いいものを編む会社。ー気仙沼ニッティング物語 2011年の11月、糸井重里の発案で ひとつのプロジェクトがじわりと動きはじめました。 それは、編みものの会社をつくるプロジェクトです。 拠点となる場所は、東北の気仙沼。 「ほぼ日」の支社がある漁師町で 最高のフィッシャーマンズセーターをつくることが、 「その会社」の仕事です。 セーターは、手編み。 編み手は、気仙沼のおかみさんたち。 すばやく大量にはつくれないけれど、 編む人がたのしくて、買う人がうれしい! そんな、わくわく感で両者がつながる セーターづくりを目指していきます。  プロジェクトで決まったことや進んだことを、 すこしずつ不定期におしらせしますね。 「気仙沼ニッティング」のレポートは、ここから。

レポート♯2 3人のキーパーソンについて。

今回は「気仙沼ニッティング」のキーとなる人々、
3人の女性をご紹介いたします。

その紹介の方法にすこし迷いましたが、
「糸井重里の視点から」というかたちを選びました。
それがいちばん、
客観的にすっと伝えられるという判断です。

前回のレポート「そもそもの話」を糸井に聞いたとき、
この3名についても訊ねていました。
それをできるだけそのまま、ここに記させてください。
プロフィールと共に、ご紹介いたします。

 

 三國万里子さんのこと。

   

 三國万里子(みくにまりこ)プロフィール

 編みもの作家。
 幼いころにかぎ針と毛糸を
 おもちゃ代わりに渡されたのが編みものとの出会い。
 大学のころから洋書を中心に
 テクニックとデザインの研究を深め、創作に没頭する。
 毎冬に開く個展に向けて作品を編みためる日々。

 著書/『きょうの編みもの』(文化出版局)
     出版物は他にも多数。

 気仙沼ニッティングでの役割/セーターのデザイン

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  ・三國万里子の編みものの世界。
  ・三國さんがミトンを編む一日。


 糸井重里が話す、三國さん。


「三國さんは、震災直後にうちの会社の縁側で、
  編み物をしましたよね。
  まだ余震がある中で、ヘッドホンをして編んでいた。
  電気をほとんど消して、
  外からの自然光の中で編んでましたよね。
  お花見さえ自粛といわれていた時期のことです。
  あれはなんというか、
  すごくシンボリックな姿だと思いました。
  強いものに感じたんです」

 

▲2011年4月5日、ミトンを編む様子を生中継しました。

 

「そのあと、三國さんの本を見るようになって、
 あらためてこれはすごいポテンシャルだと。
 クラシックを演奏し直す、というか‥‥。
 たとえば室内楽で編みものをするのが
 いままでだったとすると、
 三國さんの場合はそれこそ
 ロックとかソウルでの編みもののようだ、と。
 そうやって新しい音楽をつくるように編めるのは、
 古典の素養があるからできるわけで。
 いやぁ、
 すごい人が隠れていたものだと思いました」

 

▲三國さんは、常に「面白い」を探す人でもあります。

 

「気仙沼ニッティングのプランを思いついたときも、
 かなり初期に動いたのは、
 三國さんへの協力の依頼でした。
 やはり何よりも、
 デザインのちからが重要なプロジェクトですから。

 お会いして、お願いして、受けてくださって、
 気仙沼までご一緒しました」

 

▲別件でたまたま訪れた洋品店の奥様が、
 三國さんの作品が載っている本をお持ちでした。

▲編み手となるおかみさんたちとの初顔合わせの席で。

「そして、アラン諸島。
 この旅に関しては、
 三國さんの存在ぬきで見学に行っていたら
 たぶん技術のところしか
 伝承できなかったと思います」

▲島に向かうフェリーで、風をよける三國さん。

 

「三國さんがいたおかげで、
 セーターというものが持っている、
 大げさに言えば美学とか哲学とか、
 そういうところをぼくらも感じることができたんです」

 

