糸井 |
同じ職業の人が
「いいな」と言う時には、いろいろなことを
いっぺんに見ているのだと思うんです。
今は主に物語について
話してくださったのですが、画面の効果、
これについても、お話をいただけますか? |
高畑 |
画面でご覧になったらわかるように、
オスロさんというのは、
平面でやっている人なんです。
この映画の前に
オスロさんが作ったものはもっとそうで、
シルエットを利用して、
かなりのものを作ったりしてたんですけど、
そういうものを、じつにうまく生かす。
画面の中でも、非常にいい画面が
いっぱいあったように思うんですけど、
ものによっては、自分も職業人だから、
「違うほうがよかったんじゃないか」
と思うところは、ないわけではないですね。
やっぱり自分も作り手ですから。
だけど、平面的で装飾的な美しさとか、
そういうものが持っている力とかが、日本では、
すっかり忘れられてしまっているんです。
みんな、すごいリアルに
なっちゃっているでしょう。まるで、
一生懸命、写真に近づけているように。
もちろん、日本のアニメがそうなったのには、
それなりに理由があるんですけれど。 |
糸井 |
いま、高畑さんがおっしゃったように、
日本で、アニメーションが
リアルになっている理由って、なんですか? |
高畑 |
日本では、それは宮崎作品も含めて、
画面の中に有無を言わさず
人を連れこむことによって、
作り手は「どうだい?」と言うわけです。
しかし、『キリク』のような作品は、
キリクのほうに、
こちらから入っていかなければならない。
向こうが押し寄せてくるわけではない。
見る側は、キリクとともに世界に入って、
ハラハラして、うまくいくんだろうかと
思いながら、映画を経験するんですね。
ぼくは、ハラハラとドキドキは、
いつも違うものだと思うんですよ。
日本のアニメが、今絶頂に達しているのが、
「ドキドキ」のほうでしょう。
主人公のすぐそばにいって、
どうなるかわからない、
シチュエーションもわからない、
闇の中を主人公と一緒に進むと、
突然、敵がやってくる。
一瞬、びっくりするんですけど、
見事に倒してしまったりする……。
これが、日本のアニメーションですし、
流行っていて、今、強く人に
アピールしているものなんです。
ドキドキしっぱなし。
![](IMAGES/p_04.jpg)
『キリク』の画面は、
全部が平面的で、
断面図が映っているじゃないですか。
だから、すべてを把握できているし、
ドキドキはない。
ところが、
「キリクは、魔女をうまくかわして
やっていけるのだろうか」
という「ハラハラ」は、味わえると思うんですね。
ハラハラしているというのは、
まだ判断力が働いている証拠ですから。
「ドキドキ」は、どこから何が来るか
わからないわけですからね。
『キリク』の平面性は、
人をちょっと突き放しますから、
中に、有無を言わさず連れていかれることはない。
狙いは、そこにあると思うんです。
考える余地を、
ちょっと観客の側に残すから。 |
糸井 |
だから、追っている魔女の方の気持ちも、
わかりながら見られるんだ。 |
高畑 |
そうですね。
そのほうが、一方的にはならない。 |
糸井 |
つまり、アメリカ映画を見ていると、
敵は無限に悪いヤツになるわけで。
ところが、『キリク』の場合は、
落ち着いて見られるかわりに、
両方の痛さが見えてくるんですね。
それは、平面的な構成のせいということも、
大いにあったわけですか……。 |
高畑 |
はい。
日本のアニメーションは、
基本的には、「ドキドキ」で
最高峰になっていったわけです。
連れこんでしまって、見る人に
主人公と同じような気持ちを味わせる。
そうなると、背景は
どんどんリアルにならざるをえないんです。
「客観的に、おもしろいね」
だなんて言っていられないですよ。
そこにいないといけないわけだし、
その目で世界を見せるわけですから、
リアルにならざるをえないじゃないですか。
それでどんどん、
日本のアニメというのは、
リアルになっていったんです。 |
糸井 |
日本で言うと絵巻物の伝統なんかに、
近い発想ですね、『キリク』の手法は。 |
高畑 |
ええ。
『キリクと魔女』には、
「この種類のおもしろさは、日本になかった」
というたのしみがあるんだと思うんですね。
「こういう、違う娯楽が、あったんだ」と、
見終わった人は感じるのではないでしょうか。
たとえば、映画のなかで、
キリクに対して、魔女が意地悪をする。
キリクはお母さんに聞くんですね。
「なぜ、魔女は意地悪をするの?」
お母さんは、
「意地悪するのは魔女だけじゃないよ」
と答えるんですね。ここがおもしろい。
「世の中、火が燃えたり
水がぬらしたりするのと同じように、
こっちが悪いことをしないのに
意地の悪いことをする人はいるもんだ。
そうやって覚えておきなさい」
お母さん、徹底して現実主義なんですよ。
「意地悪も、計算に入れておけよ」と。
あの人はすごい、なんて思ってつきあって、
挫折するより、ずっといいと思うんです。
![](IMAGES/p_18.jpg)
「ぼくは行ける!」とキリクが言いだしても、
「ダメだね」とお母さんは返事する。
キリクが、「こういったらどう?」と
いくら考えて言っても、ぜんぶダメだと言う。
あのシーンは、
お母さんの「ダメだ」で終わるんです。
「子どもなら、とことん考えさせればいい。
それで、必要だったら助けをだす」
そういう考えなんですよ。
魔女の謎かけも、おもしろいですよね。
世の中が難しくなりすぎているものだから、
今は、因果関係、
原因があって結果がある、
ということを忘れていて、
アニメーションの制作者なんかでも、
複雑怪奇な様相を
作品の中でも作りたがっていまして……。
ものすごく、世界を複雑にしてしまうんです。
ところが、キリクの世界はすごく単純ですよね。
かならず、原因があって、結果がある。
魔女の意地悪にも原因があるから、
それをとりのぞけば、魔女じゃなくなる……。
そういう発想って、和解できる発想ですよね。
あるいは、許すことができる考え。
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