十文字 |
おひさしぶり。
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糸井 |
いらっしゃい。
この『わび』って本……なにあれ?
ほんとうに、驚いたよ!
驚きのあまり、来ていただいたんですけど。
もともとは、どこかの連載だったんですよね。
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十文字 |
茶道部のところだけは、そうです。
裏千家に関係ある
出版社から出している雑誌で連載してました。
そこで、1年半ぐらい、連載していたのかなぁ。
淡交社という出版社で「なごみ」という雑誌でした。
だから、淡交社としては、
第2章の「茶」だけの写真集を
作るんだと思っていたんじゃないかなあ?
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糸井 |
いや、きっとそうだよ!
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十文字 |
だから、驚いたみたい。
特に、第3章の「現代」は、
印刷直前までまったく知らなかったから。
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糸井 |
え? そういうのって作っちゃっていいの?
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十文字 |
割と、鷹揚にかまえてくれていました。
それに、編集者が新しい「わび」を
期待していたんだと思うよ。
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糸井 |
第2章は「お茶」についてを扱っているけど、
それ以外は、ほとんど、
「いわゆる茶道」ではないからねぇ。
ものすごいよ、この写真は……。
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十文字 |
お茶以外のものを撮っているということは、
編集者は知らなかったから。
途中の段階までは見たこともないし。
『わび』というテーマで本を作ろうと、
出版社の編集会議で通ったのも、
そもそも9年前になるもんね。
当時の編集者も、
出世しちゃって、いまや局長になっていますから、
直接の担当から離れちゃった。
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糸井 |
いいねぇ、その雰囲気も。
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十文字 |
「『わび』というテーマで
本を作ろう、撮影は十文字で」
そういう事実だけが残った状態になっていたから。
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糸井 |
そういう本を作ろう、というのは、
十文字さんのほうから持っていったわけではない?
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十文字 |
いや、ぼくが持っていった。
1990年に日本の黄金美術を
テーマにした写真集『黄金風天人』を
やり終わった後に、自分の中では、すでに、
「つぎは、わびだ」と思っていたから。
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糸井 |
世界中の黄金を
撮りまくった写真集を作ったあとに、
テーマを「わび」だと決めていたんだ?
ただ、実際に本が出るには、
そうとう偶然が重なっていたんだね。
それが、おもしろい。
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十文字 |
だって、いまどきこんなテーマの本、
出してくれる出版社はないでしょう?
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糸井 |
だから、びっくりしたんだよ……。
淡交社ということで、まずは
「あ、これは組織票があったんだな。
まず、茶道部やお茶関係者は、買ってくれる」
とは、思ったんですけどね。
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十文字 |
当然、そういう人たちを対象にして作ってると、
淡交社としては思っていたんだね。
ぼくの周辺の新しい人たちのことも
考えていたとは思うけど。
だけど、こういうかたちになりましたから、
最初はとまどっていたんじゃないかなぁ?
お茶関係の人たちも買ってくれてると、
編集者から聞いたけど、たぶん、
本を開いて驚いているんじゃないかなぁ。
ですからいま、ぼくのところに
たくさんの反響が来ています。
いままで作った本とは比較にならないくらい。
ちょっと不思議な気がするんですけど、
「わびさび」というのは、
みんな、どうも何となく、自分の
「わびさび」の世界があるんですよね。
そこがすごくおもしろい。
この本を見た時に、自分の「わび」と、
どこかがつながっていると思うんですね。
それぞれの人にとっての「わびさび」と
僕が感じてる「わび」とは、違っているんだけど、
写真を見ると、どこかでつながっている、
と思うらしい、そこがおもしろい。
本を見た人達の感想は、今までの本と違っていて、
書いてくる内容がとても具体的です。
やはり「わび」ということでは、
一人一人それぞれが持っている風景があるんだね。
ただ、なんとなくぼんやりしていて、
この写真を見ると、
そのぼんやりしてた風景の輪郭が
ややはっきりしてくる、そこを指摘してくれて。
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糸井 |
それで、安心して見られるのが、
茶の章なんですよね。
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十文字 |
そうなんです。
やはり「わび」といえば
「わび茶」のことが一般的でしょ。
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糸井 |
そっちは、共同幻想なんですもん。
それ以外の章には、
私幻想が入れこまれていて、更に、
どっちでもないものが、たまに入ってる(笑)
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十文字 |
そうなの。
そのどっちでもないと感じるものが
実はいちばん、
自分の「わび」を確認できるわけでしょ。
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糸井 |
まずは、黄金のあとに「わび」かよ!
というインパクトがあるじゃないですか。
「茶道部みたいなところで撮ったんだろうなぁ」
と思ってパラパラと開いてみたら……。
これがもう、こちら側の感想が
出てきて出てきて、困るぐらいなの。
ページを、めくるたびに感想がいくつも……!