▲たとえば編み手の違いによるセーターの特徴を、
 わかりやすく同行者に伝えてくれました。

「アイデアの最初で、
 そうだ三國さんがいる! と思いついたときには、
 このプロジェクトはもう大丈夫だと思ったんです。
 この人がいればできる! と。
 それはもちろん、そのとおりなんですけど、
 進めていくうちに、
 この人がいればできるっていう人物は、
 どうやらひとりじゃないらしいと気づきました。
 まだまだ多くの力がいる、と。
 おかしいですよね、そこに気づかないんだから(笑)」


御手洗瑞子さんのこと。

   

 御手洗瑞子(みたらいたまこ)プロフィール

 経営コンサルティング会社を経て、
 ブータンの初代首相フェローとして、
 2010年より1年間、同国に滞在。
 2012年から「気仙沼ニッティング」に関わる。

 著書/『ブータン、これでいいのだ』(新潮社)

 気仙沼ニッティングでの役割/プロジェクトリーダー

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 ・ブータンの雨と幸せのはなし。

 

糸井重里が話す、たまちゃん。

 

「御手洗さんのことは、
 たまちゃんって呼んでますよね、みんな。
 そんなたまちゃんに、このプロジェクトのリーダーを
 お願いしたのは今年の1月でした。
 対談中にね、急に思いついたんですよ」

 

▲その対談、「ブータンの雨と幸せのはなし。」

 

「気仙沼ニッティングのプロジェクトは、
 社内の誰かがひんぱんに気仙沼に通う、
 という程度では、たぶんダメだろうと思いました。
 自分まるごとで本気になって、
 ぜんぶを取り仕切る人が必要だろうな、と。
 誰もいなければ、もう、
 ぼくが3カ月くらい気仙沼に行こうと覚悟してました。
 
 そんなことを思っていた時期に対談をしていたら、
 なんと目の前に、
 ひとりでブータンにいた女性がいるじゃないですか。
 この人がいればできる! と思いました(笑)。
 で、まあ、
 気仙沼でのニット事業をあなたに任せたい、
 と、言うだけ言ってみたわけです。
 そしたら、
 急にそんなこと言われても困ります、
 と言われました(笑)」

 

▲対談ページでは、その会話はカットになりました。

 

「でも、そのあと御手洗さんは、
 自分で気仙沼を訪ねて交流を持って、
 本気で引き受けてくれることになったわけです。

 やると決めたらすごい人ですよ。
 まず、アラン諸島ではしっかりと、
 あの場所のニット産業を目玉に焼き付けてました」

 

▲現地で最も積極的に動いていたのは間違いなく彼女。

 

「アラン島から帰ってきたら、
 9800円で自転車を買って、
 気仙沼の町を走り回ってましたよ。
 それはね、できないです。
 まずできない。
 自転車で走り回る動きをしながら、
 世界規模のビジネスまでを考えていく。
 そんなことをできるリーダーは、そうそういないです。
 
 地元に溶け込む努力も、自然体でやってるんです。
 お祭りで太鼓をたたかせてもらったりして」

 

▲気仙沼みなとまつり。この中に‥‥?

 

「主人公タイプですよね。
 巻き込まれながら、成長していく。
 ブータンから帰ってきたと思ったら、
 ええ? こんどは気仙沼?! みたいな(笑)」

 

▲いました! かっこいい!

