳でしたよ、びっくりしました!
吉川さんって、元々は映画を「書く」仕事を
目指していたのでしょうか?
- 吉川
-
いや全然。俺は最初、
とにもかくにも映画会社に入りたかった。
- ――
- おお。映画を「見せる」側のお仕事ですね。
- 吉川
-
うん。
高校生のときから映画会社に入りたくてさ。
新聞で、映画宣伝部の社員募集を見かけた時、
すぐさま400字詰めの原稿用紙を取り出して、
「私は、高校を中退してもいいと思ってます」
「お願いします」なんて書いて送りました。
大卒が受ける試験なのにさ。バカだよねえ(笑)
- ――
- 高校生の頃から映画一筋だったんですね(笑)
- 吉川
-
うん。小学校のころから映画が大好き。
でも、好きな気持ちだけで受かるわけがない。
ってことで、映画会社の仕事を
諦めた時期が、まず一度ありました。
けど、「どうしたら映画に関われるのかな」
ってことは、ずっと考えていて。
大学の映画学科に入ろうかとも思ったけど、
けど、進路相談で担任の先生から
「吉川くん、君の成績では無理だよ」なんて
言われたもんだから、それも諦めた。
だから、18歳から7年間は、普通の会社員。
- ――
-
あ、働きはじめの頃は、
映画と全く関係ないお仕事を?
- 吉川
-
うん。それも高校の担任の先生に、
「適当にいい就職先を探して下さい!」
って頼んで入っただけの職場だったんだよね。
早く就職を決めて映画を観るために。
- ――
- えっ(笑)
- 吉川
-
だから、俺は今までずっと色んなことを諦めて
「映画に逃げてきた」わけ。結局。
けど卒業後は、そこで一生懸命働きました。
土日が休みです。週末はとにかく映画三昧!
っていう生活をしていたんだけど、
どうしても仕事そのものに興味はもてないよね。
しかも、会社で映画の話をしても
誰にも通じないわけだ。
- ――
-
あぁ~・・・・。
その好きなことを話せないもどかしさ、
よくわかります。苦しいです。
- 吉川
-
ね。ずっと「煮詰まるなあ」って思ってた。
で、映画の話を外にアウトプットできずに煮詰まると、
人間どうなるかって、書き始める。
そこから、俺の映画日記が始まったわけ。
大学ノートにねえ、7冊ぐらいあるかなあ。
- ――
- おお、映画日記。
- 吉川
-
その日記が、映画について書いたり、
話すことの練習にもなったんだろうなあ。
で、25歳の時にね、色々あって転職しよう、
就職活動をしようって思い立ったときに、
ちょうどビデオの時代が来ていたんだよね。
偶然、小さなビデオショップの
求人広告が、新聞に載ってたの。
そこには「ビデオメイツ」って名前が書いてあった。
- ――
- そこで「やった!映画の仕事だ!」と・・・・
- 吉川
-
いや。そのときの俺は
「ビデオってなんだろうなあ」と思って。
- ――
- えっ、そんな時代だったんですか!
- 吉川
-
そう、知らなかったの。
「もしかしてこれって、映画のビデオのことかなあ」
ぐらいにしか思っていなかったんだけども、
実はそのお店、日本で一番最初に認められた
正規のビデオレンタル第1号店だったのよ。
- ――
-
へぇ~!すごい。第1号店からレンタル業界に。
しかも偶然見た新聞広告がきっかけだったんですね。
- 吉川
-
そうそう。
で働くことになったときに、そのお店を見たら、
そこにはビデオがいっぱい並んでた。

「おぉ~映画がいっぱいあるじゃん」と。
- ――
- はい。映画が本棚みたいに。並んでて。
- 吉川
-
そう。それを見た瞬間に
「あ~、この仕事だったら俺はきっと大丈夫だ」
っていうふうに思ったね。
- ――
-
うわぁ~いいですねえ。
わたしも初めて働きはじめたころ、
同じように思っていました。
映画の棚に囲まれて幸せだなあって。
- 吉川
-
そう。しかもその「ビデオメイツ」ってお店には、
今の書店と同じように・・・・いやそれ以上かな。
映画が好きなお客さんがいっぱいくるわけさ。
俺はそこで映画評論家の川本三郎さんと知り合ったり。
- ――
-
あ、蔦屋書店のイベントにも
対談相手として出てくださった方ですね。
- 吉川
-
そう。
それくらい映画好きな人と出会えて、話ができた。
だからだんだん日記も書かなくなったね。
で、今度はそこで吐き出していた相手が、
これも偶然なんだけど、キネマ旬報の副編集長だったの。
- ――
- ええ~!そんな何気なく出会ったんですか?
