糸井 |
三宅さんや土屋さんと話していると、
「萩本さんがこういうことを教えてくれた」
というエピソードを、
とにかくいっぱい持っているなぁと思います。
それは、
「萩本さんが、
現場でしゃべっている分量が多い」
ということなんですか? |
萩本 |
「多い」じゃなくて、
「とてつもなく多い」でしょう。
どうしてそうなるかというと、
ぼくは頭のいいほうじゃないから、
なんか、たくさん発射していくんですね。
そのことで気づく、というのがあるんです。
「テレビって、なんかおかしいね」
まず、自分で言っちゃう。言っちゃうと、
「なにがおかしい?」ということになるから、
「体制が、おかしいよ」と言ってるんだもんね。
そんなこと、ひとりでは思っていなかったのに、
しゃべっていて気づくの。
だから、ひとりでは何も考えてないですね。
自分で、
「よーし、なんかすごいもの考えてやるぞ」
とかいうことは、ないんです。 |
糸井 |
ゆっくり休んでる時期というのは、
何も生まないんですか? |
萩本 |
そうです。
事故が起きないと、力を発揮しない。
ややこしくなればなるほど、
とんでもない可能性が生まれるし、
充電期間がないから、
放電に近い、と言っているんだ。 |
土屋 |
大将は、現場で、
見ないふりをしないんだと思います。
カメラが、たとえば、
「あそこ、ちょっと追いつかないよな」
と、ちょっとだけ、
言っているとするじゃないですか。
それを聞いていて、
「で、どうすりゃいいの?」
という話になるわけです。
「こうされても、
ここではカメラは撮れません」
「じゃあ、こうすればいいのね」
それって、どこかで、聞こえても
わざわざ聞かなくてもいいじゃないですか。
「アドリブだから、
なんとかやってもらうしかない」
としか、言いようがないはずですから。
だけど、
「……ってことは、どうすればいいの?」
というふうに話すから、
新しい番組が、生まれるんだなぁと、
ぼくは、大将のそういうところから、
いちばん影響を受けました。
「なんか、新しいものを作ろう」
と思っていても、新しいものは作れなくて、
「聞きのがさずに、あきらめない」
みたいなことが、新しいものを生むんだ、と。 |
糸井 |
目が行き届いている、
みたいなことなんですね。
こんなところにちょっとしたホコリが、
お客さんの視線からしたら
この角度だから見えるよな、みたいな。 |
土屋 |
ふつうは、
「もう、商品もいいものが置いてあるから、
ショーケースの曇りぐらい、いいじゃん」
みたいになるのに、
「なんで、ここ、曇っちゃうの?」
「ここから蒸気が出てくるからです」
「蒸気止めるには、どうしたらいいの?
そういうショーケースは作れないの?」
と、あきらめないことから、
新しいものを作っていく姿勢だと思うんです。 |
萩本 |
だから、ぼくひとりじゃ、できないですよ。
それを可能にする人がいて、できることで。 |
糸井 |
つまり、誰かに言えば、
何かが変わると、信じているんですね。 |
萩本 |
ええ。 |
糸井 |
それは、ものすごい信じかたですね。
一般的には、
「それは、どうなの?」
という疑問をあきらめる理由としては、
すぐには直らなそうだとか、
こいつは直らないとか……つまり、
人を信じていないからなんだと思います。
萩本さんは、ものすごく信じてますよね。 |
萩本 |
ぼくはとにかくたくさんしゃべるから、
そこで、10個言ったなかから、
ひとつのことをピックアップして
信じてくれる人がいた、ということです。
9つぐらいは、
「いんちきなこと言ってんな」
と思っていたんでしょうけど、
そのひとつを、
「あれ? それはやってみよう」
と、逃さない人がいたんだと思います。
こちらからは、どう見ても、ぜんぶを
「そうですか」
と言って聞いている様子は、見えない。
軽く聞き流してるな、
このやろう、というぐらいで……。 |
糸井 |
なるほど。聞く側には、
ゆるんでる場所も、張ってる場所もあって。 |
萩本 |
ですから、たくさんしゃべることで、
その人が、
「なるほど、ちょっと考えてみようか」
と言ってくれる人だと確信しないうちは、
ほんとに大事なことは、言わないです。
ずっとしゃべっているうちには、もう、
ディレクターとタレントの関係じゃなくて
ともだちって言うの? |
糸井 |
つまり、仲間になるんですよね。 |
萩本 |
ええ。
「大事なことを言っても伝わる」
という確信を持つために、
ふだん、たくさんしゃべるわけです。
そうすると、つまらないことを9つ言っても、
10のうちのひとつをパッと取ってくれたりする。
ぼくは、いちばん最初にテレビに出たときは、
あがっちゃって、セリフを言えなかったんです。
そこで、ダメだと思われたんだけど、
ぼくは、
「いや、ぼくをダメにした人がいるんだ。
だから、ダメにしない人に会ったら、
テレビで、うまくいくかもしれない。
だから、ダメにしない人に会いたいなぁ」
と思っていました。
だから、その次にたのまれて、
はじめて本格的にテレビをやるときは、
新人のくせに、
「あのディレクターがいいんですけど」
と、テレビ局に、いちばん最初に言いました。
「なんで?」
「稽古してるときに
笑ってくれるのは、あの人だけです。
稽古で笑ってくれるって、
われわれにとったら、生きがいですから」
シーンとして聞いていて、
「ありがとうございました」
と言われても、こちらは、
おもしろくもなんともないし、気分もよくない。
だけど、その女性ディレクターは、いつも、
「ハーハッハッハ。ハーハッハッハ……」
と、ずーっと笑っているんですよ。
やっている側としては、たのしいし、ホッとする。
笑ってくれる! この人だ!
