「明日は、絶対にしゃべるんだ」
毎日そう思い続けて、毎日その勝負に負けた。
単純に計算しても約2555日連続だ。
小学3年生ごろから中学を卒業するまでの間、
僕は学校に行くとことばを喋れない子供だった。
きっかけももう覚えてないし、
当時診断されたわけではないけど、
今思えば限りなく場面緘黙に近い状態だったと思う。
*場面緘黙(かんもく):家庭内では普通に会話をすることができるが、学校など特定の環境下では声を出して話すことができない状態のこと
子供時代のその7年間はおそろしく長かった。
毎日殻から出たいと願うのに、
一向に出られない自分がいやで、いやで。
本当は、この頃の話はできることならしたくない。
仲のいい友達にすらあまり話してこなかった。
でも、自分の「伝える仕事」への執念の由来をさぐりはじめたら、
この頃の話を避けては通れなかった。
なぜならこの頃がいちばん
人に自分の気持ちを「伝えられなかった」、
もどかしさを抱えた期間だったから。
最近ハマっているもののこと、
気になる人の話、相談やグチ…
学校でまわりの子たちが当たり前にしている
他愛もない会話が、僕には当たり前にできることじゃなかった。
言葉の代わりに当時の僕がしていた意思表示といえば、
せいぜい頷くか、首をふるかくらい。
その一方で、授業で教科書を読む順番になった時にだけは声を出す。
きっとまわりから見たら、相当に奇妙なヤツだった。
ガキ大将たちに「喋れ!喋れ!」と手拍子されることもあったけど、
「喋らないんじゃなくて、喋れないんだよ…」と歯をくいしばり、
その場を耐え凌いでいたのを覚えている。
言葉がないと気持ちを伝えるのが難しい。
人と絆を深めることはまるでできなかった。
その証拠に、中学までの同級生で今でも
繋がっているのは幼馴染の女の子1人くらいだ。
「伝える」ということ。
言葉で自分の気持ちを表現すること。
あの頃の僕にとってそれは一番難しくて、
自分を苦しめるものでしかなかった。
このままじゃ、これから生きていけないーー
中学3年生にもなると、
さすがに人と全くコミュニケーションが取れない
危機感はMAXになった。
ところが、ところが。
ある日、剣道をやっている夢を見たことがきっかけで、
僕はこんなふうに思うようになった。
「スポーツでもやって心を鍛え直せば、
喋れるようになるんじゃない?」
我ながら単純…かつ、なんとも極端なアイディアである。
剣道。たしかに心を鍛えるには持ってこいのスポーツだけど。
そうこうしている間に、今度はたまたま幼馴染に借りた
某バスケ漫画を読んで、あっさりとバスケに心を奪われた。
「こっちのほうがかっこいい!」
バスケはチームスポーツだから、
当然喋らないとチームメイトとの意思疎通はできない。
なかば強引な手段ではあるが、その環境に飛び込めば
きっと変われると踏んだ。
藁にもすがる想いで「高校生になったらバスケ部に入る!」と
決断した僕だったが、それまで運動部経験はゼロだった。
むしろ美術部の幽霊部員をやってるような奴だったから、
なにかに向かって努力すること自体を知らなかった。
唯一ずっとやってきたことといえば絵を描くことくらい。
あまりにも大胆な方向転換だったはずなのに
何の迷いもなく飛び込むことができたのは、
それほどに「このままの自分じゃイヤだ」という気持ちが
強かったということだろう。
コンプレックスの塊だった僕には、1ミリの自信もなかった。
(つづきます)