わたしの北の国から。
このシーンに感動しました・名場面集。

なぜこんなに人気なの?
読者の「北の国から」論

こんにちは!
9月23日のダーリンコラム「北の国から、から。」
読んでいただけましたか?

竜巻に巻き込まれるがごとく
マイ・北の国からブームに翻弄され中の
darlingが、「北の国から」について
今の思いを語っています。

そこで今回は、 いただいたメールの中から
思い出のシーンも入れつつ、
「わたしの北の国から論」と言えるものを
紹介します。

(掲載したメールのうち、緑色の字のものは、
放送されたばかりの「北の国から2002遺言」の
ストーリーに触れています。
まだ観ていなくて、いまは知りたくない方は、
飛ばして後から読んでください。)



の国から」はとにかく
田中邦衛さんの単独演技勝ち!というか、
五郎さんにただただ泣かされっぱなし!です。
いろんなバラエティ番組で年中、物まねされてますが、
本物のドラマの田中さんの台詞はどれもこれも、じーん!
どんなに物まねされてもシラケないんです。
ほんとスゴイスゴイ!
鮭を蛍に渡すとことか、最後に快ちゃんと別れるのも
あの人だけは「わざとらしく」見えないんです。
いいなぁ。
それなのに、このドラマときたら、
あんなに素敵なお父さんの子どもらときたら、
出来の悪いバカばかりで、
おかげで五郎ちゃん泣かせの展開ばかり!
世代的にはわたしは純や蛍に近い年齢なのですが、
あそこまで親不孝されると(だからドラマに
なるのだろうけど)ホント感情移入して怒れましたね。
一つ、疑問が残りました。
脚本の倉本さんは女性関係に
相当苦労されてきたのでしょうか?
あのドラマの重要な役の女性は、
はっきり言ってほぼ全員「イワク付き」です。
お母ちゃんは不倫、娘も不倫、
純の彼女もなんか いろいろ面倒な女ばかりです。
はっきり言って、宮沢りえさん演じる「シュウ」は
嫌でしたね。普通じゃないくらいのブリ方は
女性にはウケ悪かったんじゃなかったのでしょうか?
いないよ!あんな女、絶対!!
だから、シュウとくっつかなくって良かったぁ。
でも最後の内田有紀さんは「人妻」かよっ!おい!
五郎さんが羅臼で純の先生に
「おいらも昔、妻に男をつくられました。」
なんてしんみり話すと、先生ときたら、
「知ってますよ!古いなぁ!」なんてあっけなく言われて...。
なんかストーリー全体通して、
「俺たち男たちはみんな真面目に生きてるんだぁ!
 それなのに女ってのはいっつも訳わかんなくて
 勝手に生きてるんだぞぉ!」
って倉本さんのメッセージが勝手に聞こえてくるような
感じがします。
絶対、この脚本、女性観屈折してるよぉ!
こんなこと考えながら見てたのは私だけ?
最後に長期にわたる大作ドラマって残酷ですね。
新聞の投稿やドキュメンタリーにもありましたが、
私もこの最終回、きっと見たかっただろうなぁと思う
故人となった知り合いがいます。
そういった残酷な時間を考えると、
そろそろ最終回にするのは良い潮時だと思います。
(ゆみこ)


回の「北の国から 遺言」
不思議と泣きの場面では泣けなかったなー・・・。
逆に五郎さんの幸せ爆発寸前?の姿にホロリときてしまった。
孫と無邪気に遊ぶ五郎さん
(なんでこんなにかわいいのかよぅ〜♪って歌あったよね。)
蛍に叱られてへこみ気味の五郎さん
(成長した娘に叱られる・・・これもまた幸せだよね。)
しめにみんなで食卓を囲むところ。
(結に手を握られて嬉しそうな五郎さん・・・
 やっぱり美人が好きなのね。)
いらない物を捨てきれた人間の、
大切な人を愛し信じぬく人間の、
ばか正直モノな人間の、
なんて可愛らしいことか。
五郎さん、あなたはかっこ悪くて、かっこいい!
もしも黒板五郎が私の身近にいたら、
猛アタックしまくりの、
半ば反強制的にしかも確実に結婚するだろう。
そして五郎を押し倒し、
五郎似のたくさんの子供たち・・・。(空想中・・・)
なんだか へんな方向に行きそうなので、
ここらでわたしの北の国からを終わらせます。
最後に五郎さんありがとう。
   純くんありがとう。
   蛍ちゃんありがとう。
   麓郷のみなさんありがとう。
私はみんなから21年間もらい続けたモノを、
大切にしてこれからも生きていきます。
(蛍と同い年)


つも誰かを待っていて、いつも誰かを見送っている。
そんな、居酒屋の暖簾のような、
1人の男の物語だったと思います。
そして、その中で起こるドラマは押し並べて暖かかった。
暖簾は、それを見守って、見送って。
やっぱり、ただそこにあった、という。。。
で、自分はその居酒屋が大好きでした。
(高木健太)

