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糸井 | 葛西さん、きょうは、文字の話を 聞かせていただきたくて、来ました。 で、ね、その前に、 葛西さんの展覧会を見て、 そのことのヒントがつかめた気がしたんです。 「フィギュア」に対するものすごい興味が、 葛西さんにはあると思ったんです。
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葛西 | 「フィギュア」って 日本語にするとなんなんでしょうね。 |
糸井 | 「形」でしょうか。 |
葛西 | 形か、そうか、そうか。 形ですね。 形象、図象、図形。 |
糸井 | そう。 ぼくらが見ている「形」のなかで、 見逃しちゃってるものがあるでしょう。 同じストライクでも、 ボールひとつ右に内角に寄っている、 みたいなことを、葛西さんは ぼくらと同じ暮らしをしながら、 ちゃんと、見てんだな、と。 ぼくは、今日は改めて 喜びとともに感じたのは、 葛西さんが見てるものの分量が 自分よりずっと多いんだ、 ということのうれしさでした。 葛西さんはフィギュアコンシャスに生きてて、 ちょっとした形の違いみたいなものに いいな、悪いな、どうすればいいんだろう、 みたいなことを、 きっとぼくら以上に見てるんだろうなって。 |
葛西 | でも、それは、糸井さんなりに、 ぼくと違うものを見てるでしょうから、 みんな等価だと思うんです。 |
糸井 | 葛西さんは、形に非常に強く関心がありながら、 同時に意味にも興味があるっていうのが、 おもしろいなと思うんです。 たとえば、カエルの絵を描くとき、 描きながら見つけていくというようなことを おっしゃっていましたよね。 |
葛西 | ええ。いかにも、な言い方をすると、 手で考えて、後で頭が追いついてきて、 体が覚えるわけです。 そうすると絵になっていく。 ただ、カエルの仕組みってわかんないですから、 「カエルって跳ぶから ひざの辺りはこうなってるかな」って、 一応カエルの写真を見ながら描いていって、 あ、こういう腰をしてたんだ! とわかった瞬間から、 また変わりますよね。 そんなふうにしてね、おもしろがっています。
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糸井 | 例えば、カエルでも 「いい形になったら カエルじゃなくてもいいや」と 思っちゃうタイプの人もいると思うんだけど、 葛西さんの場合は、そこで、もう1回、 「カエルっていうのは?」 という意味と往復するでしょう。 |
葛西 | ええ。 |
糸井 | ここがまた独自だなぁ。 |
葛西 | よく「機能美」という言い方をしますよね。 形だけじゃなくて、 理由のある形というのは きれいだなと思っています。 そういうこととも関係するかもしれないですね。 アートとしてよければいい、という感覚は、 あんまりなくて、ちゃんと部品として ちゃんと性能は持ってるかとか、 性能のいい部品はいい形してるな、と 思ったりするんですよ。 |
糸井 | それは職人性みたいなものですよね。 |
葛西 | ええ。 |
糸井 | 文字に興味のあるということも、 それで説明ができそうですね。 文字の形ってきれいだなと思うのと同時に、 そのきれいだなという形の背後に 意味が込められてる。 |
葛西 | そうですよね。 |
糸井 | 小さなスケッチですよね。 文字というのは。 形を大好きな人が、意味と、 ものすごい勢いで往復運動させている。 葛西さんは、いつも、 そう感じてるだろうなと思うと、 ちょっとしびれるんです。 |
葛西 | 例えば、テーブルだと、 普通、面を見ちゃいますよね。 ぼくはやっぱり、エッジのこの角の R(アール:曲面)には、 どのくらい角が立ってるか、 立ってないかみたいなとこで、 つい、触ってしまったりね。 こういうところばっかり 見るクセがあるかもしれないですね。 |
糸井 | デザイナーとか アーティストじゃないときにも、 そういう要素というのは、ありますか。 |
葛西 | ありましたね。 |
糸井 | どういうときですか。 |
葛西 | 急に、いま思い出したけど、 お葬式で、正座をして並びますよね。 子どもの頃、お葬式に出て、 目の前に足を組んでる人がいて、 親指を足の裏で重ねていますよね。 しびれるからときどき入れかえますよね。 ‥‥親指が揃ってないで、ずれてると、 直してあげたくなったりしました。 悲しい日なのに。 |
糸井 | はっはっは。 |
葛西 | それ、だれでもあると思うんですよ。 親に怒られてるうちに 畳の目が気になってきて 涙を流して畳が濡れてるんだけど、 そのうち、怒られてることを忘れて 畳のラインを見ててしまったりとか。 何か目的があるのに、 いつのまにか頭の中が捻じ曲がって 違う目的に興味持っちゃうというか、 そういう感じはありますね。 |
糸井 | やっぱり、興味が、 形にいってますね。 |
葛西 | そうですね。 |
糸井 | しびれの話だと、たぶん、ぼくは 自分のしびれが気になるんですよ。 で、親指を入れかえてもダメだというときに、 どこまで崩すべきか、 人はどうしてるか、 自分はこの場合、 どういうふうにしたら一番ラクか、 それから、悲しみの中にいる自分って どういうものか、 全部、世界観を書き出すんですね。 きっと。 そのシチュエーションの 構造が知りたくなるんです。 で、自分が逃げ出すなり、馴れ合うなりを 構造として知ろうとしますね。 ‥‥葛西さんとは、違いますね。 |
葛西 | ぼくはただ見た目ですね。 見た目からはじまって その理由にたどり着くというか。 ‥‥じゃないかなぁ、きっと。 |
2007-12-14-FRI