糸井 | ぼくは、詩みたいなものに 素人なりに興味あるんだけど 文字ってなんでも書けちゃうんですよ。 文章って。 あなた何になりたいですかと言ったときに 「ホームランになりたい」 って、ことを書いた覚えがある。
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葛西 | ああー。 |
糸井 | ホームランって ないんですよ、形として。 軌跡はあるし、打った瞬間と、 たどり着いた瞬間もあるし、 だけど、ホームランというものはないんですね。 一番なりたいのは ホームランのボールじゃなくて ホームランでしょう。 |
葛西 | なるほど。 |
糸井 | ‥‥っていうのを、 いま、葛西さんが え、文字書きあがったときの話をして これから書く時点のことを語ってるんで おかしいぞと。 |
葛西 | 確かに。 |
糸井 | オレがホームランの話を してるのと同じで、 「こと」っていうところに 結局おさまってしまうな。 こんな話をしてもしょうがないんですけど、 でも、ちょっと、言っといてみたいな、みたいな。 結局、だから、形を見てる人というのは 形を生み出す考えとか 形から発散している、光とか、 結局ないものについて、 形のことを語っていて こんなに形のことを言ってるのに、 ほんとは、ないもののことを言ってるんだ。 |
葛西 | まったくそうですよね。 ぽっと置いた瞬間に 変わってきますよね。 これがあることによって そういう場ができるというのか。 |
糸井 | 形の話じゃないですよね。 |
葛西 | この変な図形に 「エアロ」というタイトルをつけたのは、 形を描いてるのに、 オレ何やってるんだろうと 思ったんですよ。
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糸井 | 運動って言ったじゃないですか。 |
葛西 | そう。 これはいわゆる浮かぶとか、飛ぶとか、 そういう感覚だなと思ったんですね。 飛行機に乗ってるような感覚だなと。 これ、オレは線を描いてるんじゃなくて きっと空気を描こうとしてるんだろうと思って。 かっこつけてるけど 「エアロ」っていうネーミングにしたのは そういう理由があったんです。 |
糸井 | つながりましたね わけのわかんない話が。 |
葛西 | それは、何が言いたかったかたというと 世の中には空気というものがあるんだよと。 水のように、ものすごい存在として 空間というのは、無じゃなくて 存在だということが、 やりたかったのかなということをね、 いま逆に、 あ、そうだったんだと思ったんですよ。 |
糸井 | ぼくも、なんかいま、わかった。 形をこんなに言う人というのは 形から発散するものと 形を生み出すものと その意思とか影響とかを語り合ってるんだね。 |
葛西 | 一度中学の美術の先生に すごいいいこと教わったのが 「世の中に線というのはないんだぞ」と。 |
糸井 | そうなんですよね。 |
葛西 | 輪郭線というのは、ないんだぞと。 面と面との境い目があるだけで 線という存在はないと聞いたとき、 びっくりしたんです。 大変なこと聞いてしまったと思いましたね。 |
糸井 | 先生はどういう意味で言ったか知らないけど ものすごいインパクトのある言葉ですよね。 ‥‥東京にずっといるとね 直線ばっかり見るんですよ。 直線とか人工的な円とか。 でも京都に行く最中に車窓を見てるだけで どんどん直線が減っていくんですよ。 京都についてから暮らしてると もう直線なんかありゃしないんですよ。 |
葛西 | そうですよね。 |
糸井 | そこで、はじめて 「はぁー」って息ついて 何かが生まれてくるんですよ。 そこがぼくの東京離れなんですよ。 |
葛西 | ある意味、 「還る」っていうことなんじゃないですかね。 |
糸井 | いま言ってたことで思い出すのは 「旅」っていうのもないんですね。 形が。 そういうことなんだね。 |
葛西 | そうかもしれないですね。 |
糸井 | いい文字って何ですかというのは 結局そこで動いた存在と軌跡だと。 |
葛西 | 存在と軌跡、そうですね。 運動ですね。 運動って言葉好きなんですよ。ぼく。 |
糸井 | あ、運動ね。 スポーツも楽しいのはそこですね。 |
葛西 | そうですよね。 |
糸井 | 写真の中に運動は出てるけど それは、運動を想像するための形ですよね。 |
葛西 | そうです。 次どうなるかとかね、 いままでどうだったんだということの 区切りが写真ですからね。 |
糸井 | ですね。 文字とは運動です。 吉本隆明さんが 石川九楊さんから聞いた話で 中国なんかでは 書の英才教育というのがあって、もう、 ちっちゃいころから叩き込むらしいんです。 プロに。 で、ほとんど体操してるんだって。 |
葛西 | ほー。 |
糸井 | 運動だから。 指をならしたり、屈伸したり そういうことを一日中やってるんだって。 |
葛西 | なんとそうですか。 ほんとうですね、 文字が運動だというのは。
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糸井 | だからアスリートとして 運動家として、書家を鍛えなおす。 おそらく、石川九楊さんとか そういうことを知りながら 日本の文字を考えてて。 |
葛西 | 文字で不思議だと思うのは 例えばぼくの書くひらがなの「ひ」という字を、 巨大に書いた「ひ」と 7級くらいで書く「ひ」と、 拡大するとだいたい同じになるんですよね。 運動と言っていながら 指先の運動でも、体全体で対処しても、 筆跡ってだいたい同じなんですよ。 それって、なんなんだろうなと 体との比率、おかしいのに 脳みそがそういう構造になってて それもときどき不思議に思うんですよ。 |
糸井 | 聞きかじりで言うと フラクタルって言葉が一時流行ったけど、 そんなの思いださせちゃいますね。 |
葛西 | なんかね、そういうこと考えるの 好きなのかもしれないですね。 |
糸井 | 結局、そういう話って全部 ないものの話なんですよ。 おもしろいね。 ぼく、今日しゃべってて 自分のことで言うと、 「あ、小さいと思っちゃおう」 と思った。 つまり、ぼくの家は 100坪ですというのが葉書だとしたら 拙宅はね、50坪なんでございますよと言って そこに家建てるほうがいいって思った。 そしたら、あとで思いきって噴水で バーンとやりたいとかって思っても ここにスペースがあるから使えるもんね。 葛西さん、おもしろかったです。 いい発見ができました。 |
葛西 | ぼくもおもしろかったです。 ぼくは目に見えるものから 見えないものに 興味の対象が変わってるんだけど、 糸井さんは行為とか言葉とかね、 最初から目に見えないものを扱っていて、 やってることのスタート地点がちょっと違うから、 おもしろいですね。 空中戦な感じでしたね。
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2007-12-28-FRI