第14回 ブーイングの文化ではない。
永田 コーエンやスルツカヤが転倒した瞬間、
実況している刈屋さんは
どんなふうに感じているんでしょう。
それだけ競技の展開がわかっているとなると、
日本人選手のメダルがとれそうだというときに
相手選手が転倒したら、冷静でいようとしても
感情はすごく動くと思うんですね。
たとえば、放送局によっては、
ある程度、日本人選手に肩入れをする
放送をしている場合もありますし。
刈屋 うーん、そうですね‥‥。
もしほかの国だったら
やり方は違うかもしれません。
「よし、これでメダルに近づいた!」みたいな、
そういう中継をよしとする国も
たぶんあるんですよね。
永田 エンターテインメントの演出として
そういう手法もありますよね。
刈屋 そうですよね。
「よし、もう一回転べば、
 もしかしたらふたつ取れるかもしれない」
という、中継が成り立つ国も
たくさんあると思うんですけど、
日本にはなじまないんじゃないでしょうか。
永田 ああ、なるほど。
刈屋 とくに日本のフィギュアを好きなファンは、
たぶん最高の演技をみんなにしてもらいたい。
まずは、それを観たい。
そのうえで、荒川と村主が
メダルを取ったらうれしい、という
そういう見方をするんじゃないかな。
永田 でも、なんていうか、その、
刈屋さんは、フィギュアの知識があるから
全員が力を発揮して最高の演技をしたら
勝つのはコーエンだということが
わかっているわけですよね。
刈屋 はい。
永田 で、そのなかで
コーエンが最初に出て行って失敗する。
そこには、知識があるからこそ、
動いてしまう感情がありませんか。
刈屋 そのときに失敗すればいい、とか
失敗してラッキーという気持ちは、
やっぱり、ないんですよ。
これはたぶん、ぼくはもう
フィギュアスケートの中継を
もう10年以上やっていますから
自然とそうなってきたのかな、と思います。
これが、いきなり行って、
フィギュアの中継をやれと言われて
「ニッポンがんばれ!」
というようにやってもいいと言われたら
もしかすると、
そういう気持ちになれたかもしれないですけど、
やっぱりぼくは、
サーシャ・コーエンもずっと見てますし、
スルツカヤもずっと見てるんで、
まず演技をしっかりやってほしいな、
という気持ちが先に立つんです。
永田 なるほど、なるほど。
すべての前提として、
その気持ちがあるわけですね。
刈屋 これで荒川が勝ってくれたら、とは思います。
でも、やっぱり相手のミスを望むような中継は、
たぶんフィギュア、というか
日本の風土に合わないんじゃないかと。
永田 うーん、なるほど。
刈屋 たぶん、スポーツにもよると思うんですよ。
サッカーなら、相手がPKをはずして
「よぉーし!」と思うほうが自然かもしれない。
でも、とくに採点競技である
フィギュアスケートにおいては、
たぶん日本のファンは、
「ミスして勝ってくれたらいいな」
という心が少しあり、でも、
「しっかりとすごいのが見たいな」
という気持ちもあり。
永田 うん、うん。
刈屋 国の風土にもよるし、
種目によると思うんですよね、
同じ採点競技でも、
種目が違えば感じることは違うと思います。
たとえば体操の鉄棒なんかの場合には、
「落ちろ」とまでは思わないまでも、
「着地が一歩出てくれないかな」とか。
永田 ああ、それはあるかもしれない(笑)。
刈屋 そう思いながら観ている人は
いるかもしれないけれども、
でも、やっぱり、実際に
そういうふうに放送した場合には、
「なんだよ、このアナウンサー。
 こんな下品な放送して」
というふうになるんじゃないかと思うんですよ。
たぶん、その、武士道じゃないですけど、
相手にたいして敬意を払うというのが
日本人の根底にあると思うんですね。
永田 うん、うん。
刈屋 だから自分が全力をかけて戦う相手には
敬意を払う、というのが
根底にあるのかなという気がするんですね。
自分が好きで応援する選手が
一生懸命戦う相手をバカにするということは
自分が応援する選手をも
下げてしまうことになる、という意識が
潜在的に日本の風土というか
文化のなかにあると思うんです。
応援するということは、
相手をけなすということではなく、
純粋に、応援をする。
それが日本の「応援をする」という
文化なんじゃないでしょうか。
永田 ブーイングの文化ではない。
刈屋 ブーイングの文化ではない。
と、ぼくは思うんですね。
なおかつ、そのなかでも
フィギュアスケートというのは、
とくに世界のトップ選手たちの
最高の演技というのは、
ある意味で芸術作品を観るような感じで
フィギュアのファンは観ているわけですね。
だから、この場で失敗しろ的な発想で
放送するのは著しく
抵抗を感じさせてしまうだろうと。
永田 なるほど。
だから、フリーの最終グループで
コーエンやスルツカヤが転倒したとしても、
実況で悩むことはなく、ふつうに。
刈屋 ふつうに「転倒した」と言う。
必要なのは、なぜ転倒したんだろう、という
むしろ、そっちの説明ですよね。
永田 なるほど。なるほど。
考えてみると、
刈屋さんがそうであってくれないと、
テレビを観てるぼくらは困るかもしれません。
というのは、にわかファンとしては、
それがほんとうに失敗したのか、
希望として失敗であってほしいと
思っているだけなのか、
そのへんが瞬時にはわからないんですよ。
それこそ、3回転が2回転になった、
みたいなことは、正直、わからないんですね。
だから、刈屋さんの揺らぎとか
佐藤さんの揺らぎとかで安心したり、
どきどきしたりするわけですね。
刈屋さんが「うん!?」とおっしゃったら
あ、失敗したんだ、と
それではじめてわかるんです(笑)。
刈屋 ああ、そうですね。
永田 だから、刈屋さんが中立でいてくれないと
たぶんぼくらも困るんですよね。
刈屋 たぶんそうですね。
もっと日本を応援する中継をしても
いいんじゃないかという意見もあるんですよ。
でも、日本の視聴者というのは
やっぱり相手をけなしたり、相手をざまあみろ、
というような中継は好まない。
永田 なるほど。
刈屋 と思います、ぼくは。
応援する文化だと思います。
自分たちの選手を応援する。
ブーイングする文化ではない。
そしてそれはたぶん
これからも変わらないんじゃないかな。
永田 うん、なるほど。
お話をうかがっていると、
刈屋さんは実況しながらも、
自分をすごく客観視する視点があって、
しかもそれが一個じゃないんだな
という気がします。
刈屋 たぶんいろんなことを
意識せざるを得ないんでしょうね。
いろんな経験から。

2006-06-22-THU

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN