みなさんほぼにちわ!天久です。
家庭遺産の時間がやってまいりました。

来月静岡で開催予定の
「家庭遺産展」に連動したこの募集企画も、
先日無事募集終了を迎えました。
ほんとうに多くの素晴らしい遺産が集まりました。
ご応募いただいた方に心より感謝いたします。

さて、それでは締め切りを前に
大量にとどいた滑り込み遺産を
どしどし紹介してゆきたいと思います。
今回は四点。おどろきのエピソードと共にどうぞ!

以前ニューヨークに住んでいた時、
オードリー・ヘプバーンの
チャリティサイン会がありました。
「ガーデンズ・オブ・ザ・ワールド」
という写真集を買うと、
オードリーに直接サインしてもらえるというので、
「ローマの休日」を観て美容師になったくらい
オードリーの大ファンの私はその本を買い、
長蛇の列に並びました。

ベージュのタートルネックとスラックス姿で、
髪を後ろでシニヨンにまとめた
オードリーが見えてきたとき、
マネージャーらしき男性が
「オードリーは疲れています。
次の予定もあるので会話は遠慮して下さい。
本もすぐ渡せるように開いて準備しておいてください」
と言っていたので、
その男性にどのページを開いておけばいいでしょう
と聞くつもりで本を見せたら、
そのまま私の本を持ってどこかへ消えてしまいました。

ようやく順番が訪れ、
仕方がないのでそのとき持っていた日記帳を
オードリーに差し出しました。
するとオードリーは私が本を買っていないのに
サインだけもらおうとしていると勘違いして
「アンフェア!」と低い声で言い放ち、
怒った顔でグシャグシャッと、
なぐり書きのようなサインをしました。
私は誤解を解く英語力もなく、
悲しくも「ノー‥‥」と
力なく言う事しか出来ませんでした。
帰り際にマネージャーが、オードリーに
サインをもらってくれた本を返してくれました。
そんなわけで私の家にはオードリーの怒りのサインと
普通のサイン、ふたつあるのです。

数年後、テレビでオードリーが亡くなった
というニュースを聞き、
そばにいた主人にぽつりと
「オードリーは君の事を
アンフェアだと思ったまま逝ってしまったね‥‥」
と言われました。
でもあのオードリーヘプバーンに怒られた人は
なかなかいないだろうと思うと、
今となればいい思い出です。

所有者ネーム  いづみ

なんとも切ない家庭遺産です!
あのオードリー・ヘプバーンに
誤解された所有者さまの胸中、
察するに余りあります。
人生変えたほどのファンだったのに‥‥。
しかしそのおかげで歴史的資料とも言える
「オードリー怒りのサイン」を
入手できたとも言えます。
当時の傷もいまは癒え、
いい思い出とまで言い切る所有者さま。
その前向きな姿勢に脱帽します。
きっとオードリーも天国で
「あの日本人には悪いことをした」と
思っているはずです。
貴重な遺産どうもありがとうございました。




僕が中学生の時に、母が作ってくれたナ〇キの手袋です。
中学校1年生の時、サッカー部に入部すると
『スポーツブランドの手袋が必要』と言われ、
100円ショップの手袋(2重)に、
フエルトを縫い合わせ母がこしらえてくれました。
手袋の手の平にはちゃんと滑り止めのゴムもついています。
今はタンスで眠っていますが、
僕の、我が家の、家庭遺産です。
確かにナ〇キ。

見ていると思い出が蘇ってきます。
また愛着がわいてきました。

所有者ネーム しろしろ

面白くも涙ぐましい家族遺産です。
子供の頃、上履きに
同じマークを落書きした思い出が蘇りました。
しかしこの場合は子を想う親のやむを得ぬ手段。
これくらいの偽造は
許される世の中であって欲しいです。
デザインはニセモノでも愛情はホンモノです。




今回、申請する私の家庭遺産は
「姉が集めていた、サザエさんの新聞切りぬき」です。

かれこれ40年以上前、私がまだ昭和の幼児だった頃、
当時住んでいたのは社宅のアパートでした。
社宅の子供は6~7人はいたと思うのですが、
広場においてある古い材木の山に登ったり、
そこで私が足をすべらせ古クギが膝に刺さる
という痛い思い出もあったりします。

