今回は「気仙沼ニッティング」のキーとなる人々、
3人の女性をご紹介いたします。
その紹介の方法にすこし迷いましたが、
「糸井重里の視点から」というかたちを選びました。
それがいちばん、
客観的にすっと伝えられるという判断です。
前回のレポート「そもそもの話」を糸井に聞いたとき、
この3名についても訊ねていました。
それをできるだけそのまま、ここに記させてください。
プロフィールと共に、ご紹介いたします。
三國万里子さんのこと。
糸井重里が話す、三國さん。
「三國さんは、震災直後にうちの会社の縁側で、
編み物をしましたよね。
まだ余震がある中で、ヘッドホンをして編んでいた。
電気をほとんど消して、
外からの自然光の中で編んでましたよね。
お花見さえ自粛といわれていた時期のことです。
あれはなんというか、
すごくシンボリックな姿だと思いました。
強いものに感じたんです」
▲2011年4月5日、ミトンを編む様子を生中継しました。
「そのあと、三國さんの本を見るようになって、
あらためてこれはすごいポテンシャルだと。
クラシックを演奏し直す、というか‥‥。
たとえば室内楽で編みものをするのが
いままでだったとすると、
三國さんの場合はそれこそ
ロックとかソウルでの編みもののようだ、と。
そうやって新しい音楽をつくるように編めるのは、
古典の素養があるからできるわけで。
いやぁ、
すごい人が隠れていたものだと思いました」
▲三國さんは、常に「面白い」を探す人でもあります。
「気仙沼ニッティングのプランを思いついたときも、
かなり初期に動いたのは、
三國さんへの協力の依頼でした。
やはり何よりも、
デザインのちからが重要なプロジェクトですから。
お会いして、お願いして、受けてくださって、
気仙沼までご一緒しました」
▲別件でたまたま訪れた洋品店の奥様が、
三國さんの作品が載っている本をお持ちでした。
▲編み手となるおかみさんたちとの初顔合わせの席で。
「そして、アラン諸島。
この旅に関しては、
三國さんの存在ぬきで見学に行っていたら
たぶん技術のところしか
伝承できなかったと思います」
▲島に向かうフェリーで、風をよける三國さん。
「三國さんがいたおかげで、
セーターというものが持っている、
大げさに言えば美学とか哲学とか、
そういうところをぼくらも感じることができたんです」
▲たとえば編み手の違いによるセーターの特徴を、
わかりやすく同行者に伝えてくれました。
「アイデアの最初で、
そうだ三國さんがいる! と思いついたときには、
このプロジェクトはもう大丈夫だと思ったんです。
この人がいればできる! と。
それはもちろん、そのとおりなんですけど、
進めていくうちに、
この人がいればできるっていう人物は、
どうやらひとりじゃないらしいと気づきました。
まだまだ多くの力がいる、と。
おかしいですよね、そこに気づかないんだから(笑)」
御手洗瑞子さんのこと。
糸井重里が話す、たまちゃん。
「御手洗さんのことは、
たまちゃんって呼んでますよね、みんな。
そんなたまちゃんに、このプロジェクトのリーダーを
お願いしたのは今年の1月でした。
対談中にね、急に思いついたんですよ」
▲その対談、「ブータンの雨と幸せのはなし。」
「気仙沼ニッティングのプロジェクトは、
社内の誰かがひんぱんに気仙沼に通う、
という程度では、たぶんダメだろうと思いました。
自分まるごとで本気になって、
ぜんぶを取り仕切る人が必要だろうな、と。
誰もいなければ、もう、
ぼくが3カ月くらい気仙沼に行こうと覚悟してました。
そんなことを思っていた時期に対談をしていたら、
なんと目の前に、
ひとりでブータンにいた女性がいるじゃないですか。
この人がいればできる! と思いました(笑)。
で、まあ、
気仙沼でのニット事業をあなたに任せたい、
と、言うだけ言ってみたわけです。
そしたら、
急にそんなこと言われても困ります、
と言われました(笑)」
▲対談ページでは、その会話はカットになりました。
「でも、そのあと御手洗さんは、
自分で気仙沼を訪ねて交流を持って、
本気で引き受けてくれることになったわけです。
やると決めたらすごい人ですよ。
まず、アラン諸島ではしっかりと、
あの場所のニット産業を目玉に焼き付けてました」
▲現地で最も積極的に動いていたのは間違いなく彼女。
「アラン島から帰ってきたら、
9800円で自転車を買って、
気仙沼の町を走り回ってましたよ。
それはね、できないです。
まずできない。
自転車で走り回る動きをしながら、
世界規模のビジネスまでを考えていく。
そんなことをできるリーダーは、そうそういないです。
地元に溶け込む努力も、自然体でやってるんです。
お祭りで太鼓をたたかせてもらったりして」
▲気仙沼みなとまつり。この中に‥‥?
「主人公タイプですよね。
巻き込まれながら、成長していく。
ブータンから帰ってきたと思ったら、
ええ? こんどは気仙沼?! みたいな(笑)」
▲いました! かっこいい!
「彼女がすこしずつでも
気仙沼に馴染んでいけている理由のひとつには、
下宿、ということがあると思います。
ええ、そうです。
下宿させてもらえば? と言ったのはぼくです。
だってその方がアパートを借りたりするよりも
ずっと楽だし、気仙沼の人とも親密になれる。
外食してるより健康にもいいし、
なにより、物語としておもしろいでしょう、
下宿をしているほうが。
で、そうなんです。
ここがまたすばらしいポイントなんですけど、
たまちゃんが下宿をさせていただいているのが、
なんと‥‥
斉藤和枝さんのおうちなのでした」
斉藤和枝さんのこと。
糸井重里が話す、和枝さん。
「たまちゃんが気仙沼に行っているあいだの下宿先、
これが斉藤和枝さんのお宅っていうのは、
もう、最高ですよね。
家族に混ぜてもらうことで、
かなりいろいろおもしろい体験もしているようです。
和枝さんは、
ぼくらにとって水先案内のような存在です。
このプロジェクトの最初にも、
まずは和枝さんのところに三國さんをお連れして、
相談をしました」
▲三國さんの本を手にする和枝さんと、夫・純夫さん。
「気仙沼で編みものっていうのはどうでしょう?
と訊ねたら、
みんなやってたんですよ! って。
わたしもやってました、と。
あの反応はうれしかったですねぇ。
編みものをする人が気仙沼にけっこういることが、
あのときにわかったんです」
▲和枝さんがむかし編んだセーターを手にとる三國さん。
「このプロジェクトのことを
ものすごく真剣に考えてくれて、
編み手によさそうな女性を
実際に紹介してもくださいました」
▲編み手のみなさんとの、初顔合わせの会で。
「ご自身のお仕事がとても忙しいかたですから、
気仙沼ニッティングのことを
あれもこれもと頼ることはできません。
でも、いてほしい人です。
なんて言うんでしょう‥‥
いま生きている脳みそと心が、おもしろい人なんです。
常に売り場のプレイヤーであり、
しかもキャプテンという立場。
すごいことです。
また、全国を市場としている人なので、
気仙沼人でありながら客観的な目を持っています。
だからぼくらに、
それだと気仙沼の人には伝わらないかもしれません、
というようなアドバイスもしてくださる。
これが、すごくありがたい。
あとはそう、
わぁ、すてき! がある人なんですよ。
素直に、すてき! が言える和枝さんのすてきさ。
そこにぼくらは、しびれていますね」
▲「気仙沼のほぼ日」にて。
あるおかみさんが昔編んだ手編みのセーターを試着して、すてき!
「和枝さんにもアラン諸島に行ってもらおう、
というのは御手洗さんのアイデアでした。
東京の人たちばかりじゃなく、
気仙沼のおかみさんにこそ行ってもらうべきだ、と。
なるほどと思いました。
旅から帰った和枝さんが、
地元で伝えてくれる情報の濃さは、
ぼくらが話すのとは比べものにならないでしょう」
▲旅の間中、ずっと好奇心があふれ続けていた和枝さん。
「そうして向かったアラン諸島、
三國さんと、たまちゃん、和枝さんは、
テレビの収録をしていたぼくとは
基本的に別行動でした。
なにやらずいぶん、たのしかったようで。
それはほんとうに、よかったなぁと思っています」
以上で、糸井重里による、3人の紹介を終わります。
次回は、この3人がアイルランドのアラン諸島で、
見て、感じてきたものをレポートします。
(つづきます) |