- ──
- 國村さんは、2017年に、
シェイクスピアの舞台『ハムレット』で、
「先王ハムレットの亡霊」と
「クローディアス」の
2役を演じてらっしゃいましたね。
- 國村
- はい。
- ──
- 拝見して、とてもよかったです。
先王の亡霊の「異形」や、
その先王を毒殺した弟クローディアスの
不敵さや人としての弱さなどを、
國村さんが、すばらしく表現されていて。
- 國村
- ああ、ありがとうございます。
- ──
- 意外にも「はじめてのシェイクスピア」
だったそうですが、
いかがでしたでしょうか、演じてみて。
- 國村
- もともと舞台からはじめた人間なので、
当然、
シェイクスピアの戯曲は読んでますし、
劇団研究所にいたころには、
稽古で演じることもあったんですけど。
- ──
- ええ。
- 國村
- 正直、シェイクスピアのすごさが、
よくわかってなかったなと思いました。
- ──
- 演じて、わかった?
- 國村
- はい。それまでは、たとえば、
よく言われるように、
シェイクスピアのセリフというものは、
まるでポエムのようだ‥‥と。
- ──
- 韻を踏んでいたりして。
- 國村
- でも、それ、音楽的やって言うけども、
英語でやったときの話やろ、と。
- ──
- ええ。
- 國村
- そんなふうに、思ってしまってまして、
これまで演じる機会もなかったんです。
でも、演出のジョン・ケアードさんが、
一緒にやろうとチャンスをくださって。
- ──
- そうなんですね。
- 國村
- ただ、そんなことでしたから、
当初は、ちょっと尻込みしてたんです。
まず、シェイクスピアについて、
本当のおもしろさがわかっていないと
思ってましたから、
そんな自分に演じられるだろうか、と。
- ──
- なるほど。
- 國村
- でも、あのケアードさんという演出家は、
本国イギリスの
ロイヤル・シェイクスピア劇団の人だし、
シェイクスピアの専門家ですから、
はじめてシェイクスピアに関わるのなら、
こんなチャンスはないなと思って。
- ──
- やろうと決心されて、どうでしたか。
- 國村
- ケアードさんは、
本をつくり変えるところから入りました。
本国では、シェイクスピアって、
勝手に手を付けちゃいけないんですって。
戯曲自体、いじっちゃいかんと。
- ──
- そうなんですか。
- 國村
- だから、ケアードさんとしても、
やりがいのある仕事だったみたいですね。
自分の考える「ハムレット」がやれると。
- ──
- それは、具体的には、どういう‥‥。
- 國村
- ひとつには訳詞をどうするかという部分。
シェイクスピアのセリフには、
ダブルミーニング、
トリプルミーニングの妙味があるけれど、
日本語に訳した場合、
同時に「わかりやすさ」も重要だから、
そのおもしろみの部分が、
割愛されてしまうこともあるんだそうで。
- ──
- ええ。
- 國村
- そのあたり、
日本語訳のつくり方をいっぺん考えよう、
ということで、
最初は「テーブル稽古」みたいなことを
10日ちょっと、やったんです。
- ──
- へぇ‥‥。
- 國村
- 思えば、その時間というのが、
ほとんど「シェイクスピア講義」でした。
- ──
- 本国の専門家による、贅沢な授業。
- 國村
- で、そのときの成果を下敷きにして、
ごらんいただいた舞台が、
徐々に、できあがっていったんです。
- ──
- 日本語訳は、松岡和子さんですね。
- 國村
- そうです。松岡さんも、
ずっと現場についてくださっていました。
それぞれの役者たちが、それぞれに、
松岡さんとダイレクトに相談し、
ケアードさんとダイレクトに相談し。
- ──
- 演じることによって、
シェイクスピアのおもしろさが‥‥。
- 國村
- わかりました。おもしろさと、すごさと。
具体的に挙げればキリがないんですけど、
やっぱり、その「普遍性」ですよね。
- ──
- 数百年前の物語に感動するんですものね。
- 國村
- 人間というものに対する理解の深さが、
いつの時代の人間にも、
きちんと届いていく、そのすごさです。
- ──
- その話を、人間が演じるということを、
何百年も続けてきたこと自体、
えらいことですよね。しかも世界中で。
- 國村
- そう思います。
仮に、これがテキストだけで、
役者が演じるということがなかったら、
シェイクスピアは、
歴史のどこかに、
埋もれてしまったかもしれないと思う。
- ──
- 「演じること」こそ「生命」だと。
- 國村
- やはり小説ではなく戯曲であることが、
シェイクスピアの物語の、
非常に大きな部分なんだと思います。
- ──
- シェイクスピアの戯曲を、
文芸作品として「読む」という場合は、
セリフの連続になりますよね。
- 國村
- ええ。
- ──
- なので、活字で読んだだけで、
実際に俳優が演じるお芝居を見ないと、
わからなかったおもしろさが、
たしかにあるよなあって思います。
- 國村
- 芝居になったとたんに、いきいきする。
そういう感覚ですよね。
- ──
- 役者さんのセリフの迫力もありますし。
- 國村
- シェイクスピアに限りませんけど、
どんな舞台でも、
それこそがライブの強みです。
役者がそこにいて、動き、しゃべると。
- ──
- はい。
- 國村
- ライブの舞台の上には、役者の肉体と、
その肉体から放たれる
エネルギーのようなものが渦巻いている。
われわれ役者は、そういうものを、
お客さんに伝えようとしているんです。
- ──
- ええ。
- 國村
- セリフの持つ論理性だけではなくて、
その人物が、
そのセリフを吐かねばならなかった、
「思い」みたいなものまで、
われわれ役者は、肉体と言葉を通じて、
舞台の上にぶちまけるわけです。
そして、お客さんは、
その「思い」を受け止めるんですね。
- ──
- 生で。
- 國村
- この男は、どうして、そんな理屈を
相手にぶつけるのか。
そんな言葉を、吐かねばならぬのか。
お芝居が直接的に伝えるのは、
理屈や論理じゃなくて、そっちです。
- ──
- 今、このセリフを吐いている人が持つ、
思いや、エネルギー。
- 國村
- そう。舞台で役者が伝えるのは、
まさしく、その部分だと思います。
- ──
- 論理や理屈よりも先に。
- 國村
- そして、そのことを役者がわかっていて、
そのように演じてやれば、
お客さんたちは、
今度は、シェイクスピアのセリフ自体を‥‥
つまり、
セリフが持つ理屈や論理を楽しむことも、
できるようになるんです。
<つづきます>
2018-09-10-MON
写真:大森克己