糸井 |
大貫さん、『キリク』を見て、
まず最初は、どういうことを思いましたか? |
大貫 |
最初から、
「このお仕事をするかもしれない」
という気持ちで見てしまったから、
そうすると、
見方がちょっと違うじゃないですか。
うちでふつうの映画を見る時は、
ひっくり返ったままで
見ちゃおうとか(笑)
だから、あまりうちでは映画みないんです。
やっぱり、映画館に足を運びます。
それに、うちで見る時には、
途中でやめちゃうこともあるのですが、
この映画は、最初から、
そういうものではぜんぜんなくて。
とにかく最後までちゃんと見て、
どういうことが言いたいのかなって
まず考えなければならなかったから、
もう、何度も何度も真剣に見ました。 |
糸井 |
「何度も」はすごいなぁ。 |
大貫 |
何度も見ないと、
曲、書けないです。 |
糸井 |
ぼくは、
何度も何度もは見ないですよ。
耳が痛い話だなぁ……。 |
大貫 |
糸井さんは、
インスピレーションを、一回で
ガッと掴めるからいいんじゃないですか。 |
糸井 |
よわったなぁ。 |
大貫 |
わたしは何ども何ども見ますね。
物語を追うなら一度でもいいと思いますけど
その、テーマは
ユッスーがすでに書いているので。 |
糸井 |
そういうのは、
人によって違うんですかね、鈴木さん。 |
鈴木 |
ぼくなんかは、実は何しろ
この映画を見るっていう時に、
前もって、高畑さんの方から、
「これはすばらしい映画なんだ」
と洗脳された上で見るわけですから、
だいたい見る時に
動機が不純になってくるというか……。
高畑さんは、さっき
この映画をやることになった経緯を
非常に品よくおっしゃったんですけど、
実は、ぼくのところに
「これ、配給してください」
と高畑さんがいらした時、何しろ
その隣には、オスロ監督がいるわけですよね。
あとで考えると、
ほとんど脅迫だったんじゃないか(笑)、
っていう気がするんですけど、ぼくとしては、
性格がよわいものですから、
すぐに、「はい」なんて言っちゃって、
引き受けてしまうんですけど。
ぼくの場合、どちらかと言うと、
『キリク』は何度も見ていくうちに
自分をとりもどして、
この映画のたのしさがわかってきたんです。
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糸井 |
何度も見るんですね、鈴木さんも。 |
鈴木 |
今回の映画をジブリでやるという時は、
「何しろ、高畑さんが
やりたいと言ったんだから、
責任をぜんぶ持ってくださいよ」と。
翻訳から、吹き替えから、
ぜんぶやっていただこう、と。
ついでに宣伝もやってもらうだとか、
いきさつが、ありました。 |
糸井 |
高畑さん、実際は
たいへんな仕事をされたわけですよね。 |
高畑 |
吹き替えでは、
一斉に集まって録るんじゃなくて、
今回、ひとりずつ録ったものですから、
時間もうんとかかって、
お金もかかったを言われているんですよ。
確かに、お金は、
ふつうに比べれば、かかっていまして。
だけど、こちらの仕事が
たいへんだったかと言うと、
そうでもなかったように思うんです。
吹き替え版をご覧になった方には、
原版もぜひ見ていただきたいというほど
オリジナルのものが非常にいいんです。
そこでしゃべられているフランス語は、
フランス人ではない人たちが、セネガルの
ダカールに集まって録音したんですね。
だから、Rの発音なんかぜんぜん違っていて、
アフリカのフランス語なんですよ。
もちろん、
ちゃんとした内容の言葉ですが、
発音の仕方が違うわけで、
そういうことに興味のある方は、
字幕も見ていただきたいほどなのですが、
そのやりかたというのが、
非常によかったんですよ。
よかった、ということは、
こちらに批判がないわけですから、
やる人間としては、それをできるだけ忠実に、
原版が与えようとしているものを出すために
努力をすればいいわけでしょう?
ひたすら打ち込めばいいわけです。
そんなにたいへんだったわけでも
ないんですね。
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鈴木 |
だいたい、高畑さんって、
仕事のときはたのしそうにやってますよ。
いつも、あまり苦しまないんです。
ものすごいたのしそうにやってました。 |
糸井 |
時間はかかったんですよね? |
鈴木 |
時間はかかりますし、
お金もかかりました。
……品のない言いかたになってしまいましたが、
実は、ふつう、吹き替え版を作る時には、
だいたい役者さんを呼んで、
一日でできるっていうんですよね。
しかし、今回、声を入れることに対して
非常に丁寧だったので、十日ぐらいかかって。
それが結果として、
この作品に、厚みを加えたと思いますけどね。 |
高畑 |
この映画のフランス語は、
フランス人が聞いたとしても
変わったフランス語なんですよ。
「母さん、ぼくを生んで!」
というセリフがありますよね。
あれは、
「母よ、ぼくを子ども化せよ」
という言い方になっている。
ぶっきらぼうで、
不思議なフランス語です。
そういう意味では、日本語でも、
「なのよね」とか「だぞ」とか、
いろいろ味をつけることを
排除しようとしたんですよ。
それは努力しました。 |
糸井 |
魔女もお母さんも、
非常にぶっきらぼうというか、
クールなセリフまわしですよね。 |
高畑 |
セネガルのお母さん役の人も
非常におさえた声でやっていたし、
それでも日本語だから、どうしようと、
確かに、いろいろ
考えちゃいましたけどね、いざやると。 |
鈴木 |
吹き替えた台本のシナリオも、
言葉が倒置法を使っていたりと、
日本語では非常に珍しい方法を
取っているんですよね。 |
高畑 |
日本語ですと、たとえば、
「わたしはキリクを殺す」
という言葉があっても、フランス語では、
「わたしは殺すキリクを」
となっているわけです。だから、
「キリクを」という時に顔が映っていたら、
フランス語版に合わせたいじゃないですか、
自分が演出家だったら。
そしたら、倒置法の方がいいだろう、と。
ぼくなんか、もともと日本語もヘタですから、
しょっちゅう倒置法を使う方ですし……。
ふつうの日本語よりも、むしろ倒置法を多用する
直訳のかたちが、この作品には、
向いているのではないかと思いますけどね。 |
鈴木 |
通常、字幕版の印象と
吹き替え版の印象とでは、
見る側の感想が違うと言うんですね。
これは高畑さんが横にいるから
言っているわけではないんですけど、
この作品での吹き替え版は、
直接に監督の語りたかったものごとが
伝わってくるというような気がしました。
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