もくじ
第1回母は事務員から専業主婦へ、父は現場監督から教師になった。 2019-03-19-Tue
第2回家事の分担に年収は関係する? 2019-03-19-Tue
第3回あるのは人間らしさだけ 2019-03-19-Tue

地方紙記者、地域情報誌の編集を経て、今年1月からウェブ系の編集者に。
言葉の支点を変えて、社会をちょっと明るくしたいと思っている。

父は教師から主夫へ。母は主婦から社長へ。人間らしいふたり。

父は教師から主夫へ。母は主婦から社長へ。人間らしいふたり。

担当・なみなみ

小学生の頃の私は、母を見て
「大人になんかなりたくない」と思っていた。
フルタイムで働きながら家事の全てをこなす姿は、
あまりにも大変そうだったから。

父は優しかったけれど、家事は全くしなかった。
ところが今、朝夕のご飯を64歳の父が作っている。
春からは高校教師を辞め、専業主夫になるという。

10年前、母は50歳になったのを機に
ファイナンシャルプランナーとして起業し、
5年ほど前に父の年収を超えた。
その頃からだろうか、
家事の担い手が少しずつ母から父へと移っていった。

ふたりに一体何が起こったんだろう。
昨年末まで両親と同居しながらも、
ちゃんと聞いたことがなかった
役割交換の理由と方法について尋ねてみました。

プロフィール
なみなみのプロフィール

第1回 母は事務員から専業主婦へ、父は現場監督から教師になった。

ふたりに話を聞く前に、父と母の馴れ初めと、
両親の職歴について娘の私から紹介します。

父について
母が撮った父

現場監督から教員へ

父は富山市に生まれ、愛知県の大学で建築を学んだ。
一級建築士になるもオイルショックの影響などから
就職活動に苦戦し、都会の設計事務所での就職は諦めて、
地元の建設会社に就職した。
小学校の建設現場で監督をしていたある日、
通勤路で見かけるある女性が気になった。
バイクに乗る女性。車に乗る父が追い越しても追い越しても、
何度でも抜き返してきたからだ。
しばらくして、会社の社長が県議会議員に立候補し、
選挙運動の運転手として駆り出された。
その選挙事務所に、うぐいす嬢として来ていたのが、
件のバイクの女性だった。
話すとすぐに意気投合し、交際を申し込んだ。
半年後に婚約し、26歳で結婚した。
その女性は、「この会社は同族企業だし、
財務状況を見ると先は明るくない」と言った。
そこで、父は高校の建築学科の実習助手に応募し、合格。
寿退社し、新婚時代は実習助手をしながら、
教員採用試験の合格を目指して深夜まで勉強した。
家事は母に任せきりだった。
6年後、教員として採用されると、授業の準備でまた
深夜まで勉強に励んだ。
60歳で定年退職するまで家事は一切しなかった。
再雇用で64歳まで教員を続け、2019年3月に退職。
専業主夫になる。

母について
父が撮った母

仕事と家事をしながら資格取得

母は港町で食堂を営む家の一人娘として生まれた。
子どもの頃は、早朝に道路の雪をスコップで固めて
スケートリンク化させ、出勤する近所の大人たちを
困らせるようなおてんばだった。
経済学に興味があり、関西の大学を受験し、合格するも
入学できなかった。
母の無鉄砲な性格から、卒業後も地元に戻ってこないと
考えた祖父母が、内緒で入学手続きをしなかったからだ。
母は絶望しながら地元の専門学校に通い、簿記3級を得て、
近くの建設会社に就職した。
ある日、社長が県議会議員に立候補し、
うぐいす嬢を任された。
運転手として来ていた男性に交際を申し込まれ、
半年後に婚約、21歳で結婚した。
2年後に長女、7年後に次女(私です)を出産。
一人っ子だった母は「自分のチームができた」と喜び、
次女が3歳になるまで子育てに専念した。
子育てと家事の全てを担った。
趣味は家計簿をつけることで、雑誌の企画で家計簿を
送ったら「やがて蔵が建つでしょう」とコメントされた。
31歳から会計事務所でパートとして勤務しながら簿記2級を
取得。事務や経理担当の正社員として数社で働き、
高校受験を控えた娘と机を並べて勉強し、
ファイナンシャルプランナーの資格試験に合格。
2009年、50歳になったのを機に起業した。

こんなふたりが、
どのように家事の担い手を交換したのか、
次につづきます。

第2回 家事の分担に年収は関係する?