私は何度か「死ぬ・・・」と思ったことがある。
印象深かったのは、大学卒業後に就職した、
カフェで働いていたときのことだ。
そのカフェは、今で言ういわゆるブラック企業だった。
営業時間は11時から深夜まで。
あろうことか金、土、休前日は29時、つまり朝5時までであった。
今はどうなっているのかな、と調べてみたら、23時閉店に変わっていた。
良かった。時は経った。
当時、私はとにかく眠かった。
何もわからない新入社員なのに、なぜか店長代理という、
責任のあるポジションにぶち込まれた私。
「店のことを把握するためには、とりあえず店にいないとね」
その本社社員の一言で、金、土、休前日は、
朝10時から、クローズ作業が長引けば翌朝7時、8時まで、
店にいなければならなかった。
オープンしたのは4月。ひと月後にはGWがある。
その間は毎日朝5時まで。狂気の沙汰だ。
その頃のカフェ周辺は異常なほどの人気スポットだった。
お店の前の行列はまったく途切れない。
つまり、ずっと満席。ずーっと忙しい。
全力疾走でマラソンをしているような毎日。トイレにさえ行けない。
それはある日のこと。
明け方の国道一号線。
夜はひっそり去りゆこうとし、
車道を照らす街灯が、薄明の中でまたたいていた。
電車がある時間に帰れないので、
原動機付き自転車(通称原チャリ)で通勤していた私は、
運転しながら、寝た。
頰に風を感じ、
通りすぎるタクシーの気配を感じながら、
あと少し、あと少しで家に帰れる、と自分を鼓舞しながら、
寝ていた。
原チャリを運転しながら寝るとどうなるか?
転ぶのである。
転んでやっと、目が覚めた。
あんなに眠かったのに、目が覚めた。
私、原チャリに乗りながら、寝た?
アスファルトに打ち付けた体が痛い。
意識はちゃんとある。体も動かせそう。
この感じは、重傷ではなさそうだ。
体を起こし、鋭い痛みに右腕を見ると、
擦りむいた皮膚からどんどん血が滲み出してきた。
混乱しつつも、状況を把握し始めて、
私は、後ろに車がいなかったことに感謝した。
何してくれてんだよ、とばかりに、
ブルルルルルと不快なエンジン音をたて、
原チャリは道路の真ん中に横たわっていた。
それを見ながら、私は思った。
このままでは死ぬ、と。
あの、すみません。
読んでくださっている皆さんの頭に、
そろそろ「?」が浮かんでいるかも・・・
あれ?これ好きなものの話だよね?
そうです。
私はカフェが好きです。
少し時間を遡りましょう。
高校生の頃、私は小説家になりたいと思っていた。
しかし、大学生になっても、
たったの一作品も、書ききることができないでいた。
少し前に父親を亡くし、
巻き込まれ体質の弟は問題を起こし、
母親と二人暮らしの私は、平凡な悩める大学生。
その頃世間は、カフェブームというものに沸いていた。
喫茶店ではなく、カフェ。
私は、定期券を駆使し、渋谷や表参道のカフェに通った。
カプチーノやショコラテや、何語だかわからないスイーツに胸を躍らせた。
「カフェでもお酒のみたいじゃん」とか、
「同じ椅子じゃなきゃいけないって誰が決めたんですか?」とか、
既成概念とは違う発想でつくられたカフェが、
イケてる場所だった。
こじらせていた私にとって、カフェの自由さや新しさは、
「タブーはタブーじゃない」を、体現したものだった。
それは、あの頃の私にとって、大げさじゃなく、生きる希望だった。
就活どうする?という同級生たちの会話を片耳で聞きつつも、
カフェへのあこがれは強くなるばかり。
ついに私は就職活動を放棄し、カフェで本気のアルバイトを始めた。
現実の飲食業は大変だった。
労働時間は長く、厨房は暑かった。
分煙もなかった時代、
タバコの煙はダクトの下にいる私に襲いかかった。
お客さんには、いろいろな人がいて、
カフェではいろいろなことが起こる。
とにかくヘトヘトだったけれど、
