糸井 |
これもかっこいいね。 |
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糸井 |
いや(笑)、冗談です。
べつにかっこよくはないんだけど、
このことはずーっと考えていましたね。
つまり、人間がよろこびを感じる仕事まで、
機械に渡しちゃっているんじゃないかなぁって。
かかる時間のこととか手間とか、
一見すると無駄に見えるような
人間のやる行為について、
ずーっと気になってしょうがなかったんです。
「おれはなぜ、ジャムをつくり続けるのか」 |
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糸井 |
自分たちのことでいうと、
「ほぼ日」ってIT産業のはずなのに、
ちっともITらしさがなくて、
「これは私がやりたいです」があるでしょう。
外部に発注すればいいのに、自分でやってる。
それは無駄に見えるものだけど、
人間が人間の体をしているからには
引き受けなくちゃならない、
しょうもない贅肉みたいな部分なんです。
その贅肉が、
コンピューターと一緒にやっているにしては、
ものすごくまだ残ってるんですね。
贅肉を認めてきたことは、
いばれることじゃないかもしれないけど、
けっこう大事なことだと思ってます。
給食は、なんでたのしいんだろう。
「会社のまわりにお店はいっぱいあるぞ」
「作ってくれる人たちだってたいへんだぞ」
って言われても、いや、給食がやりたいんだ!
その思いは、大事なんですよ。 |
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─── |
そして、編みもの。
これはもう、どんなにたいへんでも
人間がやりたいと思う代表的な手仕事ですよね。 |
糸井 |
うん。まさしくです。
三國万里子さんが「ほぼ日」に登場して、
会社でニットブームが起きましたよね。 |
─── |
起きました。 |
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糸井 |
すごいことだなと思いましたよ。
つまり、人に任せちゃえばいいじゃないかっていうことを、
自分でやってよろこんでる。
こんなにめんどくさいことを、
「失敗してやり直した」だとか、
「うまくいかなかった」とか、
辛いことまでもたのしそうに、一所懸命やってた。 |
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糸井 |
「やってる最中がおもしろいんだよね」とか、
「他の仕事があるのに、ついやっちゃった」とか、
「編んでると脳内麻薬が出る」とか、
いろんな言い方をしてました。 |
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糸井 |
こういうふうになっちゃうことについて、
ちゃんと考えてる人がどうもいないぞ、と思ったんです。
編み物はたのしいという話をする人はいます。
それを他人にすすめる人もいる。 |
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糸井 |
でも、
さっきの「今日のダーリン」みたいなことと、
この状況を合わせて見直してみると、
ものすごくおもしろいことに気づくんです。
みんなね‥‥
その仕事を誰にも渡したくないと思ってやってる。 |
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糸井 |
つまり、機械にもできる仕事を、
馬鹿にしちゃいけないということなんですよ。 |
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─── |
そういう考えが熟成されて、
あのメールを、みんなに出した。 |
糸井 |
いや、まだですね。
その段階ではまだ出せない。
「ぼくが急に思いついてメールを出して」
っていうはじまり方は、
いままでにもけっこうありました。 |
─── |
ありましたね。 |
糸井 |
でも今回は急な思いつきではないです。
メールを出すまでに、
頭の中でずいぶん考えてました。
なんて言うんでしょうね‥‥
気仙沼を訪ねるたびに、
「メインのところで大仕事をするのは、
自分たちの手に余るな」っていう。 |
─── |
ああ‥‥。 |
糸井 |
気仙沼と東京を行ったり来たりしてるうちに、
やっぱり、自分たちの無力さを感じるんです。
たいしたことはできないっていう実感を持つ。 |
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糸井 |
「自分にできると思うなよ」っていうのは、
最初から言ってたことなんだけど、
つくづく思うんですよ。
現地を知ると、ますます思う。 |
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糸井 |
「自分じゃなきゃできないことをしたいんです」
っていう言い方も、
ぼくはぜんぜん違うと思ってた。
頭にあったのは、
「なにをやったら、すこしでもよろこばれるかな?」
それだけでしたね。 |
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糸井 |
そういうことを探しながら、
気仙沼で取材をしてたつもりなんですよ。 |
─── |
なるほど。 |
糸井 |
で、取材をしてるあいだに、
問わず語りでいちばん聞こえてくるのは、
「忘れないで」、だったんです。 |
─── |
はい。 |
糸井 |
ああ、それなら約束できると思って、
自分の中に立てたフラグが、「忘れない」でした。
そのひとつのかたちとして、
「気仙沼のほぼ日」をつくりました。
これでひとつ、
「あ、帰んないんだね」と思ってもらえる。 |
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糸井 |
「気仙沼のほぼ日」は、
「無力な自分たち」っていうのが出発点で、
いまでもそれが原点です。
その中でできることってなんだろう‥‥?
