俳優の言葉。 003 村上淳篇

ほぼ日刊イトイ新聞

俳優の言葉は編集しにくい。扱いづらい。
きれいに整えられてしまうのを、
拒むようなところがある。語尾でさえも。
こちらの思惑どおりにならないし、
力ずくで曲げれば、
顔が、たちどころに、消え失せる。
ごつごつしていて、赤く熱を帯びている。
それが矛盾をおそれず、誤解もおそれず、
失速もせずに、心にとどいてくる。
声や、目や、身振りや、沈黙を使って、
小説家とは違う方法で、
物語を紡いできたプロフェッショナル。
そんな俳優たちの「言葉」を、
少しずつ、お届けしていこうと思います。
不定期連載、担当は「ほぼ日」奥野です。

> 村上淳さんのプロフィール

村上淳(むらかみ・じゅん)

1973年7⽉23⽇⽣まれ。
90年代に⼈気モデルから俳優に転⾝し、
数多くの映画・ドラマに出演。
2000年には第22回ヨコハマ映画祭助演男優賞を受賞。
近年の主な作品に、
『新宿スワン』シリーズ(15,17)、
『グラスホッパー』(15)など。
2018年公開作に
『blank13』、『素敵なダイナマイトスキャンダル』、
『友罪』、『パンク侍、斬られて候』など多数出演。
また10⽉19⽇(⼟)より
『ここは退屈迎えに来て』が公開予定。
10⽉(毎週⾦曜夜11:15~)スタートの
テレビ朝⽇系⾦曜ナイトドラマ『僕とシッポと神楽坂』に
獣医師役での出演が決まっている。

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問合せ先:022-765-5294

第6回 だから映画に出続けたい。

──
村上さんは、俳優になる以前にも、
プロスケーターやモデルとして
活動されていましたが、
どの時点で「俳優で行くんだ」と、
はっきり意識しましたか。
村上
ハタチの撮影現場です、やっぱり。
──
プロにまで登りつめたスケボーも
20歳で辞めたと
おっしゃっていましたが、それも?
村上
映画に入ったことが、大きいです。
──
それほど映画の世界は魅力的だった。
村上
それは、もう。

自分ではテングになってるつもりは
なかったんですけど、
はじめての現場で痛烈に感じました。
勘違いしてたんだな、自分はって。
──
そうですか。
村上
そして、まわりの映画人の方々に
ただの単なる
「いち小僧」として扱われたときの
あの「心地よさ」を、
今でもずーっと、覚えています。
──
今後も俳優人生は続いていきますけど、
最終的にこうなりたいという、
村上さんの「理想型」ってありますか。
村上
のちのちにまで残る映画に一本、
出られたらいいなあと思っています。
──
一本。
村上
一本でいいです。
──
それは‥‥一本というのは、
どういう役でも出れればいいですか。

つまり「主演」でなくとも。
村上
はい。ハタチで、映画人に洗礼を受けて、
その人たちのかっこよさに触れて、
一生この仕事を続けたいって思いました。

で、それから25年、
こうしてしがみついているわけですけど、
同時に、この仕事って、
いつか答えが出るのかなと思うんです。
──
答え?
村上
たとえば、映画でも小説でも写真家でも、
名作とか天才とか言われているのに、
生きていたときは不遇で、
死んでから評価され出すような人たちも、
たくさん、いますよね。
──
そうですね。宮沢賢治みたいに。
村上
僕の好きな写真家で、
E.J.ベロックという人がいるんです。

生涯、ニューオリンズの「娼婦」を、
撮り続けた写真家です。
──
娼婦‥‥の肖像?
村上
そう。ヌード。

ふだんは
街の写真屋だったそうなんですけど、
娼館で、娼婦を撮り続けて、
有名にもならず、ひっそり死んで。
──
時代にうずもれるようにして。
村上
で‥‥死んでだいぶ経ってから、
作品がごっそり、発掘されたんです。
──
それで、世に出たんですか。
村上
ベロックさんだって、もちろん僕だって、
こういう仕事をやっている以上、
生きているうちに、評価されたいですよ。

でも、どれだけの作品を残したとしても、
時代や運命のめぐり合わせで、
そうならないことだって、多いですよね。
──
はい。
村上
だからこそ、僕は、
「できるだけ出たい」と思うんです。

撮影開始5日前のオファーだろうが、
スケジュールがぶつからない限り
断らないですし、
映画に出続けてさえいれば、
のちのちに残る一本に出られる可能性は、
ゼロにはならないので。
──
すぐには評価されなくても、いつか。
村上
うん。
──
ただ、歴史や時代が評価する作品と、
ご自身の好きな作品って、
違ってくる場合も、ありますよね。
村上
そうですね。

僕の30代を支えた作品を挙げるなら、
『ヘヴンズ ストーリー』と
『Playback』だと思っているので。
──
両方観ましたが、
前者は4時間以上もある長編で、
後者はモノクロ映画で。

どちらも、個性的な作品ですよね。
村上
どっちの映画を合わせても、
観た人は、何万人もいないですよ。
せいぜい何千人でしょう。

でも、あの作品に出てなかったらとは、
今ではもう、考えられません。
今の40代の自分に、
絶対に影響を与えている映画だと思う。
──
それほどまでに。
村上
とくに『Playback』に関して言えば、
三宅唱という、
当時25歳の「いち小僧」の映画監督が、
どういう感覚で、どういう演出で、
どういう緊張感を持って、
映画に取り組むんだろうと思いました。

そして、その三宅唱監督のやり方に、
今の若者たちの感性や方向性に、
できるかぎり沿おうと思ったんです。
──
静かだけど、でもコンスタントに、
日本のどこかで
上映し続けられている作品ですね。
村上
この先『Playback』が、
歴史に残る映画になるかどうかって、
それはわかりませんけど。

僕自身にとって、大きな映画です。
──
今日、村上さんに
インタビューさせていただくにあたって、
また観たいと思ったんですが、
観ることのできる手段が、今のところ‥‥。
村上
なかなか、ないですよね。
──
DVDにもなってないみたいだし。
村上
しないんじゃないですかね。

フィルムに焼いている作品なんで、
シネコンじゃ無理なんです。
ミニシアターとか、
今でも映写機が回ってる劇場じゃないと、
上映できないんです。
──
ああ、そうなんですか。
村上
公開から6年くらい経ちますけれど、
ありがたいことに
何度も何度も、
上映の機会を与えていただいていて。
──
ええ。
村上
フィルムで撮ってますから、
だんだん、
フィルムに傷がついていくわけです。
──
ああ、上映を重ねるごとに。
村上
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
傷がついていって‥‥
それが何だか、
映画に、貫禄がついていく気がして。
──
そう思うと
何か不思議なものですね、映画って。
村上
そうですね。得体が知れないです。
だから「これしかない」って、
思っているのかもしれないです。
──
当面の目標って、なんですか。
村上
今は、自分の40代を支える映画に、
出会えたらいいと思ってます。
──
なるほど。
村上
50代になったとき、
40代で、あの作品に出会っていたから
今があるんだ、
何とかやってこれたんだって思える、
そういう映画に。

<終わります>

2018-08-27-MON

写真:富永よしえ
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村上淳さんにも、おとどけします。

俳優の言葉。