十文字美信的世界。
生き方が、もう表現であるような。

第8回 生まれたものには価値がある。


糸井 ぼくは、『わび』の
十文字さんの写真をめくりながら、
「これは宇宙人が見たらどう思うかなぁ?」
「パブロ・ピカソなら、どうなんだろう?」
そうやって、思っていたんです。

そう考えだすと、
美意識っていうのは、
もう、グラグラ不安定なところに
煮えたっているマグマみたいじゃないですか。
十文字 うん。
糸井 マグマの動きそのものを
そのままとらえて
『わび』という本にしたのが
十文字さんですから、それはスゴイよ。
「わけがわかんないんだけど、
 とにかく見てみてよ!」
って、おおぜいの人に言いたくて仕方がない。

つまり、俺も、究極には
何を言いたいのかというと、
「生まれたものはぜんぶ価値がある」
ということなんですよ。
十文字 そうなんだよ。
ほんとに、そうなんだ。

あ……いま、それを聞いて、
ほんとに、うれしかったなぁ。

やっぱり、そういう話になるもんね。

いまの時代って、特にそういうことを
感じなきゃいけないと思ってる。


ぼくらが美しいと思ってきたことって、
もしかしたら、昔の人がセレクトしたもので、
それをそのまま思い込んでるものも
ずいぶんあるよね。
捨てられたもののなかにも、
だいじなものがいっぱいあるかもしれない。
糸井 ポジティブってさっき言ったけど、
ぼくはめちゃくちゃ、ポジティブなの。

ネガティブを直してるヒマがあったら、
取るに足りないものを認めてあげて、
いまあるエネルギーをプラスに向けたほうが、
実際に、しあわせになるんですよ。
十文字 うん、うん。

この本って、
そういうことを言いはじめると、
けっこう細かいところまで気を使っていて、
たとえば、カメラの選択から始まって、
ライティングからなにからっていう点では、
専門的な話だけど……。

「ほんとに素人が撮るようなやりかた」から、
「ほんとに写真をわかってる見るやつが見たら、
 どう撮るか、わからないだろうなぁ」
という技術を駆使してやるところまで、
ぜんぶ、入れこんでいますから。
糸井 おぉー。
十文字 お茶の章のところでの
茶碗を撮ったクオリティなんて、
実は、写真を好きなやつから見たら、
「え? どうやって撮るんだろう?」
と思うような技術が詰まっているんです。
糸井 そこは、十文字さん、
「調教師3位」の実力を出したんだ?(笑)
十文字 そうね(笑)。

そのへんは、
「そう簡単には見破られねえぞ」っていう、
だって、30何年もやってきているわけだから。
糸井 ほんとに、そうだよねぇ。
長くやってるって、すごいことなんだ。
俺はそれこそ、その写真の技術については
ぜんぜん、わからないんだけど、
「バラついてるなぁ」って感じだけはわかる。

この『わび』って、
ときどき見る側を安定させて、
ページをめくらせているだとか、
写真の順番のほうも、けっこうすごいね。
十文字 順番もすごくおもしろいんだけど、
ほんとの話、トランプのようにして、
ランダムに混ぜて、部屋にまいたのね。
糸井 おぉ!
十文字 順番に拾っていったままだった。
糸井 それは、わかるわ……。
自分をもだませないものは
どこかで、発見されてしまいますよね。

バラバラにまいたものというのは、
とるにたらない1回の偶然で、
それでも、そこには価値がある。
十文字 うん。
いま、自分で
いちばんだいじにしているというか、
価値があるものだなぁと思っているのは、
「偶然」なんですよね。
糸井 あぁ。
十文字 どんなやつでさえ、
「自分で考えたもの」というのには
やっぱり限界があって、
その考えの範囲をわかった瞬間に、
もう、おもしろくなくなっちゃうんです。
だけど、偶然っていうのは、そうではない。


この『わび』っていう本、
俺はいまでも毎日のように開いてみるけど、
おもしろいの。
どうしておもしろいのかっていうと、
偶然で順番を決めているから。

だから、何回見ても飽きないんですよ。
「なんでここにこれが来るんだよ!」っていう。
糸井 そうなんだよねぇ。
十文字 もちろん、章だては、やっています。
だけど、あとはバラバラ。
糸井 ぼくはもともと、
一生懸命じっくり見ることって
根本的に嫌いですから、ただ単に
「あ、これは見ておこう」ではじまるんです。

『わび』も、そうやって見たんだけど、
もう、驚くぐらいに感想を持って
持ちすぎてしかたなかったんだから……。
飽きないですよ。
十文字 茶の章に載っている
豆まき石っていうのがあるんだけど、
この、庭に置いてある石の場所は
どういうふうに決められたのかというと、
千宗旦という千利休の孫が、
豆をまく時の大豆を、石の数だけ握って、
ぽん、と放ったんですよ。
「豆の落っこちた場所に、石を埋めろ」と。


それはもう有名な伝説なんだけど、
それを聞いた瞬間、俺は真実だと思った。
だから、宗旦はその庭に
何回行ってもおもしろかっただろうなぁ。

この石の次はここって、歩きにくいなぁとか、
なんでこんなふうに離れてるんだよって
言いながら庭を歩くことがゲームじゃない?
それこそ、「予期せぬもの」なわけで。

日本人って、昔からそういう
偶然のおもしろさを知っていたんですよ。

ぼくは、人がやったのも、飽きちゃうんです。
特に気に入らないものなんかだと、
もう1回目から、飽きちゃうじゃない?

だけど、自分の意図を
超えてできたものは、自分でさえたのしい。
糸井 タネとしかけのあるものっていうのは、
タネとしかけがわかったら、
「もう、いい」んですよねぇ。
十文字 そうだね。


(明日の第9回に、つづきます)

2003-01-21-TUE


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