娯楽映画の運命。
真夏の深夜の『キリクと魔女』座談会より。

第4回
アフリカのよさってなんだろう?

糸井 高畑さんがおっしゃった
『キリクと魔女』の味わいは、
大貫さんの作る音楽に、
共通して聞こえたんだけど。
大貫 え?
今、お話を聞いていて、
そっちに頭がグワッと行ってました。
糸井 要するに、大貫さんの歌は、
「わたし、恋をしてるわ」
というだけではないですよね。

いま、
ふつうに流れている音楽の多くは、
「わたしの気持ち」に「あなた」を重ねて、
「一緒に叫びましょう」のかたちを、
取っているけれど。
大貫 ほとんどが、その音楽ですよね。
わたしの音楽は、けっこう
『キリク』的です。客観的に……。
高畑 オスロ監督は、大貫さんの曲を聴いて、
「ほんとうによかった」と言っているんです。
それはこの場を借りて、
ご報告しておきたいことなんですけど。
大貫 オスロ監督からのお手紙は、
メールで送っていただきました。
高畑 よかった。
オスロ監督が
「よかった」と言いたい気持ちは、
ぼくにも、すごくよくわかるんです。

あの映像に、原版の音楽担当の
ユッスー・ンドゥールの音楽は、
やはりすごいですよね。
自然発生的な、アフリカに今でもあるような。
あれは、もちろん、すばらしい。

人を歓迎するとなると、パーッと突然
歌と踊りになってしまったりして、
うらやましいなぁって感じの音楽……。
しかし、今まであの映画には、歌としては、
あの音楽しかなかったんですね。
そこを、大貫さんの歌が、
気分としては、補ってくれたと思うんです。

イメージソングが、
映画にまつわる一体のものとして
考えてもらえば、やっぱり、
大貫さんに音楽を作っていただいて、
とてもよかったんです。
大貫 ユッスーの場合は
「ほんもの」じゃないですか。
アフリカですからね。
だけど、映画を見るわたしたちは
日本人なので、やはりまた違うわけです。

わたしが作る音楽の中にも
アフリカの「ほんもの」を入れようかと、
一瞬、考えたんですけどね。
いくら、イメージソングとは言えども。
アフリカの音を入れるのだったら、
セネガルまで行って、録ってこようか
と、少しは思ったんです。



ところが、まず時間が限られていたことと、
「ほんもの」を持ってきてしまうと、
イメージソングの意味、
つまり求められているものと、
なんかちがうなあ、と感じました。

もちろん、「ほんもの」のパーカッションも
いれているんですけどね。
ある程度はコンピュータで作りこんで、
まぜています。
アフリカの民族楽器のかわりに
ハープを使ってみたり。
そのくらいで、ちょうどいい感じだったんです。
糸井 その判断は大正解だったと思いましたね。
大貫 アフリカの民族衣装って
色がとてもきれいじゃないですか。
原色のブルーとか赤とか緑とか、

実際、アフリカの方って、
『キリク』みたいな色の服を着ていますよね。
キリクは裸だけど。たとえば魔女の服のような。
学校の制服のブルーとかも、
眩しいくらいのブルー。ほんとうにきれい。
あれがそのまま映画になっていた。

ああいう感じも、日本人からするとなじみがない。

アフリカの太陽みたいなものが
日本にはないので、だから、そういう色を
出しつつも、日本の風が曲間を吹いていくことで
全体がイメージできればいいなあと……。
糸井 日本にいたら、比べようがないですからね。
大貫 アフリカと日本では、
ぜんぜん、環境が違いますもの。
糸井 いま、ここにいるなかで、
いちばんアフリカを知ってるのが
大貫さんなんで……。
当然、高畑さんもアフリカに関して
詳しいわけじゃないですよね?
高畑 ぜんぜん。
糸井 『キリク』を作った
オスロ監督なんかは詳しいわけですよね?
高畑 オスロ監督は、
ギニア湾沿いに
お父さんがいて、小さい頃に
アフリカに暮らしていたんです。
それが非常に大事な思い出として、
アフリカに対する敬意がある、という……。

ただ、『キリク』はお話は神話風ですが、
「自分で生まれてくる」という以外は、
みんなオスロさんのオリジナルですよ。
糸井 大貫さん、
ずいぶんアフリカにいたんですよね。
大貫 はい。
のべで1年ぐらいはアフリカにいました。
わたしのいたところは、
野生動物のまっただなかみたいな所だったので、
人に会うことも殆どなかったんですけど、
そのかわり、太陽とか風とか、
自然のアフリカに流れている時間みたいなものは
嫌というほど染みこんでいます。



キリクでも、キリクはこんな子で、
ということを説明するよりは、もっと
そういう全体的な空気のようなものを、
音楽にできたらなって思いましたけど。
そうかんたんには
……できないんですけどね。

できないんですけど、そういう命を
こめたいなという気持ちで作りました。
『キリク』のビデオを、ずっと流しながら、
スタジオでも、ずっと見ながら、作りました。
糸井 のべ1年ぐらいのアフリカ暮らしというのは、
やっぱり大貫妙子を変えたんですか?
大貫 どこに行くにしても、興味がなかったら、
まず、1年も行っていないと思うんです。
ということは、そこで変わったのではなくて、
もう、行くことになっていたからじゃないですか?
たぶん、小さい時から、「そうなっていた」。

なんか、自分の中にずっと求めている
答えのようなものがあって、
それを追いかけていたらアフリカに行っていた。

変わったのではなくて、ますます、
自分の知りたい何かに近づいているという
ことじゃないですかね。

(つづきます!)

2003-08-22-FRI

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