私は今36歳で、地元の広島に住んでいます。
20歳から30歳までの10年間は
東京で暮らしていました。
学生時代、東京出身の友人に
上京に関する意見を集めているから
その時の気持ちを教えて欲しいと言われました。
確かに上京物語には
出会いや別れの匂いがつきまとうから
ドラマチックなエピソードが出やすいと思います。
私の返答は
「地元を離れたかったわけではないけど、
行きたい大学があったから来るしかなかった。
期待と不安はあったけど、
地元の友人も多く東京に来ているから
本当に寂しかったのは最初の1週間くらい。」
と、たぶんあまり期待に沿わない
そっけない返答をしたように記憶しています。
上京に限らず、
慣れ親しんだ土地を離れるというのは
個人差もよりますが
心理的な負荷がかかることが多いです。
ですが私が初めて地元を離れたときは
上記のようにすごく感慨や葛藤のようなものが
あったわけではありませんでした。
そのまま東京に住み続けることも、
地元に帰ることも、
新しい別の土地に行くことも、
考えたところで仕方がないし、
なるようになるだろうと。
結果なるようになって
地元に帰ってきたわけですが、
よく質問される「なんで帰ってきたの?」には
うまく答えることが出来ないままでした。
上京するときの話とは違い、
帰るときはむしろ複雑な思いがありすぎて
うまく答えられないままだったので
「年齢的な区切り」をフォーマットにして
答えるようにしていました。
上京の対義語は何だろうと調べて見ると
「これ!」と言うものは決まってないようです。
状況によって意味合いも変わるから使い分けるようで、
いくつか抜粋すると「下向」「離京」「帰郷」など、
なかには「都落ち」のように
ネガティブな字面に感じるものもありました。
都を離れるというのは
源氏物語でも光源氏への試練として書かれています。
(この場合の都は京都)
日本人の心理に根付いているのかもしれません。
個人的にはやはり「帰った」印象が強いので
「帰郷」した、とするようにします。
源氏物語 第十二帖 須磨
不貞が発覚した光源氏は自ら須磨への退去を決意。
その地で都の人々と便りを交わしたり絵を描いたりしつつ、
淋しい日々を送る。
東京に住んでいた頃、望郷の念はありました。
特に負の感情が強い時ほど
家族や友人たちの住んでいる広島を思って
ユートピアみたいに感じていました。
かといって帰りたいかと聞かれればそうではなく、
東京での生活を手放したくない気持ちも
しっかり芽生えていたので
たぶん帰らないだろうと漠然と思っていました。
そんな考えが揺らぎ始めたのは
社会人になって数年経った頃です。
仕事の楽しさも知ったけど、
それ以上にストレスを感じることが増えてゆき、
このままずっと東京にいたい気持ちと
このままずっとは東京にいられない気持ちが
交互に襲ってくるようになりました。