もくじ
第1回【14歳】私って、どういう人間なんですか? 2019-03-19-Tue
第2回【10歳】かぞくのこと 2019-03-19-Tue
第3回【12歳】共存していた”私”と”わたし” 2019-03-19-Tue
第4回さいごに 2019-03-19-Tue

愛犬・ジヌが大好きな98年生まれ。映画館巡りと舞台がすきです。ラーメンはとんこつ派。

20歳のじぶん史

20歳のじぶん史

担当・高城 つかさ

2018年8月、私は20歳になりました。
 
20歳の私は、
 
何が好きなのか、嫌いなのか。
何に感動して、おもしろいと思って
何を嬉しいと感じて、涙が止まらなくなるのか。
 
まったくわからないことに、気づきました。
 
「私は、私が、わからない」。
 
ほぼ日の塾、さいごの課題では
そう思っている自分と向き合うために
 
【20歳のじぶん史】として 
20年間でとくに印象に残っている出来事を、
エッセイで振りかえります。
 
ときどき、感情が乱れてしまいましたが、
全4回、読んでいただけたら嬉しいです。

第1回 【14歳】私って、どういう人間なんですか?

「私って、どういう人間なんですか?」
 
中学2年生の頃、担任・M先生に聞いたことがある。
 
M先生は、着任して3年目ほどの新人の先生。
親しみやすい関西弁が、私は好きだった。
 

ルールを守る、当たり前

 
もともと、学級委員や班長の役割を任されていた私は
中学2年生の後期には学年をまとめる学年委員長を務めた。
 
「学校に通うべき」と考えていた私は
クラスメートで不登校の子に「おいでよ」とメールしたし、
 
校則は守るべき。
授業中に寝てはいけない。
提出物はかならず出す。
 
……そんなルールを守ることが正しいと思っていたし、
おとなからルールと教えられたものは、何が何でも守った。
 
そして、それを守らない人がいるとイラついた。
 
正しさを貫く、ということ。
まわりにもルールを守らせる、ということ。
 
それが正義であり、役目だと、当時の私は信じていたからだ。
 

正しさを貫くのは、本当に正しいことなのか?

 
中学2年生になったあたりから、まわりが
“上手に”ルールを破る姿を目にするようになった。
 
たとえば、
先生がいないときにはスカートを短くしたり
授業中にこっそりと手紙をまわしたり。
 
それに参加しないだけで
「優等生」「真面目ちゃん」「いい子ぶっている」と
居場所がなくなってしまう。
 
居場所がなくなるのが怖かった私は、
少しずつ”上手に”なろうとした。
 
スカートを短く折った子に
「脚が長いから短くなっちゃうのはわかるけど
寒いから長くしてね~!」とふざけながら注意したり。
 
手紙がまわってくれば、ひっそりとまわしたり。
 
“上手に”やりながら、
クラスという空間で生き抜こうと、していた。
 
とくに『リーダー』という立場にいると
自らがルールを守る、だけではなく
まわりにルールを守らせなければならない。
 
かといって
「ルールを守って!」と正しさだけを主張しても
聞いてもらえない。
 
そのためには、コミュニケーションだって必要だ
と信じていた。
 

「学年委員長の自覚はありますか」

 
そんなある日、
学年主任の先生に呼び出されたことがあった。
 
「学年委員長は学年の未来を見ないといけないんですよ」
「その自覚はありますか?」
 
学年主任の先生は、私の担任でもないし、
一部の授業しか見ていなかったけれど
“上手に”やろうとした結果、
ふざけているように取られてしまったのだろう。
 
ルールは守ってほしい。
でも嫌われたくない。
 
精一杯”上手に”しようとしたことを怒られて
私はどう振舞えばいいのか、わからなくなった。
 
そのあと、私は、担任のM先生に泣きながら話した。
 
「先生。私って、どういう人間なんですか?」
 
M先生は
 
「攻撃力は強いけど、防御力はほとんどない、かな。
 
高城の”正しい”は本当に”正しい”んだけど、
まっすぐすぎて、攻撃的になるときがある。
 
そのわりに、誰かに攻撃されるとすぐ落ち込むやろ?
だから、防御力は弱い」
 
と、答えた。
 
いま思えば、先生は先生なりに慰めてくれていたのだけど、
 
この日は言葉にすればするほど
声がふるえて、涙があふれてきて、もう、わけがわからなくなって
 
「なんで、そんなことを言われなきゃいけないんですか」
「そもそも、こんなこと、したくない」
「どうしたらいいのかわからないです」
 
最後には
 
「もう、全部がどうでもいい」と言っていた。
 
その瞬間、M先生は大声で
「なんでそんなことを言うんだ」と、はじめて私に怒った。
 
今でも、教室に響いた大きな声を覚えている。
 
M先生は、学年委員長の仕事について
「高城ならできると信じていたから、任せたんだよ」
と言ってくれたけれど、
 
当時の私は
行き場のない感情や、生徒と先生のあいだにいる
苦しみを伝えたかっただけなのに、
言葉にできなかった結果、先生に八つ当たりをしてしまった。
 
もしもあのとき、苦しみを言葉にできていたら
未来は変わっていたのかもしれない。
 
……そもそも、私はなぜ感情をうまく伝えられなかったのだろう。
 
つぎに思い浮かんだのが、10歳の頃だった。
   
(つづきます)

第2回 【10歳】かぞくのこと