ほぼ日刊イトイ新聞 すてきなふだん字。 葛西薫さんと「字」のことを話しました。

011)ほんとうは形のないものを。
糸井 ぼくは、詩みたいなものに
素人なりに興味あるんだけど
文字ってなんでも書けちゃうんですよ。
文章って。
あなた何になりたいですかと言ったときに
「ホームランになりたい」
って、ことを書いた覚えがある。

葛西 ああー。
糸井 ホームランって
ないんですよ、形として。
軌跡はあるし、打った瞬間と、
たどり着いた瞬間もあるし、
だけど、ホームランというものはないんですね。
一番なりたいのは
ホームランのボールじゃなくて
ホームランでしょう。
葛西 なるほど。
糸井 ‥‥っていうのを、
いま、葛西さんが
え、文字書きあがったときの話をして
これから書く時点のことを語ってるんで
おかしいぞと。
葛西 確かに。
糸井 オレがホームランの話を
してるのと同じで、
「こと」っていうところに
結局おさまってしまうな。
こんな話をしてもしょうがないんですけど、
でも、ちょっと、言っといてみたいな、みたいな。
結局、だから、形を見てる人というのは
形を生み出す考えとか
形から発散している、光とか、
結局ないものについて、
形のことを語っていて
こんなに形のことを言ってるのに、
ほんとは、ないもののことを言ってるんだ。
葛西 まったくそうですよね。
ぽっと置いた瞬間に
変わってきますよね。
これがあることによって
そういう場ができるというのか。
糸井 形の話じゃないですよね。
葛西 この変な図形に
「エアロ」というタイトルをつけたのは、
形を描いてるのに、
オレ何やってるんだろうと
思ったんですよ。

エアロ
糸井 運動って言ったじゃないですか。
葛西 そう。
これはいわゆる浮かぶとか、飛ぶとか、
そういう感覚だなと思ったんですね。
飛行機に乗ってるような感覚だなと。
これ、オレは線を描いてるんじゃなくて
きっと空気を描こうとしてるんだろうと思って。
かっこつけてるけど
「エアロ」っていうネーミングにしたのは
そういう理由があったんです。
糸井 つながりましたね
わけのわかんない話が。
葛西 それは、何が言いたかったかたというと
世の中には空気というものがあるんだよと。
水のように、ものすごい存在として
空間というのは、無じゃなくて
存在だということが、
やりたかったのかなということをね、
いま逆に、
あ、そうだったんだと思ったんですよ。
糸井 ぼくも、なんかいま、わかった。
形をこんなに言う人というのは
形から発散するものと
形を生み出すものと
その意思とか影響とかを語り合ってるんだね。
葛西 一度中学の美術の先生に
すごいいいこと教わったのが
「世の中に線というのはないんだぞ」と。
糸井 そうなんですよね。
葛西 輪郭線というのは、ないんだぞと。
面と面との境い目があるだけで
線という存在はないと聞いたとき、
びっくりしたんです。
大変なこと聞いてしまったと思いましたね。
糸井 先生はどういう意味で言ったか知らないけど
ものすごいインパクトのある言葉ですよね。
‥‥東京にずっといるとね
直線ばっかり見るんですよ。
直線とか人工的な円とか。
でも京都に行く最中に車窓を見てるだけで
どんどん直線が減っていくんですよ。
京都についてから暮らしてると
もう直線なんかありゃしないんですよ。
葛西 そうですよね。
糸井 そこで、はじめて
「はぁー」って息ついて
何かが生まれてくるんですよ。
そこがぼくの東京離れなんですよ。
葛西 ある意味、
「還る」っていうことなんじゃないですかね。
糸井 いま言ってたことで思い出すのは
「旅」っていうのもないんですね。
形が。
そういうことなんだね。
葛西 そうかもしれないですね。
糸井 いい文字って何ですかというのは
結局そこで動いた存在と軌跡だと。
葛西 存在と軌跡、そうですね。
運動ですね。
運動って言葉好きなんですよ。ぼく。
糸井 あ、運動ね。
スポーツも楽しいのはそこですね。
葛西 そうですよね。
糸井 写真の中に運動は出てるけど
それは、運動を想像するための形ですよね。
葛西 そうです。
次どうなるかとかね、
いままでどうだったんだということの
区切りが写真ですからね。
糸井 ですね。
文字とは運動です。
吉本隆明さんが
石川九楊さんから聞いた話で
中国なんかでは
書の英才教育というのがあって、もう、
ちっちゃいころから叩き込むらしいんです。
プロに。
で、ほとんど体操してるんだって。
葛西 ほー。
糸井 運動だから。
指をならしたり、屈伸したり
そういうことを一日中やってるんだって。
葛西 なんとそうですか。
ほんとうですね、
文字が運動だというのは。

糸井 だからアスリートとして
運動家として、書家を鍛えなおす。
おそらく、石川九楊さんとか
そういうことを知りながら
日本の文字を考えてて。
葛西 文字で不思議だと思うのは
例えばぼくの書くひらがなの「ひ」という字を、
巨大に書いた「ひ」と
7級くらいで書く「ひ」と、
拡大するとだいたい同じになるんですよね。
運動と言っていながら
指先の運動でも、体全体で対処しても、
筆跡ってだいたい同じなんですよ。
それって、なんなんだろうなと
体との比率、おかしいのに
脳みそがそういう構造になってて
それもときどき不思議に思うんですよ。
糸井 聞きかじりで言うと
フラクタルって言葉が一時流行ったけど、
そんなの思いださせちゃいますね。
葛西 なんかね、そういうこと考えるの
好きなのかもしれないですね。
糸井 結局、そういう話って全部
ないものの話なんですよ。
おもしろいね。
ぼく、今日しゃべってて
自分のことで言うと、
「あ、小さいと思っちゃおう」
と思った。
つまり、ぼくの家は
100坪ですというのが葉書だとしたら
拙宅はね、50坪なんでございますよと言って
そこに家建てるほうがいいって思った。
そしたら、あとで思いきって噴水で
バーンとやりたいとかって思っても
ここにスペースがあるから使えるもんね。
葛西さん、おもしろかったです。
いい発見ができました。
葛西 ぼくもおもしろかったです。
ぼくは目に見えるものから
見えないものに
興味の対象が変わってるんだけど、
糸井さんは行為とか言葉とかね、
最初から目に見えないものを扱っていて、
やってることのスタート地点がちょっと違うから、
おもしろいですね。
空中戦な感じでしたね。


2007-12-28-FRI

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