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十文字 |
そうなのよ。
いままでみたいな、たとえば、
「本読みました、ありがとう」
みたいな感想じゃなくて、みんな、
自分が抱いていた「わび」に対する思いを
真剣に書いてきてくれるんですよ。
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糸井 |
わかる。
俺が十文字さんに会いたくなったのも、
それだもん。
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十文字 |
それはうれしいです。
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糸井 |
(本のページをめくる)
これなんか、茶道だけじゃなくて、
華道も入っているもん。
茶でもなく、私でもないものもある。
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十文字 |
このあいだ、『BRUTUS』の編集者と話した時に、
たまたまその写真をひろげて、
「これは現代アートに見える」と言われたよ。
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糸井 |
ただ、現代アートとして
見ようとする一群の人たちは昔からいて、
「モダンアートとして、いいんじゃないか」
と、外人の目でものを見るじゃないですか。
その褒めかたは、ひととおり、もう、
いろいろなものについて、終わったと思うんです。
それだと、茶のことはわからない。
「シンプル・イズ・ベスト」みたいな発言しか、
できなくなっちゃうもんね。
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十文字 |
いま糸井さんが言ったことって、
結局は、わびの神髄で。
わびっていうのは心で見るもので、
現実のものを通して、
自分の見たいものを見ていいの。
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糸井 |
あぁ……。
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十文字 |
そのことをぼくは、
この本で言いたかったんです。
もともと、
日本にはそういうアートがあったのに、
ぷっつり切れちゃっていた。
そういうアートが出てきたのは、
だいたい、鎌倉時代ぐらいからです。
貴族のものだった美術や文化が、
大衆の中におりてきたの。
それは美術の世界だけでなくて、
むしろ宗教の世界で顕著にあらわれた。
当時の大衆っていうのは、
そんなに教養も下地もないですよね。
だから、
「見たものを通して、
自分の見たいように見ていいよ」
という鎌倉新仏教が出てきた。
本当の宗教を追求しようとした人たちは
寺を捨てて民衆の中に分け入った時代です。
むずかしいことはいらないんだ、ただ、ただ、
「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われると教えた。
ルネサンスよりも、さらに数百年前、
1200年あたりから、
連綿と続いてきた文化でしょう?
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糸井 |
うん、すごい蓄積だよね。
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十文字 |
それが、どこかで、ぶつっと、切れちゃった。
なぜかは、わからないけど。
鎌倉期に起きた美の大衆化っていうのは、
「それぞれ、見たいものを
自分の心のなかに、作りなさい」
ということですよね。
「見たいものを、見なさい」なんです。
わびって、もともと、敗者のものです。
隠遁とか遁世というかたちで、
世俗から距離をおかざるを得なかった人たちが
ひらきなおって発見した美意識です。
ぴかぴか光る黄金よりも、
自分たちの身のまわりにある、
特別でないもの、あたりまえで地味な方が
よっぽど深みがあって、飽きがこないってね。
隠遁して、山里に入った
数寄者(すきもの)たちの作った
美意識だから、もともとの発生からして、
成功した貴族の作ったものじゃないんですよ。
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糸井 |
十文字さんは「黄金」をやった後だから、
なおさらわかるんだね。
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十文字 |
そうなんです。
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糸井 |
ビカビカの黄金を作る人たちとは別に、
自分たちが美しいと思うものを、
社会的な成功ではないかたちで
求めざるをえない人たちがいたわけだもんね。
歴史上、ほとんどの人にとっては、
食うや食わずの時代が長かったんだし。
鎌倉時代なんていうのは、
まだ食えていないわけですから、
「みんなが言っているのが成功だとしたら、
俺たちは生きている価値がないじゃないか」
そう思う人たちが作る文化もある、と。
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十文字 |
黄金をやっていた時には、
仏像を撮ることが中心だったんですけど、
平安時代や鎌倉時代に作った仏像と言っても、
ぼくが撮る現代では
もう、ピカピカじゃないわけです。
当然、剥落しているわ、欠損しているわ、
金は光りを失ってるわ、みたいなね。
現実に作られた時代には、
そういうものを見ていたわけじゃないでしょう。
でも、いまの時代の人は
その不完全な姿を見て
「いいね」「いいね」って言ってる。
それがもし作りたてだったら?
ほんとにいいって言えるの?
なかにはとてつもなく下品でつまらない
仏さんも、いるんじゃないの?
……それってなんだろう?
そういうところから、
「わび」を考え始めていたんです。
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糸井 |
つまり、
「おまえらがいいって言ってるのは、
勝手に言ってるだけじゃないか」
ということですよね。
当時の人がいいと思ったことと、
いまのイメージと違っているわけで。
歌謡曲をほめる評論家みたいに
みんながなっていることに対して、
十文字さんが金ピカなところばかりで
写真を撮っていって……。
あの黄金の本で、
ふざけたこともしているじゃないですか。
「立体で見る」だとか、それから
どんどん黄金ってことで飛んでいって、
とうとう、金塊まで撮りはじめた(笑)。
あれで、要するに、
「そこに価値を見いだす人が
いるということを認めろよ」という、
すごい意地悪なアートだったと思うんです。
サブカルチャーをもう一度ひっくりかえしたような。
カルチャーがあって、サブカルがあって、
そしてその中で十文字さんの撮った黄金は、
「もう一度、サブへのカウンターだった」と思う。
「趣味がいい」ということへのカウンターだから、
その先に、
ものすごい隠れたものを感じていました。
それがついに、出てきたんだ。
これは、興奮します。
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