今思えば、頭でっかちだった私には、いいリハビリだったのだ。
サニーレタスをちぎらなければ、サラダはできない。
鱗を落とし、三枚に下ろし、
骨を抜かなければ、真鯛はカルパッチョにならない。
卵黄とビネガーに油をゆっくり注ぎ入れながら、
泡立て器を動かさなければマヨネーズはできないし、
生クリームを立てなければ、ガトーショコラは完成しない。
学校とアルバイトで、1週間全ての予定は埋まり、体はかなりきつかった。
だが、あこがれの場所で、
自分にできることが増えていくことが嬉しかった。
私は真面目に働いた。
そしてその合間に、なんとか小説を書き上げた。
心酔していた吉本ばななさんのように、
在学中に作家デビューすれば、
就職しなくても面目が立つ、心労の多い母も喜んでくれる。
私は、名前のある何者かになれる、そう思ったのである。
その小説は、あっさりと一次選考で落ちた。
就職しなくてOK!という、甘すぎた私の夢はあっさり消えた。
かくして、近所のカフェから、
大勢の人で賑わうカフェ(ブラック企業)に場所を移し、
初めに戻る、というわけである。
真夏が過ぎ去り、原チャリを走らせると、
半袖から出た腕に鳥肌が立つようになった頃、
私は再び、運転しながら寝てしまった。
この時も運良く、私の後ろに車はいなかった。
私は「マジで死ぬ・・・」と思い、やっと仕事を辞めることを決意した。
カフェの外側にいた頃、カフェは私にとって、あこがれだった。
初めて食べる料理、ごきげんな音楽、
スーツじゃない人たちが遊ぶように働いている。
そこに行けば、何かステキなものがある。
カフェの内側に入ったとき、あこがれの世界の裏側を見た。
ブラックカフェの同期は、私より先にバタバタと辞めていった。
「石の上にも3年」とよく言うが、
あのままいたら、3年経つ前に私は死んでいただろう。
カフェを辞めたあと、私は長野県の松本市で、
定時で帰れるの仕事に就き、また小説を書き始めた。
打って変わって、のんびりとした職場だった。
カフェで磨いた腕を生かし、お菓子をつくっては持っていった。
そして家に帰ってからは、地味に小説を書き続けた。
そんなある日、
パソコンと自分に向き合っていたら、
頭が冴えて、眠れなくなり、そのまま朝を迎えてしまった。
穏やかな日常に、ふとひずみが入った。
ベランダに出て空を見上げると、
その色合いに、私は目が離せなかった。
なんだか胸の奥が静かになった。
この感じはなんだろう、と
記憶を手繰って、ああ、と思った。
国道一号線の、
黒いアスファルトの先に広がっていた淡い空を、
私は思い出していたのだ。
顔を地面にこすりつけて見上げた、夜と朝のあいだの色。
気を抜いたらすぐに過ぎ去ってしまう瞬間の景色。
あんな時にでも、空はとても美しかった。
あの頃を思うと、
戻りたいとはちっとも思わないけど、
ちょっとだけ懐かしい。
毎日が命がけで、今なら疲労で心が荒みそうなのに、
いい人を保ちつづけた若い自分を誇らしく思ったりする。
無知だからこそ、頑張れたりするものだ。
元気なうちに、ああいう経験をしておけて、よかった。
何かをしておいてよかった、と思えるのは、
多分、今が幸せだからだ。
後悔に飲み込まれそうな時は、
後悔しているその「過去」ではなく、
実は「今」が好きじゃないのだと思う。
受験に失敗したとか、運命の人と別れたとか、
その瞬間はこの世の終わりだと思っても、
時が過ぎ「今」を好きになれば、
最低だと思っていた「過去」も、
そんなこともあったと、笑って思い出せる。
その「過去」を経てきた自分を、
「今」を生きる自分を、誇らしく思える。
カフェにあこがれて、カフェで死ぬほど働いて、死にかけたけど、
こうして生きている。
命がけの日々で得られたものは、大きい。
二度と同じ生活はしたくないけれど。
そして思ったりする。
あの空の色を思い出せることが、人生の面白さなのだと。