男女が同居するということ。
川上弘美さんと「いっしょ」を語る。

第2回 ただ、うなずくだけ。

糸井 ただ、幸せなことに、ぼくも、
かみさんと飯を食っている時には、
「分析せずにいられない男」の部分がないんです。
川上 それって、いいですね(笑)。
糸井 ぼくがかみさんを
いちばん愛している瞬間はそれなんですけど、
他の時間はともかく、うちの夫婦が
「純食事」と名づけている時間がありまして。

たとえば、メシを食いにいく、
あるいは家で食っているって時に、
無言でメシを食っている時があるんです。

その時って、
「うまいね」の話しかしてないんですね。
川上 その時は、
「どういうふうにうまいか」
という説明は、要らないんですね。

糸井 うん。ないんです。
だから、ぼくも、女になってるんです。
つまりその時の俺は、「かみさんのともだち」で。
川上 「あのレストランのあれよりもおいしい」とか、
「あれと似ている」とか、そういうのはないですか?
糸井 なんにも、ないんです。
川上 どうしてそうなるんだろう?
糸井 同化しているんだと思います。
川上 それは、
「ふたりで食事をしている時は、
 分析をしてはいけない」
という禁忌があるから、というのではなく?
比べてはいけないんだ、
という人間的礼儀正しさからではなく?
糸井 ない。
川上 純粋に、ただ、「おいしい」って?
糸井 ぼくが、前から、
川上さんと何か話が通じるかもしれないなぁ、
と思っていた予感はそのへんにあって、
「そうそう」
と、ただ言っている瞬間って、ありませんか?
川上 (笑)ありますね。

糸井 食事は、その「そうそう」の時なんです。
川上 あぁ、なるほど。
糸井 たとえば、
カウンターの寿司屋だったとします。
そこで、男は、奥さんと話している時は
まったくの純食事なんですね。

だけど、なじみの板前さんというか、
お店のダンナが、こっちを向いて、
「おいしいかな?」
という顔をした時に、急に男に戻るんです。

そこで、ダンナに話しかける時の
「おいしいですね」は、もう言葉が違う。
その言葉は、社会です。
川上 (笑)それは、たしかに社会ですね。
糸井 ダンナと男の間柄になれば、
客なりのサービスを、思いっきりして、
ダンナに、何かをしてあげたい、お礼を言いたい。
何を聞いてほしいのかもわかるので、たとえば、
「甘味という意味では、
 このあいだのほうがあったんだけど、
 この脂身のなさが、ぼくは却って好きですね」

みたいな話になって。
川上 (笑)それは、たいへんですね。
糸井 いや、それは楽しいんです。
つまり、ゲームですから。
川上 うん、うん。
糸井 ダンナのほうも、
そのゲームでの将棋を打っていて、
「あそこに打っておいた桂馬は、
 わかってくださいますよねぇ?」
という会話ですから。

そうなると、男の子どうしになって。

「前の時のあれはどこどこで何とかだ」
「あの時に比べたら、ちょっとかな」
「それはそうですよ」
「あれはうますぎるもの」
「あんなのはいけない、うますぎる」
「今の時期の、
 すこし痩せていると思えるマグロは、
 夏が来はじめた時としては最高のものだ、
 と、今のこの出会いを大切にしたい」

そういう会話が続くわけです。
川上 (笑)

糸井 かみさんは、
「この人はまた、こういうことを言って」
その時は、こういう反応でして。

「まぁ、それはそれで、
 こういう人がいるということ自体を、
 わたしはキライではないと思うので、
 認めなくもないし、
 これ以上になるとイヤだなとは思うものの、
 まぁ、いいか」
という風に、座っているんですね。
川上 そこで、そういう風にいること自体が、
すでにその世界ですね。

奥様はただ、
「ん?」と言っているだけなのに。
糸井 そうです。
だけれども、なぜぼくを好きか、
という部分についての感じがわかるし、
なぜぼくを嫌いかもわかるので……。
川上 それは、なぜなんですか?
糸井 いわく
言いがたいものなんですけれどもね。
川上 今の話と、つながってます?
糸井 つながってますね。
つまり、楽しそうに小理屈を言ったり、
世界を何とか広げて多くしようとしているという、
そういうぼくを、好きなんです。
だから、
「わたしのこともそうしてくれる」
なんですよ。おそらく。
川上 そうですね。

糸井 それは、
「わたしはいまのままの大きさでいい」
と思って、ゴキゲンでいる時に、それをすると、
「いいの、行きたくないんだから」と
思うので、ぼくを嫌いなんですよ。
川上 なるほど。

(つづく)

2003-06-23-MON

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