塩野 |
いくら聞いても
言葉で説明できないこともありますよね。
森の中を一緒に案内してもらっていると、
何も見渡せない薮の中で道がわかるのが、
どうしても不思議なんです。
そんなときに「どうして?」と聞けば、
「塩野さんだって、
町の中を歩けば、
タバコ屋の隣が郵便局だとか
わかるでしょう?」
森で生活する人や職人さんには
みんなそういう実感があるんだろうなぁ、
と思って話をきいているんです。 |
糸井 |
そういう実感は素敵なことだし、
偉大な絵画のような
「人類の財産」ですよね。 |
塩野 |
そうですね。
それをなんとか
手に入れたいものだとは思います。
聞いてはみたものの
どうしてもわからなくて、
そのまま残しておけば
誰かがわかるかもしれないという言葉も、
ほんとにごくわずかですが、あるんです。 |
糸井 |
「そういう実感がある」と
書きしるすことはできますからね。 |
塩野 |
そうです。
ぼくは大工でも石工でも
炭焼きでもないから、
自分にはなかなか
乗りうつってはこないんですけど、
職人さんたちの考えの筋道というのは、
なるほどなぁと感心するんですよね。 |
糸井 |
塩野さんとぼくとは、おそらく
ちがう人生を歩んでいるんですけど、
どこかでおなじケーキを前にして
語っているようなところがあるなぁ。
どういうところを
おもしろいと感じているんだろう?
……単純にいうと、スケベ心だとも
いえるかもしれませんけど。 |
塩野 |
木を切っている人たちは
山の中にひとりぼっちですから
清々しい人が多いんです。
山の中に一日や二日いるだけなら、
退屈だったり
都会の女のことを
考えたりするかもしれないけど、
三十年も四十年もずっといれば、
そんなことは考えなくなりますものね。 |
糸井 |
ほんとに
「木」みたいな人になっちゃうんだ。
好きな対象に自分が同化して。 |
塩野 |
それだけ時間が経ってしまうと、
考えていることが
ほんとに木のことだけですし、
きっとその木にしても
年輪が一ミリに数本とかいう
厳しい時代があったり、
我慢を重ねていたら
コブになったりしているんだと思います。
そんな人に
会えたというのもおもしろいし、
そうした話を
ぽつりとでも聞き出せたら大満足です。 |
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(明日に、つづきます)
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