ぼくは、ものを欲しがらない子どもだった。
遠慮がちで、神経質で、穏やかな子どもだった。
親からそう聞いている。
どれどれ…と昔の写真を引っ張り出して見てみると、
我ながらめちゃくちゃかわいい。
まさか、これが自分だなんて。

きっと、0歳の自分と5歳の自分を点として、
そこに定規を当てて直線を引いても、
その延長線上に今の自分はいない。
平坦だとばかり思っていた26年間にも
いろいろあったんだなぁと、どこか他人事のように思う。
こんなふうに、
ときどき過去を振り返って眺める時間が好きだ。
アルバムを漁っていると、
若いころの両親や祖父母の写真が発掘されることもあって、
それはそれで面白いのだが、
やはり自分の写真を見るのが一番面白い。
少年のふとした表情や仕草に、
今ここにいる自分との共通点を見つけるのも楽しいし、
勝手に想像していた“幼いころの自分”とのギャップを
見つけたときも、ちょっとうれしい。
意外に明るいなとか、バカだなあとか。
コンプレックスや嫌な思い出がないわけじゃない。
でも、たいていの場合は励まされる。
かつての自分が、今の自分に元気をくれるのだ。
写真以外のものがきっかけになることもある。
たとえばこの、カメのぬいぐるみ。

3歳のとき、家族旅行で訪ねた鎌倉。
まちをぶらぶら歩いていて、
ある店先でカゴに入ったこのぬいぐるみを見つけたらしい。
一度は通り過ぎたものの、しばらく歩いて立ち止まり、
「カメ…」と一言つぶやいた。
「こうちゃんが何かを欲しがるのは珍しかったから、
よく覚えてるよ」と母は教えてくれた。
小学校低学年ぐらいまでの記憶は、
ぐしゃぐしゃに混ぜたパレットの絵の具みたいに
曖昧で、漠然としている。
しかもぬいぐるみは、
当時の景色を写真のように写し出してくれるわけではない。
でも、
このカメに出会ったときのことは、いまだによく覚えている。
手にとった瞬間のなめらかな肌触りと
ずっしり感(今よりだいぶずっしりと感じただろう)、
やさしそうな目。
このシンプルな「THE カメ」って感じも
よかったんだよなあ。
ああ、それだけじゃない。
店はゆるやかな坂道の途中にあったこと、
差し込む光の加減、
「欲しい」と言い出せなかった心の動揺まで、
少しずつよみがえってくる。
喉から手が出るほど、というわけではなかった。
けれども、じんわり、じんわりと、
そのぬいぐるみが好きだった。
ぼくはこの話をとても気に入っている。
当時の自分に会えるなら抱きしめてやりたい。
よく言った!と。
かすかな感情の揺らぎやきらめきは、
より大きな感情に埋もれてしまいがちだ。
大きな拍手を浴びた日と、
起き上がりたくもないどん底の日。
プラスとマイナスの頂点ばかりにスポットライトが当たり、
その間のかすかなものたちは、
次第に「ないもの」として処理されるか、
当たり前の日常に溶けてゆく。
だからこそ、
自分のなかに生まれた小さな波を見逃さず、
掬い上げようとした3歳のぼくは偉かった。
たとえ弱々しくても、「カメ…」と一言、
自分の意思を伝えられてよかった。
あの気持ちを、大事にできてよかった。
平凡な自分が嫌になることもある。
まるで成長していないじゃないかと、うなだれることもある。
けれども、それはあまり意味のないことだと気づいた。
自分は、自分自身を、
こんなにもやさしく抱きしめられる。
華やかでも激しくもない、毎日がぼくをつくり、支えている。
(終わります)