- 吉川
-
うん。一応有名なお店だったからね。
もう気づかずにバァーーーッと話してたら、
それが当時の副編集長だったみたいで。
「吉川さん、それ書こうよ」ってなったわけよ。
- ――
-
わあ~(笑)
戻ってきたんですね。書く方に。
そこからキネマ旬報の連載が始まったんですね。
- 吉川
-
うん。けど、書き手っていうのは
そんなに甘いもんじゃない。
俺は批評家になることも諦めた男だったんだよ。
俺に映画の批評はできない。作品に対して
「ここがダメです」って書くのは心苦しかったから。
- ――
-
あ~。
映画が好きだからこそ、書けなかった。
- 吉川
-
うん。でも映画をオススメするように
「こういう風に好きなんだよ」って
記事を書くのはいいなと思っててさ。
で、連載当初はDVDが生まれるまえの、
LDとビデオが主流だった時代。
当時はまだ技術が発達していなかったから、
ちゃんとしたフレームを収録せずに
勝手にカットされていたビデオが沢山あって。
- ――
-
そうか、今は当たり前のように
映画をそのままの形で持ち帰っていますが、
実はそこにも試行錯誤があったんですね。
- 吉川
-
うん。だからこの連載で、俺は制作会社に向けて
「この発売元メーカーは何をやってるんだ!」
「映画への愛が足りないんじゃないか!」って
ひたすら文句を書いて・・・
- ――
-
あっ、でもそれなら
「映画が好き」っていう気持ちを残しつつ、
深く踏み込んだ内容の記事を書けますね。
- 吉川
-
そう。しかも
映画の人たちって映画のことは詳しいけれど、
パッケージ業界のことは知らないでしょ。
で、パッケージのことばっかりやってるやつは
意外と映画のことを知らなかった。
だから「これなら俺にも書ける」と思ったのさ。
で、しばらく雑誌にそういう記事を書いていたら
いっぺん、メーカーの制作担当の人が怒ってきて…
- ――
- えぇ!炎上じゃないですか(笑)
- 吉川
-
「お前は業界のことをわかってない」
「いや、ユーザーの声を届けているのは俺だ!」
っていう風な記事を書いて、いがみあったの(笑)
まあ、色々気持ちはわかるけども、
俺は当時からキネマ旬報の読者こそが
一番の映画ファンだと思っていたから、
読者の方が読んで「そうだよ!」って
共感してくれるような記事を
俺は書きたいと思って、書いてた。
- ――
-
おお~。そうですよね。共感。
書き手にとっても読み手にとっても、
いちばんうれしいことですよね。
- 吉川
-
うん。たまに巻末ページで、他の著者の方が
「吉川さん、これいい記事だよ、勉強になった」
って書いてくれたこともあった。
それはうれしかったね。
で、その後にもう一回連載できることになって、
それがちょうどDVDが発売される頃だった。
1998年だったかな?
で、それがちゃんと家庭に普及するのは
連載から4年後の、2001年ぐらいだろうなと。
だから、俺が書き始めた原稿のタイトルは
『2001年ソフトの旅』・・・・
- ――
-
・・・・うまい!
『2001年宇宙の旅』ですね(笑)
- 吉川
- そう(笑)
- ――
-
そうか、私自身吉川さんがしてきたお仕事に
ものすごく憧れていたんですけど、
それが一直線に「目指す」ような形で実現した
というわけじゃなかったんですね。
夢はあるけれど、偶然が重なってというか。
- 吉川
-
うん。高校のときから常に
「映画のしっぽにかじりつきたい」ってのは、
ずっと何かしら思ってたけど、
その後は自分で道を切り開くというより、
「なんとかこうなんねえかな~」と思ってたら、
思いがけないうちに願った通りになりました。
っていう話なんだろうね。
- ――
-
うわあ~。励みになるなあ。
なんで今までずっと黙ってたんですか(笑)
- 吉川
- なんで黙ってたって(笑)
- ――
-
だってそんな話は
雲の上の世界だと思っていたのに、
すぐ会えるところにいるなんて・・・・!