糸井 |
高畑さんがおっしゃった
『キリクと魔女』の味わいは、
大貫さんの作る音楽に、
共通して聞こえたんだけど。 |
大貫 |
え?
今、お話を聞いていて、
そっちに頭がグワッと行ってました。 |
糸井 |
要するに、大貫さんの歌は、
「わたし、恋をしてるわ」
というだけではないですよね。
いま、
ふつうに流れている音楽の多くは、
「わたしの気持ち」に「あなた」を重ねて、
「一緒に叫びましょう」のかたちを、
取っているけれど。 |
大貫 |
ほとんどが、その音楽ですよね。
わたしの音楽は、けっこう
『キリク』的です。客観的に……。 |
高畑 |
オスロ監督は、大貫さんの曲を聴いて、
「ほんとうによかった」と言っているんです。
それはこの場を借りて、
ご報告しておきたいことなんですけど。 |
大貫 |
オスロ監督からのお手紙は、
メールで送っていただきました。 |
高畑 |
よかった。
オスロ監督が
「よかった」と言いたい気持ちは、
ぼくにも、すごくよくわかるんです。
あの映像に、原版の音楽担当の
ユッスー・ンドゥールの音楽は、
やはりすごいですよね。
自然発生的な、アフリカに今でもあるような。
あれは、もちろん、すばらしい。
人を歓迎するとなると、パーッと突然
歌と踊りになってしまったりして、
うらやましいなぁって感じの音楽……。
しかし、今まであの映画には、歌としては、
あの音楽しかなかったんですね。
そこを、大貫さんの歌が、
気分としては、補ってくれたと思うんです。
イメージソングが、
映画にまつわる一体のものとして
考えてもらえば、やっぱり、
大貫さんに音楽を作っていただいて、
とてもよかったんです。 |
大貫 |
ユッスーの場合は
「ほんもの」じゃないですか。
アフリカですからね。
だけど、映画を見るわたしたちは
日本人なので、やはりまた違うわけです。
わたしが作る音楽の中にも
アフリカの「ほんもの」を入れようかと、
一瞬、考えたんですけどね。
いくら、イメージソングとは言えども。
アフリカの音を入れるのだったら、
セネガルまで行って、録ってこようか
と、少しは思ったんです。
ところが、まず時間が限られていたことと、
「ほんもの」を持ってきてしまうと、
イメージソングの意味、
つまり求められているものと、
なんかちがうなあ、と感じました。
もちろん、「ほんもの」のパーカッションも
いれているんですけどね。
ある程度はコンピュータで作りこんで、
まぜています。
アフリカの民族楽器のかわりに
ハープを使ってみたり。
そのくらいで、ちょうどいい感じだったんです。 |
糸井 |
その判断は大正解だったと思いましたね。 |
大貫 |
アフリカの民族衣装って
色がとてもきれいじゃないですか。
原色のブルーとか赤とか緑とか、
実際、アフリカの方って、
『キリク』みたいな色の服を着ていますよね。
キリクは裸だけど。たとえば魔女の服のような。
学校の制服のブルーとかも、
眩しいくらいのブルー。ほんとうにきれい。
あれがそのまま映画になっていた。
ああいう感じも、日本人からするとなじみがない。
アフリカの太陽みたいなものが
日本にはないので、だから、そういう色を
出しつつも、日本の風が曲間を吹いていくことで
全体がイメージできればいいなあと……。 |
糸井 |
日本にいたら、比べようがないですからね。 |
大貫 |
アフリカと日本では、
ぜんぜん、環境が違いますもの。 |
糸井 |
いま、ここにいるなかで、
いちばんアフリカを知ってるのが
大貫さんなんで……。
当然、高畑さんもアフリカに関して
詳しいわけじゃないですよね? |
高畑 |
ぜんぜん。 |
糸井 |
『キリク』を作った
オスロ監督なんかは詳しいわけですよね? |
高畑 |
オスロ監督は、
ギニア湾沿いに
お父さんがいて、小さい頃に
アフリカに暮らしていたんです。
それが非常に大事な思い出として、
アフリカに対する敬意がある、という……。
ただ、『キリク』はお話は神話風ですが、
「自分で生まれてくる」という以外は、
みんなオスロさんのオリジナルですよ。 |
糸井 |
大貫さん、
ずいぶんアフリカにいたんですよね。 |
大貫 |
はい。
のべで1年ぐらいはアフリカにいました。
わたしのいたところは、
野生動物のまっただなかみたいな所だったので、
人に会うことも殆どなかったんですけど、
そのかわり、太陽とか風とか、
自然のアフリカに流れている時間みたいなものは
嫌というほど染みこんでいます。
キリクでも、キリクはこんな子で、
ということを説明するよりは、もっと
そういう全体的な空気のようなものを、
音楽にできたらなって思いましたけど。
そうかんたんには
……できないんですけどね。
できないんですけど、そういう命を
こめたいなという気持ちで作りました。
『キリク』のビデオを、ずっと流しながら、
スタジオでも、ずっと見ながら、作りました。 |
糸井 |
のべ1年ぐらいのアフリカ暮らしというのは、
やっぱり大貫妙子を変えたんですか? |
大貫 |
どこに行くにしても、興味がなかったら、
まず、1年も行っていないと思うんです。
ということは、そこで変わったのではなくて、
もう、行くことになっていたからじゃないですか?
たぶん、小さい時から、「そうなっていた」。
なんか、自分の中にずっと求めている
答えのようなものがあって、
それを追いかけていたらアフリカに行っていた。
変わったのではなくて、ますます、
自分の知りたい何かに近づいているという
ことじゃないですかね。
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