そう思って頼んで、
そのディレクターが、やってくれたわけです。
ぼくの場合は、そういうふうに、
ディレクターが、
「はじめての仕事が欽ちゃんで、
そのまま、ずーっと退職まで欽ちゃんで」
という場合が、ほとんどなんです。
それで、
「おまえもやめんのか、じゃあオレもやめた」
ということになりました。
なんでテレビやらないの?と言われますけど、
一緒にやっていたやつが、もう、いないもの。
また違うのと仕事するというのも、
そいつらを裏切るようで、イヤだし。
「おまえと作ったんだ」といつも言っていたのに、
違うのと作っているのはイヤなんです。
少なくとも、
「ぼくは一応部長でいます」とか、言わないとね。
そうしたら、
おまえもがんばるから、俺もやる、となるけど。
ちょうど、ぼくと同じ年齢か、
ふたつぐらい下の、
まだテレビのことを向こうもよくわからない、
というディレクターたちと、
一緒に、テレビを作っていましたね。 |
糸井 |
萩本さんは、テレビ番組を作るときには、
何のために、やっていたんですか? |
萩本 |
正直言って、ともだちのため、ですね。
声をかけてくれたともだちが、いちばん大事。
テレビも、
そういう人としか、やっていないんです。
その人が、局長になって、社長さんになって……。
そうすると、もう、仕事はできないな、と。
もうちょっと若い人と仕事をするとしますよね。
ぼくに敬意を表して、
「これ、どうしたらいいでしょう?」
と言われる関係では、番組は当たらないですよ。
同世代のともだちとの関係では、
両方とも、とらわれていないで、
「好きなようにやりゃあいいじゃないか」
と、ダーンとできる。 |
糸井 |
そういうことを、できなくなるということが、
「年を取った」ということなんですよね……。 |
萩本 |
そうです。
たとえば、糸井さんと仕事したい人は
若い人にも、たくさんいると思います。
きっと、若い人は、
「糸井さんを呼んだら、
どうしなきゃいけないかな?」
と、一生懸命、考えると思うんです。
だけど、
「どうしたらいいですか?」
「どんなもんですかね?」
それは、聞いちゃ、いけないんです。
ぼくにしても、もう、
「とにかく笑わしてください!
おねがいしますよ」
と言われたら、
ひっちゃきになって笑わすけど、
「どうしたらいいですか?」
と言われたら、困りますからね。 |
糸井 |
萩本さん、
テレビ以外に映画も作っているのは、
あれは、頼まれちゃった、
ということではないんですか? |
萩本 |
違います。
あれは、人生の店じまいするためにやったの。
つまり、もう、
「テレビをやめる」と言ったんだけど、
なんか、抜けているものがあるなと思ったら、
最初に話した、チャップリン、だったんです。
テレビでチャップリンに会いにいったときに、
ぼくのことを紹介する通訳の人が
「この人は、映画を作って、
チャップリンさんを追いかけているんです」
と言ったわけです。
テレビ、と言えばいいのになあと思ったけど、
チャップリンは、
「それは、うれしいよ」と言ってくれたんです。
そのチャップリンとの会話を、
ぼくは、投げちゃっているなぁと思って、
ここはひとつ、1回だけ
映画をきちんとやっておこうという……。 |
糸井 |
そういうことだったんですか。
映画って、テレビとは勝手の違う世界ですよね。 |
萩本 |
自分で作ってみると、
なぜテレビがこんなに大きくなって、
なぜ映画が流行らないかがわかるわけです。
やってみるときは、
「映画といういいものも、あるんだよ」
というのが知りたかったわけだし、同時に、
「やっぱり、テレビがいいんだよ」
と言いたくもあったわけで……。
だから、映画については、
「ちょっとやってみた」んです。 |
糸井 |
失敗と成功の確率が、
五分五分だったら最高だったわけですね。 |
萩本 |
そうです。 |
糸井 |
いい仕事の仕方ですねぇ、それは。 |
萩本 |
ですから、よく言われるのは、
「また映画を作んないんですか?」
ということですけど、それには、
「いえいえ、作ることは、ないです」
と、はっきり言います。
映画をやっていると、
テレビがとてもすぐれているとわかりました。
だから、ぼくのやってたテレビの仕事は、
とてもよかったんだ、と思いましたから。
だから、映画は、もうしません。
テレビって、何かと言うと……
さっきもすこし言いましたが、
誰も、本職がいないというもの、なんです。
それから、経験が生きないものでもあって。
テレビ局が作られたときは、
映画から人を呼んで、
舞台から人を呼んできた……。
すでにもう、テレビが負けてるんです。
で、映画を作っていて、わかったのは、
「映画で、時間を食いすぎているから、
テレビが、作られたんじゃないの?」
ということでした。
だから、あんまり時間かけて作っていると、
テレビは、いちばんかなしいんじゃないか、と。
「作るのに、1年かかる映画が、
簡単にできあがったらいいなぁ」
それを実現できるのが、テレビだった。
……なのに、だんだん、テレビのほうも、
時間をかけて延々と作るようになるのね。
でも、もしかすると、
テレビは、1日でできるようなものを、
やったらいいのかもしれないと思いました。
「1日でできるようなものを作っちゃいけない」
と言っているほうが、
まちがいなのかもしれないというか。
映画を作っていて、そんなことを思いましたね。 |
|
(おわり) |