そんな日々の中、社宅の子供の中でボス的存在だった姉が、
子供らを集めて「NHKの朝のラジオ体操をする」
というのを突然始めました。
広場で毎日ラジオ体操をやり終えると、
みんなが姉の前に一列に並んで、
姉がひとりひとりにこのサザエさんの四コママンガの
切り抜きを配るというシステムで、
当時の私も喜んで列に並んでいた気がします。
写真では隠れてますが、
ほとんどのサザエさんの切りぬきには、
姉が学校でもらった名前のハンコが押されています。
自分の所有を主張したかったのでしょうか‥‥。

このラジオ体操ブームが
どれだけ続いたのか今となってはわかりませんが、
残ったサザエさんの束は我が家の引き出しに
何十年もずっとしまわれていて、
その後、私が保存しています。
先日、姉にこの話をしたところ、
あんなに一枚一枚ハンコを押すほど大切であったろうに
「捨てていいよ」と執着心ゼロの返事でした。

久しぶりに見るサザエさんの切りぬきは
マンガもおもしろいのですが、
裏の新聞の記事やテレビ欄もおもしろく、
昭和40年代がプーンと思いだされました。
これからも大切にとっておきます。

所有者ネーム スティックのり子

人にとっての「価値」を考えさせられる
家族遺産です。
おそらくこれは貨幣の原型ではないでしょうか。
当時、社宅のこどもたちの間で
権力者だったお姉さんが、
ラジオ体操という労働に対して
サザエさんの切り抜きを対価として与える。
しかもそこには発行元の印まで押してある。
このシステムによってこどもたちの間には
秩序が生まれ、
また同時に貧富の差
(よりサザエさんを持つ者が裕福)が
発生したはずです。
幸いにも遊びの範疇で打ち切られたようですが、
もしこのままエスカレートすれば
暴動に発展したかもしれません。
それにしてもそうした社会システムを
無自覚に取り入れたお姉さん、
後年の執着ゼロの態度もふくめて
恐るべき感性の持ち主です。
現在はまたさらに深いレベルで
人間社会を考察しているのかもしれません。
文化人類学上の貴重な資料として
大切に保管してください。


30年ほど前に私自身によって書かれた
『ボーイジョージの描き方』の写本です。

アイドル誌『明星』か『平凡』かの付録に
洋楽の歌詞本があり、
そこに描かれていたイラストが
原本だったと記憶しています。

姉の影響で
小学生と幼いながらに洋楽に興味を持ってしまった私は
カルチャークラブの大ファンになりました。
パソコンも無ければ
ビデオも一般家庭にはまだまだ普及していなかった当時、
姉が購読していたアイドル誌に掲載されていた
ボーイジョージの写真やイラストを眺めることが
ひそかな楽しみでした。
しかし姉の所有物である雑誌を
許可無く閲覧することは許されておらず、
いつでも自由に見られるようにと
丁寧に書き写したイラストが
この『ボーイジョージの描き方』です。

大かたづけの度に発掘されては、
我れながら見事に描いていると感心し、
現在まで大事に保管されている我が家の大切な遺産です。

大かたづけの度に発掘されては、
我れながら見事に描いていると感心し、
現在まで大事に保管されている我が家の大切な遺産です。

所有者ネーム アオキッス

当時はMTVが音楽業界を席巻した頃で、
ボーイジョージはその個性的な
ビジュアルとキャラクターで
一世を風靡したスターでした。
あの頃の情報に対する執念が伺える遺産です。
かと言っていまの若者が
希薄になったとは言えません。
あれだけ膨大な情報を追いかけ、
またコスプレや二次制作に掛ける情熱を思うと、
いつの時代も若者の「好き」に対する思いは
変わらないのではないでしょうか。
ちなみに解説文の
「もちろん顔は 思い切り大きく」は、
分かる人にだけ分かるギャグです。



いかがだったでしょうか。
やはり家庭遺産の醍醐味はそれにまつわるエピソード。
とくに「オードリー怒りのサイン」の逸話には
驚かされました。
実はこの方、たぶん前回の
「クリスタルロック
同じ方だと思うんですが、
世の中にはたいへんな「遺産持ち」がいるんですね。
その他のエピソードの読めば読むほど笑えたり、
考えさせられたり、じーんと来たり。
あらためて家庭遺産の深みを感じました!

それではまた次回、
素晴らしき遺産の世界でお会いしましょう!



2013-11-24-SUN