自分が得意なことで、お手伝いができるのは‥‥?
「そうだ、
いちばん使いやすくて安上がりなのは俺だ」
という発想で、
まずは自分で考え続けていました。 |
─── |
それ、「ほぼ日」の最初のころと同じですね。 |
糸井 |
そう、おんなじ。おんなじです。 |
▲1998年6月6日午前0時(バリ時間)、
「ほぼ日」が開始された瞬間。 |
糸井 |
だからぼくは1回経験があるんですよ。
「ほぼ日」のときも、誰がいなくても
俺ひとりでできることをやろうと思ったんで。
‥‥なかなかねぇ、
そのくらいに思っていないと、
大言壮語でスタートしたら、すぐバテますから。 |
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糸井 |
で、先に思ったいくつかが
パラパラとパーツとしてあったわけです。
おかみさんの土地だなぁとか、
漁師町だっていうイメージ。
おかみさんたちの、漁師さんへの敬愛。
東北の土地の厳しさ、我慢強さ。
なのに、あの明るさ。 |
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糸井 |
そういうものを並べながら考えました。
なけなしのぼくらにできることって何だろう‥‥? |
─── |
どうするんだろう?
の期間があったわけですよね。 |
糸井 |
ぼくのできることは会社を作ることかな?
って思ったんです、まずは。
でも、
「ほぼ日」で事業をやって、儲けちゃいけない。 |
─── |
はい。 |
糸井 |
でも、いい人だからやるというのもなんだか‥‥。
ボランティアはもちろん尊いです。
でも、お手伝いをしたいと思ってるのに、
「儲けないように」
と苦労をしている自分がいる。
この苦労はなんだかおかしいぞ、と。
そこで思いついたのが、
儲ける会社をつくって、
その仕組みをまるごと気仙沼に置いてきちゃう、
ということでした。 |
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─── |
ちゃんと稼ぐ会社をつくって、
そこから気仙沼に税金も払う。 |
糸井 |
その仕組みをプレゼントできたら、
いいなぁと思ったんです。
よくある言い方で、
「魚をあげるよりも
釣り針と釣り糸をあげなさい」
っていう言葉があるんです。
ジタバタ無理して大きな魚を1匹をあげるよりも、
よく研いだ釣り針と糸を渡す方がいい。
その方が長持ちするんですよ。
それが、「会社」だったんです。
ですから、
気仙沼のおかみさん。 |
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糸井 |
漁師町。 |
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糸井 |
フィッシャーマンズセーター。 |
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糸井 |
アラン島。 |
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糸井 |
社内で流行っている編みもの。 |
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糸井 |
三國万里子さん。 |
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糸井 |
そういうことたちが、
すーっとつながったときがあったんです。
まさしく「釣り針と釣り糸」ですよね。
「針と糸」で編む手仕事‥‥。
そういう仕事をする会社の
イメージが浮かびました。 |
─── |
そのあたりで、あのメールが届いた。 |
糸井 |
そのタイミングでしょうね。
うれしかったんで、出したんだと思う。
わかった! と思ったのかな。
ショートしたんですよ。
いろんな考えが重なって
電線がぐしゃぐしゃになってショートしたんです。
そりゃいいや、できる! って。 |