言」の放送後、今までの作品を
手当たり次第レンタルし、
どっぷり「北の国から」の世界に浸ってます。
おかげでこのところ人と会っていても、仕事をしていても
常に心のBGM、さだまさしさんの
♪あ〜あ〜あああああ〜あ
が鳴り響いています。
そして気が付くとたいてい私の口は
おちょぼ口(五郎風の)になっています。
なんなんでしょうか、この不思議な北海道からの
遠隔操作のようなパワーは。
それほど強烈で素晴らしい作品でした。

近、北の国からの名場面で盛り上がっていますが
終わってしまう事についての意見などは、
寄せられていますか?
そりゃぁ、それは作り手が決める事なのですけど・・・
倉本聡さんは、今後何らかの形で続けたいと
おっしゃっているそうです。
なぜ、今回で終わるのかという問いに、監督の方が
撮影仲間が次々に退職し、これからもするからと
おっしゃっていました。
それを聞いて私は
「なんで、後輩に伝えて行かなかったのよー?」
「だいたい、映画界でもどこでも、何々組、何々組って、
 かたまりすぎるのよー」と独り言を・・・・・・
そして、ハッとしたのです。
こう考えるのは、ほぼ日の影響じゃないかって。
「調理場という戦場」や「海馬」、
「木のいのち木のこころ」を読んだ影響じゃないかって。
でも・・・
この連休にBSで、スタンリーキューブリック監督の
ドキュメントを見て、
(自分の映画に関する、どんな些細な事にも関わらなければ
気が済まない為、制作に物凄く時間が掛かったのだそうです。
そして思いどおりの作品にする為には、どんな衝突も
恐れなかったそうです。)
一概には言えないのかも・・・とも思いました。
仕事上の自分の事を考えてみると、正確に伝えるって
難しいし手間がかかるし自分でやった方が早いし、
その上、その過程で衝突や摩擦を生みそうで
全然出来ていません。
技術だけではなく、センスまでも伝えられる(学べる)のでは
ないかと言うdarlingは、すごいです。
北の国からのスタッフに続けて欲しいと書くつもりが
いつのまにか自分の反省タイムになってしまった・・・・
(ちちかか)

は北海道出身で、地元に居たときは、
とくに好きでも嫌いでもなく、
でも、ストーリーとして楽しくて見ていました。
東京に出てきてからは、あの空気感が好きです。
雪がシンシンと積もって、寒いのに空気が動かないとなんとなく
暖かく思える感じや、音のない感じ。
決して美しくない春の雪解けのグチャグチャなかんじ。
今まで意識することなく、体で感じていた感覚が、
テレビの映像を見ていると、思い出されるんです。
それで、なんとなく懐かしい気分になって。
でも、世の中の人は、どうして好きなんだろうって思う。
あんなに不幸で、次から次とツラくて厳しい現実が襲ってくる
彼らになりたいなんて、絶対思わないはずなのに。
単純に、自分よりツライ境遇でそれでも一生懸命生きて、
日々、喜怒哀楽を感じて生きている登場人物に同情しつつ、
自分の置かれている幸せな状況を
再確認しているんではないかなって思います。
そんな周囲の浮かれ具合が他人事のように思える
「わたしの北の国から」でした。
(30歳 独身 会社員 女性)

の一番泣いたところは、(何話目かは忘れました)
純が五郎さんに進学費のことを言わずに黙っていて、
そのことで(夕食時だったと思います)
純と五郎さんが言い合いになって、
もみ合いになり、あげくに純が五郎さんを
振り払うように押し倒す場面です。
(その時のセリフはこんな感じ)
五郎「おれの何処が情けない!」
純「情けないよ!最近父さん、情けないよ!」
一人前の人間として成長しつつある純と、
しだいに年老いていく五郎さんとの葛藤が
なんともいえず、泣けてきます。
「北の国から」はよく、喜怒哀楽の人間ドラマだと
いうような言われ方をしますが、
私は富良野の大自然という存在も、
それと同等以上に大きな役割があると思います。
「北の国から」で展開される色々な人間ドラマは、
富良野の雄大な大自然があってこそ生まれる、
という見方ができるのではないでしょうか?
私にとって「北の国から」は、
「都市で快適に生きることが、
本当に人間らしい生き方なのか?」
ということを考えさせてくれるドラマです。
(ひろりん)



このほかにもたくさんのメールをいただきました。
やはり全編を通しての感想は、五郎の生き方について
自分が感じたことを書いてくださったメールが
多くありました。

しかしそれ以外にも、いろんな視点から観ることができる
ドラマでしたね。
やっぱり、すごい。

次回はまたたくさんの思い出の場面を
紹介していきまーす!

メールは、表題に「わたしの北の国から」と書いて
goro@1101.comに送ってくださいね!!
(↑五郎でアドレスも作ってしまいました。)

2002-09-26-THU

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