男女が同居するということ。
川上弘美さんと「いっしょ」を語る。

第1回 結婚生活は極楽か?

糸井 生活が完成しちゃうと、表現って、
できなくなるんじゃないかという話がありますよね。
川上 でも、完成した生活って、あるのかなぁ……?

つまり、
「何が完成した生活か?」
というのには、いろいろな社会的な刷りこみとか、
地方ルールとかが、ありますよね。

人類の文明みたいなものがはじまってから
まだ数千年でしょう。

数千年て、短いですよね(笑)。
だから、まだ短いから、
誰だって完成してないと思うの。
糸井 たとえば、自分のことを考えると、
ずっと、奥さんが家にいて、
ぼくがある程度、定期的に家に帰って、
ということをちゃんと繰りかえしていたら、
それって「好き過ぎる」ような気がするんです。

つまり、
「ほんとはそうしたいんだけど、
 それが、できないんだよねぇ」
と思っているから、
仕事とか、楽しくできるような気がしてまして。

「長いこと、相手といない時間もあって」
とかいうのは、
ほんとにありがたいバランスで、あるんですよ。

ふつうに結婚してて、
毎日、会社員の家庭みたいに暮らしていたら、
それはもう、極楽だから……。
川上 うん。
結婚したい!と思うのは、
そういうことをしていきたいからですもんね。
糸井 そうだよね。
おたがい、極楽にしようと努力しますから。
川上 うん。

ふつうの会社に勤めるような能力がある人、
朝起きて会社へ行って帰って来る、
それって実は、
すごい大変なことだと思うんですけど、
そういうことができる人ならば、
うまくいかせようと思ったら、
結婚生活は、ある程度うまくいくと思うんですよ。
たのしく生活するやりかたって、あるから。

それは小説を書く時に、
おもしろいことを見つけようという感じに
似たものがありますよね。

「ちょっとひねってやろう」とか、
「受けてやろう」とか、
そういうのを探すのと、まったく同じことで。

糸井 これは仮説なんだけど、
「会う時間が少ない」という部分を、
ベッタリ一緒にいる夫婦は、
仲が悪い時間として消化しているんじゃないか。
今、フッと、思いつきなんですけど……。
川上 ものすごく長く一緒にいれば、
そうかもしれない。
糸井 一般の夫婦が、
テレビの番組なんかで、
「ウチはこうなんですけど、どうしましょう?」
なんていう時に、
ほどよく仲悪くいるじゃないですか。

その仲の悪さで止めて、
自分というのをかき立てているというか、
「わたしはわたし」
という時間をつくっているんだなぁと。
川上 そうなんですね。
糸井 眠っている時間だけが、
「わたしはわたし」というのでは、
ちょっとかわいそう過ぎますから。
川上 うん。
糸井 川上さんが書くものの中で、
女の人は特にそうなんだけれども、
「何も考えていないように書けている時」
というのは天国で、人は、そんなに
ストレスを感じていない時もあるよ、という。

女の人が、
ストレスを感じていない時に、
ストレスを感じまくっている男の人に、
話しかけられたり……。

女の人の側は天国にいますから、
そういう時には、
「あ、聞いてなかった」というか、
「ただ、わたしはものを食べていた」
とかいうことになって、
天国と人間界が、交流するんですよ。

川上 男の人たちって、いつもいつも
ストレスを感じているんだ?(笑)
糸井 男の人が感じてない時というのは、
あんまり思い浮かばないです。
川上 そうなんですか。
糸井 何かと比べることで、
ものの像が見えてきますよね。

つまり、
影を描いたおかげで
コップが見えてくるというか、
男って、そんな風に
ものを見ているような気がするんです。


だから、おいしいものを食べた時、
「うまいね」と言った瞬間に、
「うまい」だけでは
黙っていられない自分というのを、
男の人たちは、みんな、
どこかで、持っているように思うんですよ。

「あの時のあれよりうまい」とか、
「これはこの間よりうまい」とか、
すぐにさがそうとするんですよ、比較を。
川上 場所を決めたいというか、
自分の地図の中に置きたいというか……。
糸井 うん。

それって、男の、
「これから先、
 俺は地図のない道を歩いていく」
という責任感なんだと思うんですけど。
川上 それが反対に、
男性の万能感につながるんですね。
おもしろい。
糸井 「どこでも行ける私」
みたいな、水陸両用みたいな……。
そういうかなしさ、なんですけどね。

(つづく)

2003-06-20-FRI

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