2006年5月5日、
PRIDE無差別級グランプリ1回戦で対戦した
マーク・ハントとの試合を最後に、
自分は選手を引退しました。
それまでの間、中学から始めた柔道から数えると24年間、
自分は格闘技選手生活を送っていたことになります。
その間、“強さ”を手に入れるためだけに様々な経験をつみ、
悩み、考え、壁にぶち当たっては
それを乗り越えて今までやってきました。
そして、その副産物とでもいうのでしょうか、
そのおかげで自分は“カラダの使い方”について、
ある法則が存在することに気がついたのです。

現在、格闘技をはじめ、
カラダを使って行わなければいけないものは
最初、その基本動作から入っていきますが、
もし“カラダの使い方を知る”ということを
まずその前にやるようにすれば、
無駄が省け、理解が更に深まるんじゃないかと
自分は思っています。
そしてそれだけでなく、
普段の生活の中でのちょっとした動きや体勢においても
無理のない形をつかむことができるようになるとも
自分は考えています。
自分が気づいた法則というのは
特別な人にだけというわけではなく、
すべての人に当てはまるはずなので、
そういう可能性も持っていると思うのです。

そこで、ここではこれから自分がいろんな人にお会いして、
それぞれの“カラダの使い方”について
話を伺っていこうと思っています。
自分が気づいたものが本当に
すべての人に言えることなのかどうかを確かめる為には、
自分の意見だけではなく、
様々な分野でカラダを常に使っていらっしゃる方々の話が
必要だと思うのです。

それではその本題の話をする前に
ここで一度過去にさかのぼって、
自分が“それ”(無理のないカラダの使い方)に
触っていたのは、いつ、どんなときだったのか?
ということをまず考えてみました。

自分は中学校入学と同時に柔道を始めました。
それからというもの、毎日毎日放課後は練習。
春、夏、冬の休みも練習。
高校に入ってからなんて、
年間で休みの日が3、4日しかないという、
本当に柔道漬けの日々を送っていました。
“それ”を最初に自覚したのは、確か高校1年の時の
夏の強化合宿でのことだったと思います。

合宿では三部練習といって、
まず早朝にグラウンドでランニングなどを行い、
朝食後、昼まで道場で練習をした後、
昼食をとって1時間程の休憩を挟んでから
また日が落ちるまで道場で練習というのを
4日間毎日行ないます。
しかも夏のさなかに、時には道場の窓を閉め切って
練習を行うこともありました。
1年生で、まだ体力もなかった自分は、
それこそついて行くのが精一杯で、
初日からふらふらになりながらも
何とか立っているといった状態でした。

“それ”が起こったのはその合宿最終日。
柔道の練習で元立ちというものがあるんですけど、
それは一人が休憩なしで決まった本数の
乱取り(スパーリング。実戦形式の練習)を
行うというもので、
相手は休憩しながらなので元気だけど、
こっちはどんどん疲れていくという、
地獄の様な練習なのです。
しかも4日間の猛練習で疲労はピーク。
正直、誰もが今日は
もうやりたくないと思うものですけど、
そういうときに限って指名されるんですよね。
ちなみに時間は5分12本インターバルなし。
つまり1時間ぶっ続けです。
監督に名前を呼ばれた瞬間、
もう死んだ方がましやと、本気で思いました。

面白いように先輩たちに投げられ、
立ち上がってはまた投げられを繰り返して、
体力は限界、意識は朦朧としてきていました。
ところが30分ぐらいが過ぎたとき、
「あれ?」と何かがおかしいことに気がついたのです。
確かにカラダはきつく、息も苦しい。
けど、なんか楽なんです、カラダが。
それまで技をかける力も残っていなかったのに、
そこからは自分から仕掛けられるようにもなっていました。

回復したのか?
いや、練習のやりすぎで
カラダがおかしくなってしまったんやって
そのときは思って、それっきりにしていました。

これは今考えると、あの時は
あれ以上カラダを動かす事が限界に近かったので、
脳ができるだけ無駄な動きはしないようにと
命令を出してくれて、そしてカラダが自分本来の無理のない
“カラダの使い方”を
勝手に探し出してくれたのではないでしょうか?
だからあんな状態になりながらも
最後までやり切れたんだと思います。
ちなみにこの現象についてマラソン選手が良く
「セカンド・ウインド」という言葉を使いますが、
(セカンド・ウインド=走っているうちに、
 呼吸は激しいのに苦しさを感じなくなる状態)
おそらく自分はあの時すでに“それ”に触れていたのです。

(次回に、つづきます)

   
    2007-06-20-WED    
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