糸井 |
ぼくは、『わび』の
十文字さんの写真をめくりながら、
「これは宇宙人が見たらどう思うかなぁ?」
「パブロ・ピカソなら、どうなんだろう?」
そうやって、思っていたんです。
そう考えだすと、
美意識っていうのは、
もう、グラグラ不安定なところに
煮えたっているマグマみたいじゃないですか。 |
十文字 |
うん。 |
糸井 |
マグマの動きそのものを
そのままとらえて
『わび』という本にしたのが
十文字さんですから、それはスゴイよ。
「わけがわかんないんだけど、
とにかく見てみてよ!」
って、おおぜいの人に言いたくて仕方がない。
つまり、俺も、究極には
何を言いたいのかというと、
「生まれたものはぜんぶ価値がある」
ということなんですよ。 |
十文字 |
そうなんだよ。
ほんとに、そうなんだ。
あ……いま、それを聞いて、
ほんとに、うれしかったなぁ。
やっぱり、そういう話になるもんね。
いまの時代って、特にそういうことを
感じなきゃいけないと思ってる。
ぼくらが美しいと思ってきたことって、
もしかしたら、昔の人がセレクトしたもので、
それをそのまま思い込んでるものも
ずいぶんあるよね。
捨てられたもののなかにも、
だいじなものがいっぱいあるかもしれない。 |
糸井 |
ポジティブってさっき言ったけど、
ぼくはめちゃくちゃ、ポジティブなの。
ネガティブを直してるヒマがあったら、
取るに足りないものを認めてあげて、
いまあるエネルギーをプラスに向けたほうが、
実際に、しあわせになるんですよ。 |
十文字 |
うん、うん。
この本って、
そういうことを言いはじめると、
けっこう細かいところまで気を使っていて、
たとえば、カメラの選択から始まって、
ライティングからなにからっていう点では、
専門的な話だけど……。
「ほんとに素人が撮るようなやりかた」から、
「ほんとに写真をわかってる見るやつが見たら、
どう撮るか、わからないだろうなぁ」
という技術を駆使してやるところまで、
ぜんぶ、入れこんでいますから。 |
糸井 |
おぉー。 |
十文字 |
お茶の章のところでの
茶碗を撮ったクオリティなんて、
実は、写真を好きなやつから見たら、
「え? どうやって撮るんだろう?」
と思うような技術が詰まっているんです。 |
糸井 |
そこは、十文字さん、
「調教師3位」の実力を出したんだ?(笑) |
十文字 |
そうね(笑)。
そのへんは、
「そう簡単には見破られねえぞ」っていう、
だって、30何年もやってきているわけだから。 |
糸井 |
ほんとに、そうだよねぇ。
長くやってるって、すごいことなんだ。
俺はそれこそ、その写真の技術については
ぜんぜん、わからないんだけど、
「バラついてるなぁ」って感じだけはわかる。
この『わび』って、
ときどき見る側を安定させて、
ページをめくらせているだとか、
写真の順番のほうも、けっこうすごいね。 |
十文字 |
順番もすごくおもしろいんだけど、
ほんとの話、トランプのようにして、
ランダムに混ぜて、部屋にまいたのね。 |
糸井 |
おぉ! |
十文字 |
順番に拾っていったままだった。 |
糸井 |
それは、わかるわ……。
自分をもだませないものは
どこかで、発見されてしまいますよね。
バラバラにまいたものというのは、
とるにたらない1回の偶然で、
それでも、そこには価値がある。 |
十文字 |
うん。
いま、自分で
いちばんだいじにしているというか、
価値があるものだなぁと思っているのは、
「偶然」なんですよね。 |
糸井 |
あぁ。 |
十文字 |
どんなやつでさえ、
「自分で考えたもの」というのには
やっぱり限界があって、
その考えの範囲をわかった瞬間に、
もう、おもしろくなくなっちゃうんです。
だけど、偶然っていうのは、そうではない。
この『わび』っていう本、
俺はいまでも毎日のように開いてみるけど、
おもしろいの。
どうしておもしろいのかっていうと、
偶然で順番を決めているから。
だから、何回見ても飽きないんですよ。
「なんでここにこれが来るんだよ!」っていう。 |
糸井 |
そうなんだよねぇ。 |
十文字 |
もちろん、章だては、やっています。
だけど、あとはバラバラ。 |
糸井 |
ぼくはもともと、
一生懸命じっくり見ることって
根本的に嫌いですから、ただ単に
「あ、これは見ておこう」ではじまるんです。
『わび』も、そうやって見たんだけど、
もう、驚くぐらいに感想を持って
持ちすぎてしかたなかったんだから……。
飽きないですよ。 |
十文字 |
茶の章に載っている
豆まき石っていうのがあるんだけど、
この、庭に置いてある石の場所は
どういうふうに決められたのかというと、
千宗旦という千利休の孫が、
豆をまく時の大豆を、石の数だけ握って、
ぽん、と放ったんですよ。
「豆の落っこちた場所に、石を埋めろ」と。
それはもう有名な伝説なんだけど、
それを聞いた瞬間、俺は真実だと思った。
だから、宗旦はその庭に
何回行ってもおもしろかっただろうなぁ。
この石の次はここって、歩きにくいなぁとか、
なんでこんなふうに離れてるんだよって
言いながら庭を歩くことがゲームじゃない?
それこそ、「予期せぬもの」なわけで。
日本人って、昔からそういう
偶然のおもしろさを知っていたんですよ。
ぼくは、人がやったのも、飽きちゃうんです。
特に気に入らないものなんかだと、
もう1回目から、飽きちゃうじゃない?
だけど、自分の意図を
超えてできたものは、自分でさえたのしい。 |
糸井 |
タネとしかけのあるものっていうのは、
タネとしかけがわかったら、
「もう、いい」んですよねぇ。 |
十文字 |
そうだね。 |