 

「彼女がすこしずつでも
 気仙沼に馴染んでいけている理由のひとつには、
 下宿、ということがあると思います。
 ええ、そうです。
 下宿させてもらえば? と言ったのはぼくです。
 だってその方がアパートを借りたりするよりも
 ずっと楽だし、気仙沼の人とも親密になれる。
 外食してるより健康にもいいし、
 なにより、物語としておもしろいでしょう、
 下宿をしているほうが。
 
 で、そうなんです。
 ここがまたすばらしいポイントなんですけど、
 たまちゃんが下宿をさせていただいているのが、
 なんと‥‥
 斉藤和枝さんのおうちなのでした」

 


 斉藤和枝さんのこと。

   

 斉藤和枝(さいとうかずえ)プロフィール

 気仙沼「斉吉商店」の専務取締役。
 社長である夫の純夫さんとともに、
 3代目「斉吉商店」を営む。
 水産加工品、「金のさんま」「ぶっかけ海鮮丼」などで
 全国に多くのファンを持つ。

 著書/『おかみのさんま 気仙沼を生き抜く
     魚問屋3代目・斉藤和枝の記録』(日経BP社)

 気仙沼ニッティングでの役割/気仙沼での水先案内

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 ・東北の仕事論。斉吉商店 篇


糸井重里が話す、和枝さん。

 

「たまちゃんが気仙沼に行っているあいだの下宿先、
 これが斉藤和枝さんのお宅っていうのは、
 もう、最高ですよね。
 家族に混ぜてもらうことで、
 かなりいろいろおもしろい体験もしているようです。

 和枝さんは、
 ぼくらにとって水先案内のような存在です。
 このプロジェクトの最初にも、
 まずは和枝さんのところに三國さんをお連れして、
 相談をしました」

 

▲三國さんの本を手にする和枝さんと、夫・純夫さん。

 

「気仙沼で編みものっていうのはどうでしょう?
 と訊ねたら、
 みんなやってたんですよ! って。
 わたしもやってました、と。
 あの反応はうれしかったですねぇ。
 編みものをする人が気仙沼にけっこういることが、
 あのときにわかったんです」

 

▲和枝さんがむかし編んだセーターを手にとる三國さん。

 

「このプロジェクトのことを
 ものすごく真剣に考えてくれて、
 編み手によさそうな女性を
 実際に紹介してもくださいました」

 

▲編み手のみなさんとの、初顔合わせの会で

 

「ご自身のお仕事がとても忙しいかたですから、
 気仙沼ニッティングのことを
 あれもこれもと頼ることはできません。
 でも、いてほしい人です。
 なんて言うんでしょう‥‥
 いま生きている脳みそと心が、おもしろい人なんです。
 常に売り場のプレイヤーであり、
 しかもキャプテンという立場。
 すごいことです。

 また、全国を市場としている人なので、
 気仙沼人でありながら客観的な目を持っています。
 だからぼくらに、
 それだと気仙沼の人には伝わらないかもしれません、
 というようなアドバイスもしてくださる。
 これが、すごくありがたい。

 あとはそう、
 わぁ、すてき! がある人なんですよ。
 素直に、すてき! が言える和枝さんのすてきさ。
 そこにぼくらは、しびれていますね」

 

▲「気仙沼のほぼ日」にて。
 あるおかみさんが昔編んだ手編みのセーターを試着して、すてき!

 

「和枝さんにもアラン諸島に行ってもらおう、
 というのは御手洗さんのアイデアでした。
 東京の人たちばかりじゃなく、
 気仙沼のおかみさんにこそ行ってもらうべきだ、と。
 なるほどと思いました。
 旅から帰った和枝さんが、
 地元で伝えてくれる情報の濃さは、
 ぼくらが話すのとは比べものにならないでしょう」

 

▲旅の間中、ずっと好奇心があふれ続けていた和枝さん。

 

「そうして向かったアラン諸島、
 三國さんと、たまちゃん、和枝さんは、
 テレビの収録をしていたぼくとは
 基本的に別行動でした。
 なにやらずいぶん、たのしかったようで。
 それはほんとうに、よかったなぁと思っています」

 

 

以上で、糸井重里による、3人の紹介を終わります。

次回は、この3人がアイルランドのアラン諸島で、
見て、感じてきたものをレポートします。

 


(つづきます)

 


2012-09-25-TUE

 

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