第8回 スルツカヤの焦り。
永田 いまの刈屋さんの説明を聞いて、
「フィギュアの採点は
 予想できる部分と予想できない部分がある」
ということが、
にわかファンのぼくにもよくわかりました。
予想できるのは、
技術を見る第一採点の部分で‥‥。
刈屋 芸術点を見る第二採点は
滑ってみないとわからないんです。
永田 なるほど、なるほど。
それですごく納得したのは、
キス・アンド・クライ
(滑り終えた選手が採点を待つ場所)で、
選手が採点結果に一喜一憂するというのが
じつはぼくはちょっと不思議だったんですよ。
というのは、オリンピックに出る選手というのは
それこそ何度もシミュレーションをして、
自分が失敗しなければ
これだけの点数になるというのが
わかってるだろうと思ってたんです。
ところが、ミスなく滑った選手でも、
採点結果を見て、喜んだり落ち込んだりする。
それは、事前に計算できる部分と
ジャッジの主観によって
計算できない部分の両方があって
それがあの席ではじめてわかるから
あの表情になるんですね。
刈屋 そういうことですね。
もちろん、予想がたちやすい第一採点でも、
じぶんが質の高いジャンプを飛んだと思っても
質の高いジャンプとして評価されなかったら
「あ、なんだ、こんな評価か」
という表情にもなるわけですが、
やはり本人たちがいちばん驚くのは、
第二採点の5つの項目で何点の評価をされたのか。
いちばん表情が変わるのはそこですよね。
「なんで低いの、わたしの評価は」という表情や
「思ったより点が出た」という表情。
永田 うーーん、なるほど。
刈屋 だからたとえば、安藤美姫選手が
ショートプログラムが終わったときに
「比較的点が出た」と言っていたのは
その第二採点の部分で
思っていたよりよかったからです。
永田 ああ!
あのときのコメントはそれだったんですね。
刈屋 そうです。
安藤美姫の国際的な評価は
それほど低くなかったということですね。
永田 なるほど!
「思ったよりも点が出た」というのは、
ショートプログラムの
ジャンプで失敗してしまったけれども
フリーに向けて前向きに行こうと、
ちょっと開き直ったように言ったわけではなく
ちゃんとした自己分析だったんですね。
刈屋 自分のスケーティングが
第二採点の5つの項目において
ある程度の評価を得たという安心感、
喜びですよね。
永田 ああー、なるほどー。
まったく誤解してました。
刈屋 そういうことが、
ショートプログラムが終わった時点で
いろいろとわかってきたわけです。
永田 そうですね。もっとも重要なのは、
第二採点の「スケート技術」の項目で
荒川選手がトップだったこと。
刈屋 はい。
それは、フリーの演技に向かう選手たちに
ものすごく大きく影響します。
過去、どの国際大会においても、
スルツカヤは荒川よりも
確実に上にいたわけですよ。
ところがオリンピックに来て、
差がないどころか、採点のカギを握る
「スケート技術」において負けてしまった。
これはスルツカヤにとっては
ものすごいプレッシャーだったと思うんです。
もしもこれが、サーシャ・コーエンと
点数が拮抗しているだけだったら
スルツカヤのプレッシャーは
そんなにないと思うんです。
サーシャ・コーエンには仮に技の部分で負けても、
第二採点で逆転できる、という思いがあるから。
ところが「荒川がなぜ?」という思いが
彼女にとってはあったと思うんですね。
おそらくスルツカヤは、
「あれほど調子のいい荒川静香」を
見たことがなかったんだと思います。
その、最高の状態の荒川静香の演技を見て、
これはどれくらい点が出るんだろう、
と思っていたら、自分とまったく同じか、
項目によっては自分より上だった。
これはまずい、負けるかもしれない、
という恐怖をはじめて感じたと思うんですよね。
永田 ショートプログラムが終わったところで
刈屋さんは、そこまでわかる。
刈屋 思いました。
永田 でも、それは実況で言える部分と
言えない部分があるわけですよね。
刈屋 あります。
これで「荒川に金の可能性がありますよ」とは
言えないですよね。
というのは、そのあとのフリーの演技で
スルツカヤがどれだけの技を
持ってくるかわからないですから。
それまでやっていた技より
さらに一段階上にすることも
彼女の技術を持ってすればできるわけですから。
あるいは、ショートプログラムが終わった時点で
僅差のトップに立っているサーシャ・コーエンが
まったくミスをしないで滑るかもしれませんし。
永田 そしたら文句なくいっちゃうわけですもんね。
刈屋 いきます。
それはわからないわけですよ。
永田 いま、お話しいただいたように
長い説明を順番に伝える機会があれば
「荒川選手に金の可能性がある」
ということも言えるんだけれども、
一瞬一瞬を見る視聴者に対して
それは言えない、と。
刈屋 言えない。
永田 うわぁ。

2006-06-14-WED

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN